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カルテ 02 ロゼ婆さんの 噂話

見に来てくださって、ありがとうございます。

ブックマーク、フォロー、いいね、高評価、本当に励みになっています。

この物語が、あなたのひとときの癒しになれたら嬉しいです。

それでは、どうぞ!

診療所の扉が、カラランと鈴の音を立てて開いた。

 

 その音に続いて、重たく引きずるような足音が近づいてくる。どこか不自然なリズム。杖をつかずに歩こうとしているせいか、片脚に重心が偏っている。おまけに、足を踏み出すたびに微かに息が混じる。


 

 ノアは手元の帳面に印をつけながら、ふと口元を緩めた。


 

 ――なるほど、こりゃ腰をやったな。となると、うちに来る常連の中で思い当たるのは……。


 

 椅子から腰を上げ、顔を向ける。やはり。


 

「まったく、ロゼさん。あんた、また無茶してきたな」


 

 予想は的中。扉の向こうに立っていたのは、町の酒屋を営むロゼだった。普段よりも動きが慎重で、口元にかすかに痛みを堪える色が浮かんでいた。それでも表情は崩さず、いつものように朗らかな笑みを浮かべている。片手を腰に添えているが。


  ノアはすぐに駆け寄り、肩をかした。

 

「ちょいと腰をやっちまってね。いやあ、歳は取りたくないもんさねぇ」

 

「そのセリフ、先月も聞いたな。……まったく、あんたの辞書には“安静”って言葉が載ってないのかい。さ、こっちに。歩くのも億劫そうじゃないか」


 

 言葉とは裏腹に、ノアの手つきはやさしい。そっと腰を支えながらゆっくりと診療台まで伴うと、彼は相手の顔色を伺う。案の定、右腰に軽い炎症が起きている。苦笑いでごまかしてはいるが、目元にじんと汗が滲んでいる。これは、ただの打ち身じゃない。 


 

「体は正直だ、口でごまかしても無駄さ。……横になれるか?」


 

 彼女がうなずくと、ノアは腰に手を当てる。 


 

「ほら、深呼吸して。そうそう、いい感じだ」


 

そっと手のひらを当てた瞬間、視界の隅に“それ”が浮かんだ。神の目は、肉体の異常を色で示す。右腰、淡い赤。組織の炎症――軽度だが、放っておけば厄介になる。

 

掌を滑らせながら、周囲の筋肉の硬直を確認する。彼の指先はまるで昔からその腰を知っているかのように、迷いがなかった。


 

「ここかい?」

 

「うん、そこ……うん。あぁ、そう、そこだよノア。あんたの手は魔法みたいだよ。触れてるだけで、さっきの痛みが嘘みたいだねぇ」


 

「……魔法じゃなくて経験と腕だよ。

ふむ、やはり軽い捻挫だな。さては、酒瓶に喧嘩でも売ったか?」


 

 軽く皮肉を返しつつ、ノアは薬棚から数種の瓶を取り出し、即席で温感タイプの塗り薬を調合。マッサージしながら患部に塗り込んでいく。


 

「ほら、深呼吸して。そうそう、いい感じだ。無理して笑わなくていい」

 

「ふぅー……ありがとねぇ、ノア。あんたがいてくれて助かるよ、まったく」


「ま、ゆっくり横になりな。話はそれから」


 

 しばらくして塗布を終えると、ノアは瓶詰めにした薬を渡した。


 

 「これ、一日二回。腰があったまる頃には、痛みも抜けるはずだ」


 

 ロゼおばあちゃんは瓶を受け取り、じっと中身を見つめる。琥珀色の液体が光に透けて、小さな宝石のように揺れていた。


 

 「うんうん……ありがとよ。……あ、そうだそうだ、ノア」


 

 瓶を懐にしまいながら、急に声の調子を落とす。その顔つきは、まるで隠し事を持ちかける子どものようだが、目だけはしっかりと年季の入った商人のそれだった。


 

 「ついでっちゃなんだけどね――ちょいと耳を貸してくれないかい」


 

 ノアは椅子に腰を落とし、肘を膝にかけて腕を組んだ。いつものように静かに相手を見る。聞くべき話かどうか、すでに雰囲気で察していた。


 

 「……で、何を嗅ぎつけた?」


 

 ロゼはニヤリと笑い、まるで手品の種を明かすような口ぶりで囁いた。


 

