記憶
黒の教団服の男を見送った若者は、裾の埃を払うと立ち上がった。そしてガトーをじっと見つめるアイシャの元へ歩いてくると、血まみれのアイシャの顔へ、ペッと唾を吐く。
アイシャのことを信仰の敵だと信じているらしく、その目は敵意に満ちている。だがよく見れば、ニキビが目立つ顔は少年と呼べるぐらいに若い。自分より年下なのかもしれないとアイシャは思った。
「グルカ!」
少年は手刀をアイシャの首元へ当てつつ、周囲の男たちへ声をかけた。どうやらアイシャのことを殺せと合図したらしい。それを聞いた蛮族たちが少年を取り囲んだ。
「グラモス!」「イム、グラモス!」
蛮族たちが口々に不満げな声を上げる。それを聞いた少年がうんざりした顔をして見せた。
「流石は異教徒の傭兵たちだよ。お前のような者でも殺す前に抱きたいらしい。どうせ呪われた身だ。せいぜい異教徒どもに穢されてから地獄へ落ちるがいい」
少年はそうアイシャに告げると、蛮族たちに頷いて見せる。次の瞬間、アイシャの体は男たちによって手足を掴まれ、仰向けに持ち上げられた。そして本堂の外へと連れ出される。
アイシャの視線の先に夜の闇が広がった。その闇の中を黒い煙と無数の火の粉が舞っているのが見える。教会の離れから、村の家々から上がった火の手だ。
ビシャ!
不意にアイシャの顔に水しぶきが掛かった。雷雨が作った水たまりの水らしい。泥水がアイシャの体についた赤黒い血を落としていく。血を洗い流されたアイシャの体は、蛮族たちの手で雨上がりの草の上へと投げ出された。
何人かの男がたいまつに火を着けて、地面に横たわるアイシャの体を照らす。その赤い光の元、男たちは舐め回す様にアイシャの体を眺めた。気が付けば、服はぼろ布のように破れてしまっており、胸や太ももがほとんど露になっている。
「イクシュール!」
男の一人が嬉しそうな声を上げた。
「ダムダム!」
周りの男も頷いて見せる。どうやら男たちはアイシャの体に満足したらしい。それを見ながら、アイシャは自分が人ですらなく、単に男たちの欲望を吐き出すための道具として扱われていることを悟った。
アイシャは男たちの背後で、空を舞う火の粉をぼんやりと見つめる。それは一瞬だけ赤い光を放つと、真っ黒な灰となって闇の中へ消えていく。自分も同じだとアイシャは思った。ただ生まれ、ただ消えていくだけの存在だ。
一体自分は何のためにこの世界へ生まれてきたのだろう。アイシャは考えた。忌み子と呼ばれて皆から疎まれ、男たちに犯された挙げ句に、殺されようとしている。そんな人生に意味など何もない。
そんなアイシャを見て、男たちは観念したと思ったのだろう。誰が最初かを争って、互いにど突き合いを始めた。やがて一人の屈強な男がその地位を勝ち取ったのか、アイシャの下半身の前へ陣取ると、もどかし気に鎧の下を外し始める。
それを眺めながら、アイシャはふと頭に鋭い痛みを感じた。引きずられた時か、それとも地面に投げ出された時に頭を打ったのだろうか? 幼い時に頭に石をぶつけられた時と同じく、ズキズキとした激しい痛みだ。
アイシャは少しでもその痛みを和らげようと、手を頭に伸ばした。だがそれをアイシャの抵抗ととらえたのか、周りにいる男たちに腕を押さえつけられる。
『痛い!』
アイシャはその激しい痛みに体をよじった。耐えられない。どうせ殺すならさっさと殺して欲しい。アイシャがそう声を上げようとした時だ。
「アイシャ、生きて!」
頭の中に誰かの声が響いた。同時に前にもこんな場面を見た記憶があるのを思い出す。それがどこだったのか、いつだったのかも思い出すことはできない。だが確かに自分を見下ろす男たちの姿を、その饐えた匂いを嗅いだ記憶があった。
