表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/24

異邦人 ~後編~

挿絵(By みてみん)


 アイシャはこちらに迫る赤い光を見つめながら、どうして彼らが追手を引き離せないのかを理解した。馬に乗れない自分が同乗しているため、追手を巻くことができないのだ。


 ならば自分を地面へ叩き落せばいいだけだ。落ちてまだ息があれば、追手の何人かは自分を犯すために足を止めるかもしれない。異教徒とは言え、見るからに立派な騎士たちが命を落とす必要はない。


「降ります!」


 アイシャはそう声を上げると、自分をかかえる腕を外そうとした。男性がアイシャの手を抑えようとする。それでもアイシャはもがき続けた。アイシャの体は男性の腕を離れ、鞍から大きく身を乗り出す。


 だが誰かがアイシャの背中を押して体を鞍へと戻した。見ると、口を拭いてくれた少年が、明らかに怒った顔でアイシャを睨みつけている。


「ウント、アム、イシス!」


 そう告げると、少年は大きく首を横に振って見せた。そして男性へ向かって頭を下げると、前の騎士同様に背後を指さす。彼も一人で追手に切り込むつもりなのだろうか? アイシャは誰かに胃を掴まれたような気分になった。


 男性は顔色を変えることなく少年の顔を見つめると、片手を上げて背後を指さす。しかし後ろからもう一騎、別の騎士が男性の横へ馬を寄せてきた。その体は少年がまるで幼子に見えるぐらいに大きい。それに背には剣ではなく、大きな斧を背負っている。


「クルト、マジェスカ、アヌ、クート」


 騎士は少年に向かってそう声をかけると、前方を指さした。よく見れば、後ろでまとめた長い髪には白いものがだいぶ混じっている。少年は初老の騎士に頷くと、背中にたすきに背負っていた弓を外した。騎士は男性に向かってアイシャを指さし、にっこりと笑って見せる。


「イム、ラムサス! イシス、アマリア!」


 そう高らかに声を上げると、背後へ馬を返した。


「イム、クバルト!」


 少年が慌てた声を上げたが、初老の騎士は軽く手を振ると、そのままたいまつの群れへ突っ込んで行く。少年は馬を駆りながら背後を呆然と見つめた。その視線の先からは、馬のいななきと共に男たちの争う声が聞こえてくる。


「クルト。ダム、ムラサク、クバルト!」


 男性の声に少年が前を向く。アイシャは唇を噛み締めながら馬を駆る少年を見て思った。騎士たちが主人の男性を守ろうとするのは分かる。でもどうして異国の下働きの娘にすぎない、自分も守ろうとするのだろう。


 言葉も分からないこの異邦人達が、自分を命がけで助ける理由が全くもって分からない。しかも次々に命が失われている。


「どうして!?」


 アイシャは馬を駆る男性に叫んだ。


「ウント、グルニア、ロム、イシス」


 男性はアイシャにそう答えると、口元に手を当てて見せた。どうやら喋るなと言っているらしい。その額からは汗が流れ落ちている。男性は馬を必死に追うが、やはりその行足は上がらない。


 再び後ろから地鳴りのような馬蹄の音が聞こえてくる。それだけではない。ヒュンと言う風切り音も聞こえてきた。


『なんだろう?』


 アイシャがそう思った時だ。アイシャの顔のすぐ横を何かが通り過ぎる。続いて足のスネの辺りを何かがかすった。そこから火傷でもしたみたいな痛みが襲ってくる。矢だ。それがまるで驟雨の様に辺りに降り注いでいた。


 自分のせいだ。次々と地面に突き刺さる矢を見ながらアイシャは思った。やはり自分は教書に書かれた厄災の種だ。


「イヤスーン!」


 男性が前を行く少年に声をかける。


「ダム!」


 男性の呼びかけに少年が答えた。そして騎乗のまま手にした弓へ矢をつがえる。だが矢を向けた先は背後ではなく空だ。少年が空高く昇った月に向かって矢を放つ。


 ピュ――!


 まるで(トンビ)の鳴き声を大きくした音が辺りに響き渡った。同時にアイシャの前に広がる真っ黒な林から赤い光が浮かぶ。


 ヒュン、ヒュン!