 「あたしんとこに来る流れの冒険者がね、ぽろっと言ってたのさ。どうやら、この辺に“新しい穴”が開いたんじゃないかって。……ダンジョンさ」


 

 ノアは片眉をわずかに上げたが、それ以上反応を見せなかった。代わりに、ゆっくりと背もたれに体を預ける。


 

 「……ふうん。まだその話、他じゃ聞かないが?」

 

 「だろうね。あたしも“まだ出回ってない”から教えてるのよ?うちの店じゃ酒がよく売れるし、冒険者の口も軽くなる。あたしゃ、そういう話を聞き漏らさないのが特技でねぇ」


 

 言いながら、ロゼは一つ肩をすくめた。酔いと情報、どちらも手慣れた商売道具だ。

 

  ノアは鼻で笑い、軽く頭をかいた。


 

 「……ったく、腰が痛いって来といて、口はしっかり動くんだな。まあいい。話は預かっとくよ」


 「ふふ。あんたの“預かる”は、本当は“調べる”だろうに」

 

 ロゼの老獪な笑みが、湿った午後の光に溶けてゆく。その視線の鋭さに、ノアも一つ息をついた。


 

 

 ふっと口元を緩める。笑うというより、腹の底で何かを静かに認めたような、柔らかな仕草だった。


 

 「さすがはロゼさん。……ありがたい話だ。もしもそれが本当なら、こっちの準備もしておかないと、しばらく賑やかになるな」


 

 窓の外では、午後の風が店先の薬草を揺らしていた。古びた木枠が、かすかにきしむ音を立てる。その中で、ロゼは腰に手を当ててにやりと笑った。


 

 「そういうこったね。あたしの腰ももたせなきゃ、仕込みどころじゃないし」

 

 「まったくだ。あんたの仕込みが間に合わなきゃ、冒険者も酔えやしない」


 

 ふたりの笑い声が、診療所の静けさに優しく混じる。ロゼおばあちゃんは椅子の背に手をかけ、ひとつ深く息を吐いてから、ゆっくりと立ち上がろうとした。


その動きを待たずに、ノアがひょいと肩を差し出す。もう何度目になるか分からない、馴れた手つきだった。


 

 「……ったく、また痛めたら今度は尻に打つ薬を出すぞ?」


 「いやだねぇ、恥ずかしいったらありゃしないよ」


 

 ロゼは笑いながら、まるで重さを感じさせぬ足取りで玄関へと向かう。けれど、ノアの手が支えていることに気づかぬふりをしたままだった。薬草の香りの残る空気をまとい、扉の前まで来たところで、手をかけると――



 カララン。


 

 木製の扉の鈴が軽やかに鳴った。音は風に乗り、午後の診療所に小さな余韻を残す。


 

 ノアは椅子に戻りながら、その背中を目で追った。ふと、ロゼが残していった“贈り物”のような情報を思い出す。胡散臭くもあり、どこか懐かしさのある、火種のような匂い。



 噂とは、流れる前が一番香る。


 

 彼は椅子の背に手をかけ、軽く息を吐く。


 

 「……さて。賑やかになる前に、準備でも始めるか」


 

 その声は誰に向けたでもなく、ただ静かな決意として部屋に落ちた。陽が傾きかけた診療所で、薬瓶の光が、わずかに揺れていた。




 ――――



  「は〜、腹減ったな。なあ、今日は晩メシ豪華にしようぜ?そろそろ獲物の匂いがしてもいい頃なんだけどなあ〜……」

 

先頭を行くレオンが、ぐいと背伸びをしながら口を開く。鍛えられた背に剣を負い、軽口は多いが足取りには無駄がない。

 ……食材の在処を探ろうと鼻をひくひくさせているのが残念だが。


  「またそれ? 朝も同じこと言ってたわよね」

 

 ミーナが呆れたように眉を寄せる。長いローブの裾を翻し、長い両耳を風に澄ませている。緊張感のないリーダーの相手をしながら、常に周囲の音と魔力の揺らぎを探っていた。


 「レオン、それ人間の嗅覚じゃないよ……」

ユルクはぼそっと言いながら、腰の薬草袋をなでている。シーフであり、索敵と罠の専門家でもある、若く俊敏な彼は、自信なさげな声音とは裏腹に、軽やかな足取りで皆の背を追いながら、時おり道端の薬草に視線を落とす。


