16話 負けてたまるかよ
「あのね」
5月の大会が、もう来週に迫っていた。
ずっと言おうか迷っていたけど、いよいよ意を決して母に声をかけた。
「来週の土曜日、大会があるんだ」
母は夕飯の洗い物をしながら、こちらを見ず、僅かな相槌だけを返した。
「あのさ……見に来ない?」
少し間が空いてから。
「やめとくよ」
母も淡々と答えた。
「またあんたが怪我するところ、見たくないもの」
断る理由が意外すぎて、思わず食い下がった。
「何言ってるの、ゲームだよ!怪我なんてしないよ!」
その声で、お皿を洗う母の手が止まった。
「そうだったね。でも……」
母は一呼吸置き、振り返って私を真っ直ぐに見た。
「私、ゲームなんか見ててもよく分からないから」
母はそういう人だ。
断られるのは織り込み済みだったけど……
改めてハッキリ言われると、少し落ち込む。
父は仕事があって来られないことを、既に聞いている。
eスポーツ選手としての、初めての公式試合。
父と母には、その姿を見せたかった。
* * *
その日の対戦相手は手強く、
ひばりも私も、そして蘭花も、ほぼ同じタイミングで撃墜されてしまった。
「セイバーが孤立している!全機向かうぞ!」
「大丈夫だよ~」
レーダーでは、月子が相手の3機に囲まれているのが見える。
でも、当の本人はまったく焦る様子がない。
そもそも敵が4機ではなく3機なのは、
私たちが復帰する前に、既に月子が1機を撃墜したからだ。
「もう1機、やっちゃうよ~」
レーダーの敵影が、さらに1つ消えた。
戦闘の様子が視認できる距離まで近づいた頃には、
敵はあと1機だけになっていた。
「6時方向!敵機!」
「は~い!」
妙に間延びした返事だった。
でも月子の真後ろに敵がピッタリ張り付いている。助けなきゃ。
……そのとき、見た。
月子のAF-22がピッチアップをした。
でも上昇はせず、90度回転。上を向いた姿勢で止まった。
機体下面に空気が叩きつけられ、蒸気が月子の機体を覆う。
そうして急減速したセイバー機を、後ろに張り付いていた敵機が追い越した。
月子の機体は後方にぐるりと1回転した後、機首を敵機に向けミサイルを放った。
それが相手に刺さり、全ての敵影が消えたところでタイムアップ。
私たちの被撃墜のビハインドを、彼女1人で全てひっくり返していた。
「助けなんていらねえってか。嫌味かよ」
「えへへ、そんなんじゃないよ~」
蘭花は少し不機嫌そうだが、月子はさらりと受け流した。
* * *
「先輩、今の!」
市原が興奮気味に月子に迫っていた。
「クルビットじゃないですか!」
「『消える女王』だよ」
月子に代わり、蘭花が呆れたように答えた。
PCのモニタに、録画したばかりのそのシーンを香取が映した。
とても操作が難しく、実際に使う人はいない機動であると、
市原は語っていた。
映像に目を向ける。
後ろに張り付いていた機体を一瞬で前方にやり過ごし、
すぐさま後方から襲撃する。
「追ってる側からすれば、『相手が急に消えたように見える』ってわけね」
以前戦ったときに体験した、目の前から消える現象。
その正体を、期せずして見てしまった。
そんな難度の技をやすやすとやってのける。
さすがというか、やはり底が知れない。
「こんな魔法みたいな技があれば、どんな相手にも負けないですよ!」
その脅威は、体感した私が一番よく知っている。
月子を女王として君臨させた魔法の技。
でも。
「空で速度を捨てる、ただの曲芸飛行だ」
蘭花の声はどこか吐き捨てるように感じた。
「あたしが気に入らないのは、手癖のクルビットじゃあない」
蘭花の口調は落ち着いているが、明らかに怒りが見て取れる。
蘭花は月子に近づき、真正面から目を合わせ、続けた。
「何で1人で戦った。
あたしらは、そんなに頼りないか?」
室内の空気が張り詰めていくのが分かる。