 再び矢の放たれる音が辺りに響いた。だがそれは後ろからではなく、正面の林から聞こえてくる。真っ赤な炎をまとった矢が天を横切るのが見えた。それに続いて無数の矢が、アイシャたちの頭の上を越えて、途切れることなく放たれていく。


「マダイ、マダイ!」


 背後からそう叫ぶ声が聞こえた。馬蹄の音が遠ざかっていくのも聞こえる。林の中に灯された赤い光が大きく左右に振られ、そこから人影がこちらへと飛び出してくるのが見えた。


 それは大柄な、しかも腹回りがとても大きな人物で、アイシャの知らない形をした、皮で出来た三角形のつば広帽を被っている。その帽子には赤や黄色と言った鮮やかな色をした鳥の羽が飾られていた。それに着ているのは金属製の鎧ではなく、皮のチョッキの様なものだ。


「アクシュール、イム、ラムサス」


 男は突き出た腹を揺らしつつ、男性の元へと駆け寄ってきた。顔の下半分は真っ黒な髭で覆われている。髭面の男は男性の腕に抱かれるアイシャの姿を見て、驚いた顔をした。そしてアイシャの髪をじっと眺める。


「アム、イシス、マルカ?」


「ダム。アルマ、ゲス。クロウン、イシス」


 男性はアイシャを抱えたまま馬から飛び降りると、髭面の男に答えた。髭面の男が大げさに手を広げて見せる。だが男性の背後に続くのが一騎、少年だけなのを見ると怪訝そうな顔をした。


「イム、ラムサス。アナ、クバルト、マリカ?」


 その問いかけに男性が首を横に振る。それを見たひげ面の男が男性の肩へそっと手を置いた。


「イム、ラムサス、ウント、アラマカス」


 髭面の男はそう告げると、男性へ背後の崖を指さす。そこからは風に乗って湿った空気と共に、アイシャが嗅いだことのない、少し生臭いような不思議な匂いが漂ってくる。


 男性は髭面の男に頷くと、アイシャの体をそっと地面へ降ろした。だがどういう訳か体に力が入らない。それに右足がまるで自分の体ではないみたいに重く感じられる。


 よろけたアイシャに少年が慌てて手を差し出した。だがそれを掴むことすらできず、そのまま地面へ倒れこみそうになる。しかし背後から男性によって体を支えられた。


「アム、イシス、グルカ?」


 少年がアイシャへ声をかけてくる。大丈夫かと聞いているのだろう。アイシャはそれに頷いて見せたが、体中からまとわりつくような汗が流れ、体が震えはじめた。


「イム、ラムサス。ゲノマ、イシス!」


 アイシャの脛の傷に気が付いた少年が声を上げる。アイシャも自分の右足へと視線を向けた。矢がかすっただけのはずなのに、その傷の周りの皮膚が真っ黒に変わりつつある。それを見た男性はアイシャの体を少年に預けると、アイシャの足に手を伸ばした。そしてその傷をじっと眺める。


「オクトゥラ!」


 男性はそう声を上げるなり、アイシャの傷へ唇を当てた。そしてその傷から血を吸い出し始める。アイシャはその姿を悪寒に耐えながら見つめた。


 彼は間違いなく貴族かなにかの高位の人間だ。それが自分のような庶民も庶民、それも教会の下働きの女の毒を吸うなんてあり得ない。


「どうして……?」


 アイシャは再び男性に問いかけた。男性はアイシャの言葉に答えることなく、毒を吸い出しては吐き出すのを続けている。アイシャはもう一度男性に問いかけようとした。


 だが体の震えはより激しさを増し、口を開くことすら出来ない。自分の体が何かに乗っ取られたみたいにすら思える。ぼやけていく視界の中で、男性がアイシャの顔を覗き込んでいるのが見えた。その口元に付いているのは毒に侵されたアイシャの血だ。


「アルク!」


 男性が少年に叫ぶ。そして自分の腰から小さな袋を取り出すと、渡された水筒を口に含んだ。アイシャの唇に温かく力強い男性の唇が触れる。それは震えるアイシャの唇をしっかりと捉えた。そこから水と共に、丸薬らしきものがアイシャの口へ流れ込む。


「クルト、アマラ……」


 顔を上げた男性が少年に何かを告げているのが見える。だが何を言っているのかはもちろん、何が起きているのかもアイシャにはもう分からない。


 アイシャは体を震わせながら、自分を抱きかかえる男性の黒い瞳をじっと見つめ続けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