 「気を抜くな。獣の気配は音の陰に潜む」

 

  短く、低い声が後方から響いた。列の後ろから歩を進めていたのは、斧と盾を背負ったドワーフ、ガルド。

 

 厚い胸当てに覆われた体はがっしりと締まり、背丈は低いが、並んで歩くだけで地面に響くような安定感がある。長く戦場を生き抜いてきた、頼れる戦士である。


言葉は少ないが、一つひとつに重みがある。レオンの背中と、ユルクのそわそわした手元に目をやると、小さく息を吐いた。


「油断が死に繋がる道だ。獣は、そういう時を好む」


 「う、うん……ごめん、ガルドさん。あの、でも……毒消しのクラメリア、見つけたのはほんとで……」


彼は両手で小さな青葉を掲げながら、おずおずと視線を上げた。


 ガルドはちらりとユルクを見たが、何も言わず、その頭をぽんと一度だけ軽く叩いた。




風の通り道、コリュヴェールの丘。そのなだらかな稜線を、四人の冒険者がゆるやかに進んでいた。


 彼ら四人は、王都でもそこそこ名が通っているダンジョンハンターである。依頼を受け、新たな魔力の揺らぎが観測された場所へ向かうのが、今回の任務。


パーティー名は〈星喰いのスターヴォア〉。名付け親はレオン――食に貪欲な中堅冒険者で、星が落ちても丸かじりしそうな悪食さから来ている。もちろん、冗談半分だったが、響きの良さでそのまま定着した。


魔力の揺らぎ——それは、まだ誰の地図にも載っていない新たなダンジョンの誕生を告げる兆し。放っておけば、スタンピードが起き、魔物が地上に溢れ、瘴気が土地を蝕み、人の住まう町が脅かされる。


彼らの役目は、その兆しを察知し、調査すること。脅威の度合いを見極め、必要に応じて攻略隊を編成し──ときに討ち滅ぼし、ときに封印する。

危険が少ないと判断されれば、迷宮は冒険者たちに開放され、良質な稼ぎ場となる。

そうして多くの町や村が守られ、経済が潤い、発展を遂げてきた。


 陽気に鼻歌を歌うレオンの隣で、ミーナが警戒を怠らぬ目で周囲を見回す。空は晴れて、空気は乾いている。だが、その緩やかな時間は、ふとした気配で一変する。


「……風、止まったわね」


 ミーナが足を止め、ローブの裾を軽く押さえた。周囲に目を配りつつ、そっと手を掲げて気配を読む。


レオンが静かに振り返る。「見えたか?」


ミーナはうなずき、指をすっと前方の林へと向けた。

 

 「前方、二百五十メートル。単体、接近中。たぶん、トゲイノシシ」


空気が一瞬、緊張で固くなる。

 猪型の魔物で、その突進力と俊敏さから、初級冒険者にとっては天敵とも言える存在だ。

 全身を硬質な毛で覆われ、その一本一本が針のように鋭い。突進の際には風の魔力をまとい、突風のような勢いで標的に迫る。その速度は、目にも止まらぬほど。

 真正面からまともに受ければ、厚い盾すら貫通する。


……だが、レオン達にとっては待ちに待ったご馳走でもある。


その獰猛さとは裏腹に、調理すれば驚くほど美味。

 特に魔力を帯びた筋肉は火を通すとほろりと崩れ、香ばしい風味とともに独特の旨味が口いっぱいに広がる。内臓も珍味として重宝され、牙や針毛も素材として市場に流れる。

 討伐に成功すれば、収入と食の両面で“当たり”の魔物だ──それを知っているからこそ、無謀な若者が狙いに行くのも後を絶たない。


「皆、配置につけ」


 レオンの低く落ち着いた声に、三人は一瞬で動いた。


  「俺が前に出る。ガルド、後方から崩れを抑えろ。ミーナは援護、ユルク、左側の木陰に罠を一つ。斜面を利用して誘導する」


「「「 了解 」」」

 

 その声に迷いはない。判断は的確で、指示は無駄がない。初めて見る者なら、ただただ頼れるリーダー、百戦錬磨の剣士と映るだろう。


だが、いつも彼の背を見てきた仲間たちは気づいていた。──いつもより一段、真剣だ。


言葉の端に、目の奥に、剣を握る手のわずかな力みに、それは滲んでいる。

 ああ、これは本気だ。逃がす気なんてさらさらない。

 全員が、ほぼ同時に思った。

 

