カルテ 04 嵐の前の静けさ
昼休憩を終えた一行は、再びフェリアの町を目指して歩き始めた。
木々の影が続く中を進む。木漏れ日が差し込み、風が葉を揺らして心地よい音を立てている。
「ねえ、レオン。フェリアに着いたら、先にギルドの人と会うんだよね?」
「ああ。支部を立ち上げるために派遣されたやつがいる。たしか、もう町には入ってるはずだ。」
「今回報告された魔力の揺らぎ……そのことも聞けるんだよね?」
ニーナの声には慎重な色が混じっていた。ただの確認ではない。情報の齟齬があれば、それが命取りになるのを彼女はよく知っている。だからこそ、レオンに念を押すように聞く。
「ああ。ダンジョンの構造も、魔物の種類もまだ未確定だが――魔力量は、相当大きいって話だ。おそらく、大型ダンジョンだろうな。」
レオンは、先日別の町で再会したA級パーティーの顔なじみを思い出していた。彼らもフェリアに向かうと言っていた。となれば、現地で顔を合わせる可能性は高い。もしかすると、その夜には酒場で一杯――そんな予感すらある。
「……編成も、その場で決める感じ?」
「そうだな。顔ぶれを見て、現地の状況を聞いてからだ。うっかり先走って混乱を招いちゃ意味がない。」
その言葉の奥に、過去の苦い記憶がよぎる。
数年前、ある若い冒険者の一団が、ダンジョンが発生したかもしれないと言う噂を聞き、ギルドによる調査が入る前に勝手に未確定のダンジョンに突入した。魔力の揺らぎはまだ不安定で、ダンジョンフロアは定着していなかった。結果、彼らは初手のフロアを探索中にダンジョンごと崩壊に巻き込まれ、誰一人戻ってこなかった。
以来、ギルドでは魔力の安定数値を見極め、ダンジョンが「定着」したと判断されるまで、一般の冒険者の探索を認めない方針が定められた。ギルドが依頼した調査隊を送り込み、コアの定着を確認する――それがセオリーとなった。
「ふーん……なんだか、本格的になってきたね。」
「まあ、ダンジョンができただけで、町の空気はがらっと変わるからな。慎重にいこうぜ。」
ダンジョンが生まれれば、そこから得られる素材、アイテム、情報が流通し、交易が盛んになる。冒険者だけでなく、商人、錬金術師、学者までもが集まり、町が潤う。
同時に、そこには危険が伴う。だからこそ、自分たちのようなダンジョンハンターが必要とされるのだ。慎重に、しかし確実に――それがレオンの中で育った信念でもあった。
「……あの、レオン。顔色、あまり良くなさそうだけど……大丈夫?」
ユルクが、心配そうにレオンの顔を覗き込んだ。
小柄な体を少し持ち上げるようにして、上目遣いで見つめてくるその瞳に、レオンは思わず苦笑を浮かべる。
「うわっ、ほんとだ」
ニーナが隣から覗き込んでくる。
「……凄い汗。滝行でもしてきた?」
レオンの額を指差し、じと目で汗を見つめる。
「え? あー……言われてみりゃ、なんか胃がムカムカするような……?」
レオンは頭を掻きながら、軽く言った。だが、その声はどこか頼りなかった。
「ね、念のためにポーション、飲んでおいたほうがいいと思うよ……?」
ユルクが慌てて腰のポーチをごそごそと探り始める。
そんな様子をよそに、ニーナが腕を組み、鋭い目でレオンを睨みつけた。
「あのさ、昼に拾って食べてたキノコ……あれ、やっぱり悪いほうの当たりだったんじゃないの?」
レオンは少しのあいだ沈黙し、開き直ったようにどこか誇らしげな顔で笑った。
「まあまあ、あの美味しさを味わうのに比べたら、ちょっとくらいのムカムカなんて誤差だろ? ……いつもより来るの遅かった気はするけどさ」
そう言って、慣れたように腰のポーチから使いかけのポーションを取り出す。
「こうやって念を入れて……っと。飲んどきゃ平気平気!」
瓶の口を勢いよく開け、一気に中身をあおった。
その様子を、誰よりも静かに見つめていたガルド。
黙ったまま、腕を組み、じっとレオンを睨んでいる。
無言なのに、その目がすべてを物語っていた。
——何やってんだお前。
レオンはその視線に気づいたのか気づいていないのか、飲み干した瓶を口元から離し、ふう、と満足げに息を吐いた。
「よし、たぶん平気だ。……たぶん、な」
静かな森に、ニーナの溜息だけが響いた。
――――
太陽が森の向こうへ沈みはじめる頃には、今夜のための最後の野営地を見つけていた。焚き火を囲み、それぞれが慣れた手つきで夜の支度を始める。
ユルクは、小さな鍋の中を木べらで丁寧にかき混ぜながら、香りを確かめるようにそっと鼻を近づけた。そして、彼の目線が、丸太に腰掛けてぼんやりと焚き火を見ている、レオンへと向かう。
