07話 みんな、すげーな
中学時代に夢中で追いかけたゴールはこんな高さだった。
……もう少し、低かったかも。
どちらにしても、今の私にはとても高い。
私たちが壁を見上げていると、
眼鏡の男の人が静かな語り口で課題の説明を始めた。
「人数がいるうちは足を支えて持ち上げること。
この支える役目はブーストと言う。
組体操のピラミッドは禁止。不安定で危ないからね」
具体的なやり方のアナウンスのあと、
「人数が減ってきたら肩車がいいだろう」と補足があった。
そして監督者の2名は、転倒や落下防止のために周囲に付く。
淡々とした口調。でも、危険性は伝わる。
私たちは真剣な顔でその言葉を受け止めた。
「壁の上で受け止める役は3人までだ。
それ以上は混乱して余計に危ない。
他の人は受け手の背後を支えるか、見守りに徹するように」
その他細かな禁止事項の説明が終わり、
緊張感を持ったまま、順番について打ち合わせを始める。
「最初の人は大変だ。上から引っ張れないし」
眼鏡をかけ、髪を後ろに縛っている香取さんからの感想。
「背が高い人なら、届く?」
そう問いかけるのは鴨川さん。そう言う彼女の背は女子の平均くらい。
「じゃあ、私か、市原さん」
野田さんが答えた。彼女は165cmは超えていそう。
最も高身長の市原さんは、否定的だ。
「待って!私は運動が苦手だから……
懸垂だって1回もできないし」
首を横に振る。
その横では、小鳥遊さんと香取さんも全力で頷いている。
「壁も使えるから、懸垂よりは楽じゃないかな」
佐倉さんが微笑みかけながら、2人の肩を叩く。
小鳥遊さんと同じくらい小柄だけど、自信はある様子。
「確かに。身体全体を使えるね」
腕だけに頼らず、壁を支えにできる。
だから実際にやってみれば意外といけるはず。
特に自信のない3人に伝えるが、これは半ば自分に言い聞かせている。
「私から行くよ。次は市原さんを上から引っ張るから」
野田さんが市原さんの手を握る。2人とも、覚悟は決まったようだ。
「最後は、支える人がいなくなっちゃう」
香取さんが気になるポイントを指摘する。
「私が跳ぶ」と言いかけて口をつぐんだ。
助走をつけて飛び上がることは、今の私にはできない。
「三条さんはダメだよ。怪我してるんでしょ」
佐倉さんから嗜められる。
「私も運動は得意な方だから。頑張って跳ぶよ」
任せてよ、とばかりに、両手を胸の前で握る。
「待て」
その提案を、成田さんが短い言葉で遮った。
「最後の1人は私がやる」
並の男子より力はある、と付け加えた。
第3チェックポイントより後は1歩引いていた成田さん。
意外な申し出だったが、せっかくの前向きな意見だ。
「ありがとう、お願いするね」
意表を突かれて変な間ができてしまったが、応えた。
7番目の佐倉さんはこれで安定だ。
私、小鳥遊さん、香取さんは3、4、5番目。
そのあとは鴨川さん、佐倉さん、成田さん、と続く。
プランは決まった。実際にやってみよう。
「最後だよ!」
私はみんなを見回して、
「みんな、絶対にクリアしよう!」
手の甲を上に向け、差し出した。
その上に、手が7つ重なった。
昔からの習慣でついやってしまったけど、みんなが乗ってきてくれて安心した。
「やるぞー!」
気合の乗った、みんなの声が重なった。
* * *
最初に野田さんを送るため、ブースト役の最初の4人が屈む。
野田さんの靴底が、ブースト役の手のひらに乗る。
1人は右足を、1人は左足を支える。
さらに各足の脛に1人ずつ手を添えて支える。
野田さんの足が少し震えている。
手を壁に押し付け、少しでも安定を保つ。
「野田さん、大丈夫そう?」
私は身体への負担を心配され、ブーストには加わらず補助に回された。
力を使わない分は、せめて声掛けとか、応援に徹したい。
「大丈夫!押して!」
野田さんの覚悟が決まった。体を壁に当てながら顔を壁の上部へ向ける。
「行くよ!せーの!」
ブースト役がゆっくり立ち上がり、野田さんを押し上げる。
その足元が、支える4人の胸、肩、頭の高さへ、エレベータのように上昇していく。
野田さんの息遣いが荒い。緊張が伝わる。壁を伝う手の音すらも響くよう。
その腕がゆっくりと、慎重に、壁の上端へと伸びていく。
ブーストの4人は、息を止め腕や肩に力を込める。
取り囲む私たちも思わず息を止めてしまうが
ただ見ているわけにもいかない。
「もう少しだよ!あと3センチ!下を見ないで!」
野田さんの腕を目で追いながら、声に出す。
「掴んだ!押して!」
