10話 あなたはきっと伸びるから
「どっちだ!」
みんなが心配そうに見下ろす中、成田さんが私の足元に座り込んだ。
手で左脚を示すと、成田さんがその足を靴ごと持つ。
「少し痛ぇけど、我慢しろ!」
そしてつま先を手前に押し込む。
悲鳴が出そうになって、あまりの痛さに何も言葉にならなかった。
足が攣るなんて、いつ以来だろう。
昔、先輩にこうやって治してもらったことを思い出した。
そういえば、こんなに長時間歩いたのもいつぶりだろう。
情けない。
「あ、ありがとう……」
少し落ち着いてきた。
もうしばらく経てば立ち上がって歩けるだろう。
でも……少なくとも歩行速度は落ちる。
1分1秒を争う状況なのに。
時間切れは明白だ。
こんなことで、おしまい?
せっかくここまで頑張ったのに?
……いいや、まだある。みんながクリアする方法が。
「みんな、聞いて」
心配そうに覗き込む顔を見回し、座ったまま声を絞り出す。
「この足じゃ、間に合わない。
私はここでリタイアします」
息を呑む音が聞こえた気がした。
互いに顔を見合わせている。
構わず、背負っていたリュックを引き寄せ、ポケットを漁る。
「私を置いて走って。それなら、まだ間に合うから」
携帯端末を取り出し、事前に伝えられた緊急連絡先を探す。
これでいい。
ここまで役目は果たした。もう、充分だ。
私のせいでチームが負けるのは、もう御免だ。
『お前のせいで負けた』なんて二度と言わせない。
那由多との約束は……
3年間あるんだ。
どうせ、叶うかどうかも分からない夢物語だ。
ゆっくり果たせば良い。
通話発信ボタンをタップ。
……しようとして、腕を掴まれた。
同時に、携帯端末を奪われた。
奪ったのは小鳥遊さんだった。
腕を掴んだのは、成田さんだった。
力が籠もっている。痛い。
その力がふと緩んだ。
「キャプテンが真っ先に諦めてんじゃねえよ」
その声は静かだった。でも、どこか怒っているようにも聞こえた。
「お前。さっき私になんて言ったか、覚えてねえのか。
全員でクリアしたいって。そう言ったじゃねえか」
「でも……」
「でも、じゃねえ!」
反論しようとする私に手を向け、制する。
「私が担ぐ。中学じゃ柔道部だったんだ。パワーには自信がある」
「1人じゃ無理だよ。私も手伝う」
「私も!少しだけなら!」
成田さんの言葉に、野田さんと鴨川さんが乗った。
「みんな、待って!私のことは……」
「ねえ、地図貸して!ここ!ショートカットできるかも!」
ひったくるように手にした園内マップを見ながら、香取さんが提案。
私の制止の声はスルーされている。
「危なくない?間に合わなくなったら」
「どっちにしたって、間に合うか怪しいでしょ!」
「それも、そうだね。じゃあ……」
香取さんと市原さんがルートについて話していると、
他のみんなも地図を覗き、話し合いが続いた。
「ここまでは私が担いで走る。ここと、ここは、頼む」
「おっけー!」
「任せて」
「最後の直線はまた私だ」
「せめて、荷物は持つよ!」
「私も!」
佐倉さんと小鳥遊さんが、私や成田さんたちのリュックを集めている。
最後に、みんなで決めたプランが私に説明された。
プランなんて大げさな言い方だけど、なんてことはない。
交代で私を背負いながら、
公園の遊歩道よりインコース側をゴールまでダッシュする。
ただの力技だ。
「このプランで行こうと思う」
みんながまっすぐに私を見つめる。
「キャプテン、許可を」
取るに足らないアイディアだと思ったのに。
なんでだろう、視界がとても歪んだ。
胸が熱くて声にならない。
「よろしく……お願いします」
何とか絞り出した声は、上擦って、とても震えていた。
油断すると、涙が決壊しそうだった。
* * *
「事故で主翼が片方折れても基地に帰還した戦闘機」
「何それ?」
「知らなーい」
「なんで知らねえんだよ。旧作やってねえのか」
「そんな昔のゲーム、やらないよー」
「それくらい履修しとけよ、まったく」
私を背に担ぎながら、走りながら、みんなが器用に会話している。
「お前の機体の元ネタの話だぞ」
成田さんが大きく背中を揺する。
私もそんな話は知らない。
「でも今の三条さんがそれだ」
佐倉さんがリュックを2つ小脇に抱えながら言う。
「作中では妖精ってあだ名だったな」
「じゃあ、三条さんのコールサインが決まったね!」
「やだよ!恥ずかしいなあ…」
妖精なんて柄じゃないよ、私は。
残り時間は3分を切っている。ゴールはまだ見えない。
それなのに。ピンチの状況のはずなのに、空気が軽い。
みんなが、どこか楽しそうだ。
* * *
15:59。
公園入口の芝生ゾーンにたどり着くなり、みんなが倒れ込むように寝転がる。
大の字になって大きく息をする。
私だけ楽をしていたので、息を切らせていない。
なんだか申し訳ない。
「入部してから……ずっと……走ってばっかり……何なのもう……」
香取さんが息も絶え絶えにボヤいている。
「どうだ!間に合ったぞ!」
成田さんが、猪ノ瀬先輩を睨みつけながら声を張り上げた。
でも転がったまま。
私を担ぐ時間が一番長くて、一番疲れてるだろうに、気丈だ。
「よくやったと言いたいが、最後に1つ」
猪ノ瀬先輩が私たちを見渡して、表情も変えずに言う。
この上、まだ何かやらされるのか。
憂鬱な気持ちになりながらも、みんなが先輩たちの前に集まった。
渡されたのは、紙とペン。
『今日、あなたは誰に助けられましたか?