ユルク(ややおずおずと)「あの、レオン。今日はお腹に優しいスープ、作ってみたよ。胃に効く薬草を煮込んだから、飲んでみて……?」
「……あの、レオン。今日はお腹に優しいスープ、作ってみたよ。胃に効く薬草を煮込んだから、飲んでみて……?」
薬膳スープは木の器に注がれ、湯気とともにほのかに甘くて苦い草の香りが立ちのぼる。ユルクはそっとそれを差し出した。
「うっ……ありがとな、ユルク。正直ちょっと匂いがアレだけど……今日は、なんか、素直に飲んどいた方が良さそうだ……」
レオンはちらりとポーチの中をのぞき込み、ポーションの瓶に指をかけてから、スープを一口すする。微かな渋みが口の中に広がり、少しだけ顔をしかめながらもゆっくりと食べ始める。
その様子を見たニーナが、少し離れたところで目を見開いた。すぐさまガルドの腕を肘で小突き、小声で囁く。
「えっ、レオンが薬膳スープを黙って飲んだ!? 明日、空から槍でも降ってくるんじゃない?」
「……どんな毒物でも臆しないあいつが……よっぽどだな」
ガルドは驚愕、といった感じでしみじみと呟く。
「……あんまり体調悪いと、文句言う気力も出ねぇんだよ……」
そう恨めしそうにぼそりと呟くレオンに、ユルクは小さく笑って、もう一つの鍋から香ばしい香りを漂わせながら肉料理を盛りつけていた。
昼に残った肉をニーナの保存魔法で鮮度を保ち、丁寧に火を通し、香草をふわりとあしらっている。
「こっちは、ニーナさんが魔法で保存してくれたお肉。火は中まで通ってると思うけど……念のため、確認して、美味しく食べてね」
「保存魔法の精度、上がってきたでしょ? ただ腐らないだけじゃなくて、鮮度もちゃんと保ててるんだから」
ニーナが得意げに言うのを横目に、レオンは黙ってもう一口、薬膳スープをすする。空は群青に染まり、焚き火の明かりが、揺れる影と共にやわらかい光を落としていた。
――――
虫の声が遠くから響き、空には星がちらほらと瞬きだした頃。
レオンが寝袋の中からうめくように体を起こし、腹を押さえて顔をしかめる。
「うーん……やっぱ来たか……」
もそもそとポーチを手探りし、冷たいガラス瓶を取り出す。
「ま、こうなることもあるか……んっく、これでひとまず――ん? ちょっと重いな」
瓶を傾けて口に流し込む。しかし、いつもならすぐに感じるはずの“すっとした”感覚が今日は妙に鈍く、胃の不快感はまだ居座っていた。
「……おかしいな。あんま効いてねぇ……?」
腹の奥から、ごろごろ、と小さく震えるような音。
レオンは瓶を握りしめながら、小さくため息をつく。
「……連続で飲むのはやべーって、わかってんだけどな……緊急ってことで、一応……もう一本……」
星を見上げるように一瞬だけ空を仰ぎ、再びポーチをまさぐった。
結局、時間を空けてさらに二本――今日で計三本のポーションを口にする。
*
深夜。野営地の外れ。澄んだ空気の中、森は静まり返っていた。
レオンは茂みの影でしゃがみ込み、しばらく沈黙のまま過ごす。やがて、少しずつ体が楽になってくる。
立ち上がり、腹をさすりながら息をついた。
「ふぅ……ようやく落ち着いた。失った体力も、朝にはケロッと治ってるさ」
空を見上げると、雲の切れ間から満月が顔をのぞかせていた。その光が、静かにレオンの背中を照らしていた。
翌朝、レオンは静かに目を覚ました。
寝袋の中から上体を起こし、大きくひとつ伸びをする。
昨日まで悩まされていた胃の不快感は、嘘のように消えていた。腹痛も、吐き気も、冷や汗もない。
「……やっぱり、いつもの食あたりだったか」
そう呟いて、彼は口元に笑みを浮かべた。
「レオン、大丈夫なの?」
近くで荷物をまとめていたニーナが心配そうに声をかけてくる。
「ああ、もう大丈夫だ。むしろスッキリしたぐらいだ!」
「ならいいけど……ほんと、心配かけさせないでよね」
レオンは軽く肩をすくめて笑い、準備を整え始めた。
――――
町の入り口にたどり着いた頃には、陽は高く昇っていた。
人影はまばらだが、のどかな空気が漂う、小さな町だった。
一行は門前を通り抜け、通り沿いに並ぶ店の看板を見上げながら進む。
その中で、レオンの足取りは明らかにおかしかった。
時折ふらつくように歩き、額に滲んだ汗を手の甲でぬぐう。
視界には薄いモヤがかかり、まるで酒を飲み過ぎたときのように頭がふらつく。
地面がゆらゆら揺れているような錯覚に、思わず目をしかめた。
「酒も飲んでないのに、何だか……」
彼の呟きを聞き取ったニーナが、すぐ隣に歩み寄る。
「もしかして、ポーションの効きが悪いんじゃない? 飲みかけを後で飲むと、鮮度落ちてるって前にも言ったでしょ」