 ――食い意地、張ってるな。

 

 レオンの視線の先には、突進の構えを見せるトゲイノシシ。もう、頭の中は焼いた肉のことでいっぱいに違いない。

 けれど同時に、それが狩りにおける彼の集中力の極みであることも、皆、よく知っていた。



 

 

それから数十秒。

 張り詰めた空気のなか、風が林を撫でる。葉がざわめき──地を蹴る音が、確実に近づいてくる。


 「来るぞ……!」


 ガルドが低く唸るように言ったその瞬間、獣が飛び出した。


 全身を硬質の針毛と、甲殻のように分厚い皮膚に覆われた魔物──トゲイノシシ。

 咆哮とともに、巨体が一直線に突き進む。風を裂き、地を震わせる突進はまさに「猪突猛進」の具現。木々の間を押し分けるようにして、風圧すら巻き起こしながら迫ってくる。


 「今だ、ミーナ!」


 レオンの号令と同時に、ミーナの詠唱が短く響く。風が巻き起こり、魔法の奔流がイノシシの胴体に直撃。巨体がわずかに揺れ、体勢が乱れる。


 「罠、かかった……!」


 木陰からユルクの声が上がる。素早く的確に仕掛けた罠が、獣の片足を捕らえた。勢いを削がれたトゲイノシシが、大きくよろめき、隙を作る。


 「よし!」


 レオンが一気に間合いを詰める。抜いた剣が風を切り、走りざまに一閃。獣の肩口を斬り裂いた。

 肉を断つ感触、飛び散る熱い血と脂。だが、イノシシは呻き声ひとつで跳ね起きた。


 「タフだな……!」


 「下がれ、援護する!」


 今度はガルドが前に出る。地を蹴る音が轟き、盾を構えて正面からぶつかり合う。

 雷鳴のような衝撃音が林に響き渡り、周囲の木々が震えた。枝が揺れ、葉が舞う。


「ユルク、次の罠は?」


 「う、うん……! ええと……この茂みの先……!」


 「ミーナ、目印を!」


 レオンの声に即座に反応し、ミーナが光弾を撃つ。

 まばゆい閃光が茂みを貫き、影の奥を照らし出す。

 その一瞬の光の筋をたどるように、レオンが風のように駆けた。剣が唸り、狙いすました一閃がイノシシの脚を薙ぐ。腱が断たれ、巨体がぐらりと傾いた。


 イノシシがよろめき、再び罠の上に体重をかけたその瞬間、地面が弾けるように破裂し——


 「決まった!」


 レオンが跳び込む。

 その剣が、ためらいなく振り下ろされた。鋼の刃が獣の首元に深々と突き刺さる。骨を断ち、血を噴き上げさせながら、魔物の咆哮を絶ち切った。


 

しばしの静寂。


 

 やがて、地に伏した魔物の大きな体がぴくりとも動かなくなった。

 

 「ふぅ……今回は、まあまあうまくいったんじゃない?」

 

 ミーナが額の汗を拭いながら、少し得意げに笑った。


「いや、俺の斬りが最高だったな。なあ、見たか? あの脂のノリ……! 絶対うまいぞ。もう……焼こう。すぐ焼こう」

 

 レオンはすでに戦闘の余韻よりも焼き加減のことで頭がいっぱいらしい。目がキラキラしている。


「ぼ、僕……火起こしと、香草の準備するよ!」

 

 ユルクもどこか浮き足立った声で、慌てて荷を漁り始めた。目当ては、保存していたローズマーノの葉。


「……胃袋よりも、まず冷静になれ、お前ら」

 

 ガルドがため息混じりに言いながらも、背負っていた鍋を静かに下ろす。口では文句を言いながら、行動が早い。


 尾根の風が戦いの名残をさらっていく。焚き火の煙が立ちのぼり、肉の焼ける匂いが辺りに漂いはじめた。


 ──そう、ダンジョンハンターの仕事は命懸け。だが同時に、空腹ともいつも戦っているのだ。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

「おもしろいな」「続きが気になるな」と思っていただけたら、ぜひ「いいね」やブックマーク、高評価で応援していただけると嬉しいです。

それではまた、次回の診察でお会いしましょう!


次回、「焼けるか!? トゲイノシシ!」

 食うか食われるかの番外戦、開幕たぶん

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