「それは、あの……楽しくなっちゃって、つい……」
言葉が途切れた。
秒針の音が響いている。
「ごめん……」
月子はいつものニコニコ顔を曇らせ、力なく呟いた。
「いや……熱くなったな。すまない」
蘭花は頭を横に振り、月子から目を逸らした。
「少し休憩だ」
蘭花も覇気のない呟きを残したあと、一人、静かに部屋を出ていった。
* * *
長年連れ添った相棒のような、お互いの長所短所をカバーし合うような。
先輩たちのことは、そんな間柄だと勝手に思っていた。
そんな2人でも衝突することがある。
少しの新鮮さと、たくさんの不安を抱えて、
私とひばりは思わず、蘭花の後を追っていた。
廊下から出て少し先。
自動販売機の置かれたスペース。
ベンチに腰掛け、ペットボトルの水を持ったまま項垂れていた。
「あの……」
近寄りがたい雰囲気だったが、意を決し声をかけた。
蘭花は私たちを一瞥すると、すぐに視線を地面に戻した。
「……月子は、絶対無敵の存在じゃあない」
そしてポツリ、ポツリと。つぶやき始めた。
「全国大会準決勝のラウンド1。
あいつらは4機で一斉に月子を狙い、月子だけを執拗に落とし続けた」
「あいつら、って?」
「聖フィオーレ学院。そして……」
蘭花の持つペットボトルが握力に歪むのが見えた。
「そのトップエース、桐崎 都希乃」
少し間を明けてから、ひばりが口を開いた。
「4機で、って……ひどい!ズルじゃないですか!」
「ひばり、それは違うんだよ」
ミサイル1つを直撃させれば敵機は倒せる。
仮に直撃しなくても、近接信管で手傷を負わせることができる。
たった1機に、4機も張り付く意味はない。
チームとして戦うなら、
僚機を警戒するとか、他のエレメントを抑えに行くとか、
もっと他にやることがあるはずだ。
それに、4機全員が1機の集中攻撃に参加なんかしたら、残る3機が黙ってない。
あっという間に背後を取られる。リスクの方が大きい。
「掠りもしなかった」
言葉がなかった。
私たちが10人で挑んでも、蘭花には傷一つ付けられなかった。
その彼女を、さらに悠々と上回る存在がいる。
それが全国大会というステージ……。
「2ラウンド目は逆に、あいつらは月子を徹底的に無視した。
あたしら3機だけを叩きに来た」
それは、あの撃墜女王に背中を晒すことに他ならない。
それなのに。
「あっという間に2ラウンド目も取られ、あたしらは負けた。
……どっちもパーフェクトゲームだ」
ペットボトルを持つ蘭花の手にさらに力が籠もり、その音を響かせた。
「月子がいても、周りが弱ければこのザマさ」
「でも、でも!月子先輩には、あの技があるじゃないですか!」
一方で、ひばりの疑問も尤もだ。
「いい的だったよ。
空の上で動きを止めるんだ。必然さ」
解は、残酷なまでにシンプルだった。
『速度を捨てるな』という基礎の条文が、頭をよぎった。
「『消える女王』の対処法は、都希乃によって確立された。
もう、去年のようなマグレは起きねえ」
蘭花の鋭い目が、私たちを真っ直ぐ見据えた。
「あたしらが強くなるしか、ねえんだ」
なぜ蘭花が「チームで勝てる」ことに拘っていたのか、分かった気がする。
蘭花の語る全国制覇の夢。
それは同時に、去年の雪辱戦でもあった。
そして何よりも、撃墜女王に頼り切りの自分自身が許せなかったのだろう。
個の力では乗り越えられない壁が待ち受けている。
だから、チームの力が必要なんだ。
「確かに、月子は化け物だ。
だがあいつは、ゲームを楽しむあまりムラがある。
『1ラウンド目は遊ぶ』なんて、よく言われたもんさ」
蘭花が、また淡々と話を続ける。
「ゲームは楽しむもの。考え方が違うのかもしれませんね」
飄々とした、いつもニコニコした、
とても「強さ」とは縁遠く見える月子の姿を思い浮かべる。
確かに、勝敗に拘るというより、