ユルクも心配そうに後ろから声をかける。
「ま、町に着いたら新しいの買いに行こう! 薬屋さんなら、品質のいいポーションもきっとあるよ」
ガルドはレオンの顔を見て、低い声ではっきりと言う。
「……顔色、本当に悪いぞ。一旦、宿で横になったほうがいい」
「平気平気、ちょっと長旅で疲れてるだけだって。心配すんなよ」
レオンはへらっと笑って、手をひらひら振る。
だが、仲間たちの彼への不安は募る一方だった。
――――
やがて一行は、町の中心にある宿へとたどり着いた。
それぞれ手続きを済ませ、荷物を預ける。
広間でひと息ついたところで、レオンが皆に声をかける。
「一旦解散にして、日暮れにまた集合しよう。前に聞いたんだが、うまい料理と酒を出す店があるってさ」
その言葉を残し、彼はふらつきながらも笑顔のまま階段を上がっていく。
仲間たちはその背を見送ったまま、しばし無言だった。
「……ほんとに、平気なのかしらね」
ニーナが小さく呟いた声は、誰にも否定されることなく、静かに空気へと溶けていった。
――――
時間になってもレオンは現れない。
「ニーナさん、レオン……時間になったけど来ないね……」
ユルクが不安そうに声を落とす。
ミーナは腕を組み、少し眉をひそめた。
「うん……ちょっと変よね。それに、さっきのあの様子……」
彼女の脳裏には、宿で別れたときのレオンの姿が浮かぶ。朝は元気そうだったが、町についてからふらつく足取り。力なく額の汗をぬぐっていた手。普段なら軽口の一つでも返す彼が、妙に大人しかった。
「なんだか、すごく無理してる感じだった……。大丈夫かな」
ユルクが顔を伏せ、つぶやいた。
「どうしようガルド……なんか、イヤな感じがしてきた……どうすべきかなぁ」
ミーナが縋るように声をかけると、ガルドは落ち着いた声音で答えた。
「一旦落ち着け、ニーナ。ユルク。レオンは“平気だ”とは言っていたが……たぶん、あれからずっと部屋で寝ているはずだ」
その言葉に、ユルクがはっと顔を上げる。
「……すぐ、様子を見に行こう!」
*
宿の店主に事情を説明し、レオンの部屋の扉の前へ。ノックしても返事はなく、店主が合鍵を使って扉を開けると、部屋の中に重い空気が流れ込んできた。
布団の上には、案の定、レオンがぐったりと横たわっていた。
汗に濡れた髪が額に張りつき、顔色は青白い。全身が小刻みに震え、目は半ば開いたままだが焦点は合っておらず、唇はわずかに動いている。
「……に……に……なん……で……」
うわごとのように繰り返している。
ミーナが駆け寄る。
「レオン!? 大丈夫!?しっかりして……!」
ユルクも慌ててポーチからポーションを取り出す。封を切ろうとしたその瞬間、ミーナが彼の手を掴んで止めた。
「待って、ユルク! 飲み過ぎてる!」
床に転がるポーションの空き瓶が目に入る。四本。昨日も何本か飲んでいたはず……
――明らかに異常だった。
「え……これ、ぜんぶ……?」
ユルクが呆然とつぶやく。
ミーナも顔をしかめてつぶやいた。
「昨日も飲みかけとはいえ、三本飲んでた……合わせて七本よ。さすがに異常よ……」
「……ポーションの副作用かもしれん。もう頼るのは危険だ」
険しい顔でガルドが言い放つ。
そのとき、宿の店主が口を開いた。
「ならば、ルークの倅がやってる薬屋に連れて行け。案内する」
「薬屋……?」
ミーナが目を見開いた。ありえない、といった表情で店主につめよる。
「レオンはポーションの飲みすぎでこうなってるのよ! さらにポーションなんか飲んだら、魔力の過剰摂取で中毒死してしまうかもしれないのよ!」
声が荒くなる。焦りと不安が混ざり、感情のコントロールが利かなくなっていた。
ガルドが彼女の目を見て、低く、落ち着かせるように言う。
「ミーナ、落ち着け。ルーク……確か、昔のなじみだ。冒険を引退して、妙な薬屋をやってるって話を聞いていたが……そうか、あのルークの倅なら、信頼できるかもしれん」
彼はそう言うと、何のためらいもなくレオンの体を担ぎ上げた。重そうに見えた体が、彼の腕の中では驚くほど軽々と持ち上がった。
「俺が連れて行く。その薬屋に案内してくれ」
ミーナが叫ぶ。
「正気なの!? まだポーションを使うつもりなの!?」
ユルクが彼女の肩に手を置き、必死な声で言った。
「ニーナさん、今は……ガルドさんを信じよう」
店主は一刻を争うと、すぐに動き出した。
「こっちだ、ついてこい!」
最後までお読みいただきありがとうございました!
面白い、レオンの安否が気になる!と思ったら、いいね、高評価、フォローお待ちしてます!