野田さんが叫んだ。両手が壁の上端を掴んでいるのが見える。
足を支える8本の腕にもう一度力が入る。
「登るよ!」
最後の一押しを受けて、野田さんの足が土台を離れた。
壁をよじ登り始める。
私たちの声援を背に受け、
その腕が、背が、脚が、少しずつ壁の向こうへ消えていく。
しばらくして、野田さんが上端から顔を覗かせた。
「登れた!」
拍手と歓声が同時に沸き起こった。
* * *
続く市原さんも、野田さんに引き上げられながら無事に登りきった。
「私でもできた!みんなもできるよ!」
上からみんなを勇気づける。
懸垂よりも全然簡単だった、らしい。
次は私。
足をブースト役の手に乗せる。ちょっと申し訳ない気分。
さすがに少し怖いので、壁に手を添え体重をかける。
「三条さん、がんばって!」
小鳥遊さんが応援してくれる。
私の次は彼女の番だ。失敗する姿を見せて怖気づかせるわけにはいかない。
上で待つ2人に目線を向けて、壁に添えた手を少しずつ上に伸ばす。
「いいよ、お願い!」
合図に合わせて足元がせり上がる。
壁の縁が少しずつ近づいてくる。上で待つ2人の姿もだんだん大きくなる。
ゆっくり腕を伸ばした。
両手が壁の上端を掴む。さらにその腕を、野田さんと市原さんが掴んだ。
「せーの、で行くよ!」
再度の合図で、下から一気に押し出される。
同時に、上から引っ張られる。
身体が壁の裏側に吸い寄せられるようだった。
半身が上端を乗り越えたあと、意外と段差があることに気づき、慌てた。
危うく顔から落ちるところだった。
2人が顔を真っ赤にしながら支えてくれた。
両足が上端を乗り越え、ゆっくりと足場に立つ。
安堵で、力が抜ける。大きな息を吐いた。
「やったよ!」
引っ張ってくれた2人にお礼を言い、下にいる子たちに手を振った。
* * *
そのあとのメンバーも続々と成功していった。
おかげで上の人員は充実してきたが、反面、下のブーストは減っていく。
監督者の女性や眼鏡の男性が、ブーストする成田さんの周りに立ち事故に備えている。
7人目、佐倉さんの番。
ブーストは、もう成田さん1人しかいない。
いくら力があるとはいえ、さすがの成田さんも肩で息をしている。
「辛そうだね。私はジャンプで行けるか試してみるよ」
「いいから、肩に乗れ。『絶対に飛ばせてやる』ってな」
「おおー!最終ステージの発艦シーンだ!燃えるね」
「だろ?あそこは泣けるな」
息を切らせながらも、ゲームの話で盛り上がってる。
同じエートレのプレイヤー同士、それだけで通じ合う。
「おしゃべりしてないで、早くおいで!」
「そうだよ、私も混ぜてよ!」
野田さんと市原さんが下に向けて叫ぶ。
そんなやり取りが、少し羨ましい。
成田さんがしゃがみ、その肩に佐倉さんが座る。
その両手が佐倉さんの足を支える。
成田さんが少しずつ立ち上がり、佐倉さんが腕をこちらへ伸ばしてくる。
「もう少し!」
上体を乗り出し気味に私たちも腕を伸ばし、応える。
小鳥遊さん、鴨川さん、香取さんがそれぞれ私たちの後ろから腰に手を回し、支える。
佐倉さんの腕が、さらに高い位置に来た。成田さんが押したんだ。
その腕を掴んだ。
「引っ張るよ!」
野田さん、市原さんも一緒に腕を掴み、引き上げる。
佐倉さんが壁を歩くように足を動かし、
あとはスムーズに登ることができた。
「怖かった―…」
佐倉さんが力なく座り込んだ。安心して緊張が途切れたようだ。
歓迎するように拍手が沸く。
息を荒くしながらも、私たちは互いに笑いあった。
残るはあと1人。
私たちの興奮も最高潮だ。
「さあ!」
興奮冷めやらぬ中、成田さんが待つ地上を見下ろした。
掴まれと言わんばかりに腕を伸ばす。
成田さんが精一杯ジャンプしてこの手を掴めば、課題はクリア。
時計は15:35を回ったところ。時間配分も悪くない。
この勢いなら行ける。
私だけでなく、たぶん、上の7人は全員同じ気持ち。
だから動く気配のない成田さんに違和感を覚えた。
「どうしたの?さあ!」
もう一度手を伸ばす。
成田さんはその手を見ない。
両手を膝に置き、かがみ込んで顔を伏せている。
遠目でも分かるくらい肩が上下している。
「みんな、すげーな」
小さく、そう聞こえた。
ずっとブースト役を買って出てくれた彼女だ。
この位置からでも疲労が目に見える。
額の汗を手で拭っている。
そしておもむろに、成田さんが私たちを見上げた。
「悪い。高所恐怖症なんだ、私は。
ここでリタイアだ」
その表情は笑顔。あっさりと、言い捨てた。




