08話 悔しいじゃん、そんなの
誰よりも泥だらけになりながら、
私たち7人を最後まで支えた成田さん。
なぜ彼女が最後の1人となることを買って出たのか、理解した。
自分には無理だと悟ったんだ。
地上から私たちを壁の上に送り出して、役割を全うしたら自分は去る。
最初からそのつもりだったのだろう。
もしかしたら、第3チェックポイントでの出来事を引き摺って、
彼女なりにけじめをつけようとしたのかもしれない。
成田さんが監督者の持つ端末に向き直る。
彼女が「リタイア」と言えば、壁の上の私たち7人がクリア。
成田さんはレギュラーメンバー選抜の対象から外れる。
クリアしたメンバーの誰かが、大会に出場する権利を得る。
つまり、確率が上がる。
レギュラーを狙う立場なら、こんなにおいしい話はない。
でも、それで良い?
良いはずがない。
さっき私たちは手を取り合って
「みんなでクリアしよう」って誓った。
リタイアなんて、させない。
「待って!」
叫ぶ声が重なった。
いつの間にか、成田さんのすぐ後ろに小鳥遊さんが立っていた。
さっきまで私の横にいたはずだった。
息切れで、肩が上下している。急いで駆け下りたんだ。
真っ先に、誰よりも速く。
「リタイア、しないで!」
小鳥遊さんが震える声で叫んだ。
成田さんが顔を背けている。
私たちも足場から地面に降り、成田さんを囲むように集まった。
集まったものの、どう声をかけるべきか迷ってしまう。
しばらく沈黙が続いた。
「選べ。選択肢は3つだ」
端末から、猪ノ瀬先輩の短い言葉が飛んだ。
「1つ。リタイアを受け入れ、7人のみクリアとするか。
2つ。成田がチャレンジを続けるか」
先輩が言葉を区切る。
「3つ。順番を入れ替え、全員で最初からやり直すか、だ」
* * *
「私がいない方が、仲良くやれるだろ」
成田さんは、力なく笑った。抑揚のない声。
自嘲のようにも聞こえる。
「私は、全員でクリアしたい」
私は成田さんの目をまっすぐ見つめて、告げた。
「なんでだよ」
どうしてそう思うのか、うまく言葉にならない。
でも確かな理由が、胸の中から溢れてくる。
「私たちが登れたのは、成田さんが支えてくれたからだよ!」
小鳥遊さんの叫び声が、止まった空気を震わせた。
彼女の瞳は薄っすらと潤んでいる。
第3ポイントで見せた演技とは違う。
成田さんのリタイアに、本当に心を傷めている。
小鳥遊さんの言葉に、私も続く。
「今度は私たちが返す番だよ」
気の利いた言葉は出てこない。
でも、この気持ちだけは伝えなくては。
成田さんの手を取る。
冷たく、そして少し震えていた。乾いた土が触れ、ざらざらした感触があった。
「こんなに泥だらけで頑張ってくれた人を、
置いていけないよ!」
もう一度、成田さんの目を見て訴えかける。
「そうそう。今更1人だけ置いてけないし」
香取さんが短くため息をついてから、口を開いた。
「あんたは嫌なヤツだったけどね」笑いながら、冗談っぽく付け加えた。
重苦しい空気が少しだけ、和らいだ気がした。
「変な課題を散々やらされてきた仲間でしょ、私たちは」
「何だかんだ、みんなでうまくやってこれたし」
「1人でカッコつけるなって」
「終わったらさ、アカウント教えてよ。一緒にゲームしよ」
佐倉さん、野田さん、鴨川さん、市原さんが、次々と声を掛ける。
「最後まで、一緒に頑張ろうよ!」
小鳥遊さんの言葉は、どこまでも真っ直ぐだ。
3つの選択なんて、考えるまでもない。
私たちの解は、最初から1つだけ。
「全員でやり直す。みんな、それでいい?」
みんなに呼びかけた。
「待て、私は……」
反対の声を上げたのは、成田さんだけだ。
その声は、少し震えている。
「1人で跳ばせるなんてことは、させない。
順番を入れ替えて、一番安定する位置で、あなたを引き上げる」
もう一度、真正面から成田さんを見据える。肩に手を添える。
「怖かったら目を瞑ってても大丈夫。
それでも、成功させる」
「なんで、そんなに……」
成田さんの声が、途中で途切れた。
「あの先輩たちに、見せてやろうよ。私たちはこんなもんじゃないって!