「楽しんでいる」という言葉がピッタリだと思った。
みんながみんな、勝負に真剣なわけではない。
それは、バスケにおいても同じだった。
「本当にそうなら、あたしも何も言わない」
でも、蘭花の見立ては少し違った。
「あいつは、聖フィオーレに負けた後、泣いてたんだ。
一人で、トイレにこもってな。
初めてだったよ。そんなあいつを見たのは」
それは、何よりも意外な言葉だった。
「月子は、どこかで自分にブレーキをかけている。
あたしは、見たいんだ。
本気のあいつが、どこまで高く飛べるのか」
蘭花は、それ以上語らなかった。
珍しくその心の奥底を見せてくれた。
勝負への真剣さ。チームで勝つことへの拘り。
そして友への想い。
実力差も、勝負に挑む覚悟の差も。
私と先輩たちとの差はきっとまだまだ大きい。
それに、見据える目標も。
『那由多と再会する』ことが、私の生き甲斐だった。
そのために、レギュラーを取った。
でも、本当にそれでいいんだろうか……。
* * *
その後は何事もなく普段通り練習が終わり、
私たち大会メンバー4人は夕闇の中を歩いていた。
他の1年生たちは、やはり「片付けは私たちがやる」と残っていた。
「VR酔いの対策とかいって、公園の遊具ですっごい回されたんですよ!」
「それで酔わなくなったの?すごいね〜」
「意外と、効果ありました……」
「ハハッ。あいつらも、いいとこあるじゃねえか」
話題は、練習のこと、大会のこと、課題のこと。様々だ。
そんな中で。
「あ!」
「どうしたの?」
水筒を部室に置いてきてしまったことを思い出した。
「先に帰ってて下さい!」
「明日でいい。ほっといてやれ」
戻ろうとする私を、蘭花が止めようとした。
「でも……バイキン、出ちゃいますから!」
中身はただの水だけど、最近暑い日もあるし、気になってしまう。
来た道を1人で戻り、部室棟の廊下を歩く。
その先、まだ部室の電気が点いている。
片付けなら、もう終わっていてもいいはずだ。
「消し忘れたのかな」
近づくと、中から話し声が聞こえた。
思わず聞き耳を立てる。
「今のは、どうだ!」
「なっちゃん、前出すぎだって」
「いっちゃんと逆に下がりすぎだね~」
「私はどうだ!」
「かもちゃんは暴走しすぎ。もっと周りを見て」
「私は?」
「さくちゃんはあまり目立ってない」
中の様子は見えないけど、たぶん、みんなでゲームをしてる。
成田、市原、佐倉、鴨川がプレイヤーに、
香取、野田がサポートに回っているらしい。
みんなだけこっそり練習なんて。言ってくれれば付き合ったのに。
いきなり入って、みんなを驚かせてやろうか。
少し意地の悪いことを考えた。
「あんたたち、そんなんじゃまだまだ……」
でも……
「風咲に勝てないよ」
不意に私の名前が聞こえて、ドアを開けようとした手が止まった。
「まだやる?」
「当たり前だ!」
「当然よ」
「負けてたまるかよ」
ドアに伸ばした手を、そっと戻した。
人は平等っていうけど、そうじゃないことを私たちは知ってる。
選ばれた者と、選ばれなかった者。
そこには明確な差がある。
その差を埋めようと、必死で足掻く人たちがいる。
そんな当たり前の事実を、どこかで忘れていた。
いつからか彼女たちを「サポートメンバー」として見ていた。
彼女たちの厚意を当然に受け取って。
その裏にある努力や情熱に目を向けず。
蘭花は知ってたんだ。だから「ほっといてやれ」って。
私は、背負っている。
選ばれなかった人たちの思いを背負って、飛んでいる。
とっくに知ってたはずだ。
レギュラーって、そういうものだ。
自然公園の壁の前で、みんなを押し上げたときのズッシリとした感覚を思い出していた。
試合、勝たなきゃ。絶対に。
部室から漏れる明かりを背に、静かにその場を離れた。
背後から聞こえる僅かな喧騒が、どれだけ歩いても消えなかった。