自分以外に、2人挙げてね』
手書きの文字で、そう書かれていた。
課題の意図は薄々察しがついていた。
でも、メンバーをどうやって選出するのか気になっていた。
これでようやく合点がいった。
必要なのは『チームで勝てるやつ』だ。
つまり、チームに貢献した者は誰か。
それを他薦で見極めようということだ。
他の人に見られないよう、各々が離れた位置でペンを動かす。
とても迷う。
みんなに支えられて、この場所までたどり着いた。
できることなら、私以外の7人の名をこの紙に書きたい。
それでも、選べるのは2人だけ。
レギュラー争いの残酷さなんて、中学時代に散々見てきた。
枠が決まってるなんて、どの世界も同じだ。
今更語ることもない。ないはずなのに。
ペンが進まない。
そのあとも迷い続けた挙げ句、
リタイアを直接止めてくれた小鳥遊さんと成田さんの名前を書いた。
* * *
提出された紙を取りまとめていた先輩たちが、
しばらく後に、私たちに向き直った。
「……お前ら、いい面構えになったな」
少しだけ、口角が上がった気がした。
「上位2名を発表する」
猪ノ瀬先輩が一度、言葉を区切る。
固唾を呑み、次の言葉を待つ。
「三条。そして小鳥遊。
春大会は、この2名でいく」
「ええー!」
小鳥遊さんが跳ね上がるように立ち、驚きの声を上げた。
「私、操作もできないんですよ!」
猪ノ瀬先輩は大きく笑いながら、小鳥遊さんの肩を叩いた。
「技術なんざ、後からついてくる。お前には7票が集まった。
そういうことだ」
印象深いのは、第3ポイントでみんなの喧嘩を止めたこと。
みんなが一丸となったのは、明らかにそこからだ。
その後の細かな気配りもあって、みんなが選ぶのも納得だ。
私は……?
本当に、私でいいんだろうか。
ゲーム内ランクなら、市原さんや成田さんの方が上だ。
「三条。お前にも期待してる。
今日学んだことを見せてもらうぞ」
今日学んだこと……何の話だろう。
「やったな!」
成田さんが私の頭に手を置き、わしゃわしゃと動かした。
「あんたたちなら、大丈夫だね」
香取さんはまだ疲れた顔をしてるけど、座ったまま笑いかけた。
他のみんなも、私と小鳥遊さんを祝ってくれている。
……中学の頃、レギュラーが発表された後に、
悔しさに泣き出してしまった子たちを思い出した。
他人をお祝いするなんて、あのときは信じられなかった。
運動部と文化部の違い?
でも、吹奏楽部だって同じだって聞いた。
あまりにも雰囲気が違うから、
喜びよりも、戸惑いが前面に出てしまう。
「前に言った通りだ。選ばれなかった者にも役割がある。
月曜から覚悟しておけ。解散!」
1人また1人と帰路につく中で、私は朧谷先輩に呼び止められた。
「友達、会えるといいね」
何のことかと思ったら……覚えていてくれたんだ。
疲れてるせいもあって、咄嗟に言葉が浮かばなかった。
曖昧に返事する。
「大丈夫!あなたはきっと伸びるから。
一緒に頑張ろう!」
少し前に、朧谷先輩の腕前を見せつけられたばかり。
その彼女が言うと、なんだかとても頼もしい。
自然と、頭を下げていた。
「よろしくお願いします!」
* * *
ゲーム機を起動しても、もうあの子のアカウントはない。
『また一緒に飛ぼうね』
そのメッセージだけが残っている。
「那由多。来たよ、私も」
呟く。
私を暗闇から引き摺り出した恩人であり、
戦い方を教えてくれた師でもあり、
いろんなことを話した親友でもある、彼女に向けて。
あの日の約束に向けて、今日、大きな1歩を踏み出した。
いつどんな大会に、あの子が出るのか分からない。
そもそも1年生が大会に出ること自体が、有り得ないんじゃないか。
出たとしても、ブロックが違ったら延々とすれ違い続ける。
本当に再会なんてできるんだろうか。
それでも飛び続けて、あの子にもう一度会って……
会って、どうしよう。
久しぶり、って言う?
新しい目標をくれたあの子に、お礼を言う?
「アカウントを教えて!一緒に遊ぼう」って誘う?
なんだか、違う。
そもそも大会で再会したなら、敵同士だ。
悠長に会話なんてできない。
数ヶ月前。
あの子と飛びながら、他愛もない話を繰り返した夜々を思い出す。
胸が痛い。
運良く試合で再会できたとしても。
あの子を前にしたとき、私はトリガーを引けるのだろうか。