それに……」
胸中から、言葉が飛び出してくる。
「レギュラー、なりたいんでしょ?じゃあ私たちはみんなライバルだ。
そんなみんなのことを、先輩たちに悪く言わせたくないよ。
『やっぱりあいつらには無理だった。チームで戦えないダメな奴らだ』なんて
絶対に言わせない!
悔しいじゃん、そんなの!」
胸の奥から出てきた思いは、出し切ったんだと思う。
気がついたら、私も息を切らせていた。
成田さんが俯き、震えている。
「わかった。頼む」
ポツリと、声を絞り出した。
振り返り、みんなに呼びかけた。
「成田さんを4番目に。上と下の人員をフル活用します。
それに併せて、順番を少し変えるよ!」
「いえっさー!キャプテン!」
いつの間にかキャプテン呼びされている。
いちいち否定するのも躊躇われ、苦笑いしてしまう。
「分かった」
画面越しに、腕を組んだまま猪ノ瀬先輩が言葉を投げる。
口角が少し上がって見えた。
でもすぐに、いつもの険しい表情に戻った。
「ただし、残り時間は22分。
時間までに戻らなければ、全員、大会には出さない」
「ちょっと!何言ってるの!」
画面の奥の方で、朧谷先輩が慌てている。
「そんなこと言って、大会はどうするの!」
「そのときは、また3年生に頭を下げに行くさ」
「ええー……大丈夫かなあ」
「信じてやるのも先輩の務めだろ」
先輩同士のやりとりの後、改めて画面から指示が飛ぶ。
「さ、仕切り直しだ。お前らの力を見せてみな」
* * *
恐怖症の程度はわからないけれど、
下さえ見なければ良い、というのは1つの解のように思える。
それに成田さんは7人の成功事例を間近で見ている。
いけるイメージ自体はあるかもしれない。
その上で成田さんを、一番安定する位置で通す。
頼れるブーストを手放すことになるけど……
「あとは、頑張るしかないね」
地上側の人員は気合の見せどころだ。
成田さんを4番目に配置。
1、2番目は野田さん、市原さんで変わらず。
3番目に鴨川さんを配置し、引き上げの力を強める。
5番目の香取さんも順番は変わらず。
運動が苦手な彼女にも、安定するこの位置で登ってもらう。
ブーストが2人になってしまうタイミングで、
最も軽い小鳥遊さんを6番目に置く。
7番目は、先程の成功経験のある佐倉さん。
そして最後は、私。
「本当にいいの?怪我は?」
市原さんからの問いには、すぐには答えられなかった。
深呼吸。2、3秒迷ったが、覚悟を決めた。
「本当はね、怪我そのものは治ってる。
お医者さんも運動に支障はないって。
でもね、走れないのも本当」
私の事情をさらけ出すつもりは、もともとなかった。
他人が聞いても仕方がないことだし。わざわざ言うまでもない。
でも、話しておきたいと思った。
「たぶん恐怖症なんだ。走ったり、跳んだりするのが」
私自身の覚悟も示さないと、フェアじゃない。
「試合中に、シュートしようとして跳んだ。
着地の位置に、相手チームの1人が転んでいた。
それを避けようと変な着地をして、そのときに膝を……」
走ろうとすると、その瞬間が脳裏をかすめる。
……ついでに、そのあとの出来事のことも。
すると足も動かないし、貧血みたいになる。
「恐怖症って、尚更ダメじゃない!」
鴨川さんの言葉に、私は首を振った。
「だから、私じゃないとダメなんだ。
人には『大丈夫』って言っておきながら
自分は『できません』なんて。そんなのズルだよ」
震えそうな声を落ち着かせながら、みんなの顔をまっすぐに見つめた。
せめて同じ痛みを背負う。同じ覚悟を決める。
そうでないと、ここに立つ資格はないと思った。
「ランニングの日に、保健室に運ばれてたじゃん。
本当に平気?」
「怖いよ」
身体も震えている。両方の肘の上に手を置き、押さえつける。
「ちょっと助走をつけて、ジャンプするだけ」
ここでも深く息を吸い、長く吐き出し、自分に言い聞かせる。
「あの頃ほど跳べるかわからないけど、やってみる」
みんなを見回して、さらに続ける。
「でも……怖いから、絶対に引っ張りあげて!」
恐怖をかき消すように、叫んでいた。
一瞬の静寂のあとに
市原さんも野田さんも「任せて」と言ってくれた。
「絶対、掴んでやる」と、成田さんも応えてくれた。
他のみんなも力強く頷くのが見えた。
「さあ、行こう!」
全員で壁に向き直る。もう、迷いはない。