「アイシャ、私の分も生きてね。そして幸せになって……」
頭の中に再び声が響く。その声にアイシャは我に返った。そうだ。たとえ自分が忌み子だろうが、厄災の種だろうと、最後の一瞬まで生きる努力を諦めていい訳がない。そうでなければ、生まれてきたことすら無意味になる。
「やめて!」
アイシャはそう叫ぶと、男の体を両腕で押し返した。急に抵抗し始めたアイシャに、何人かの男たちがアイシャの体を押さえつける。その力にアイシャは全く動くことができない。それでもアイシャは必死に体を動かして抵抗した。
「マスカ、クルサム、ダムラ!」
それを見た男たちから嘲笑が漏れる。こいつらは抵抗する私を見て楽しんでいる。アイシャの中で恐怖を超えた怒りがこみあげてきた。だが現実は何も変わらない。それでもアイシャは必死に抵抗を続ける。
「どけ!」
誰かの怒声が響いた。見ると教団服を着た少年が蛮族の男を押しのけて、アイシャの下半身へ体をねじ込もうとしている。だがその動きはどこかぎこちない。それを見た男は驚いた顔をしたが、すぐににやけた顔になった。
「カラナムリ、イミスラ!」
「ダム、ダム!」
周りにいる男たちも少年をはやし立てはじめる。
「これはお前への私からの慈悲だ。私の信仰でお前を清めて……」
少年は何か聖職者らしき理由を述べようとしているらしいが、その手は必死に教団服の下のズボンをおろそうとしている。そしてアイシャの両足の間に自分の下半身を割り込ませた。
だがアイシャが男を知らないように、少年も女を知らないらしい。どうしていいか分からず、ただアイシャの下半身に何かを押し当てようとして、そのまま固まっている。
それをみた男たちの口から大きな笑い声が漏れた。その瞬間、アイシャの右足を抑えていた手が緩む。アイシャは手から足を抜くと、少年の腹を蹴り飛ばした。
「ぐぇ!」
不意打ちを食らった少年の口から、くぐもったうめき声が漏れた。それを聞いた蛮族たちが、手を叩きながらさらに大きな笑い声を上げる。
バン!
アイシャの頬から大きな音が響いた。
「この厄災め! お前が私を誘惑したのだ!」
少年はそう叫ぶと、さらにアイシャの頬を張り倒した。口の中に血の味が広がり、打たれるたびに目の前が真っ白になる。
バン、バン、バン!
頬をぶたれるたびに、アイシャをぶつ少年の顔が、その周りにいる男たちの顔がぐにゃりと歪んでいく。そしてどんなに力を入れようとしても、体に力が入らなくなった。
アイシャはそれでも自分を守るために、そして生き延びるために、必死に体を動かして抵抗する。不意にアイシャを張り倒す手が止まった。
「な、なんで――」
少年の口からかすれた声でつぶやきが漏れる。何が起こったのだろう。アイシャはぼやける視界の中に、キラリと銀色に光るものを見た。蛮族たちの剣だろうか? だがそれはあり得ない場所、少年の胸の位置で光り輝いている。
そこから水滴がポタポタとアイシャの胸元へと落ちてきた。それは生暖かく、そして生臭い匂いがする。
『同じだ……』
アイシャは気がついた。ガトーの体から流れ出たのと同じ、鮮血だ。それを見た蛮族たちが一斉に立ち上がろうとした。しかし立ち上がるより早く、血しぶきを上げて地面へ崩れ落ちていく。
ドサ!
アイシャの前で座り込んでいた少年の体がグラリと揺れ、蛮族たち同様に地面へ倒れた。見上げると長身の男がアイシャをじっと見つめている。いつの間にか雲の間から顔を出した月の明かりに、男の持つ歪曲した剣が銀色に輝くのが見えた。
「アナ、グルカ、マリカ」
剣を持った男がアイシャに声をかけた。
「イム、ラムサス、ウラム、ミラ。アナ、イシス、マリカ?」
その背後から別の声も聞こえた。その声に男は頷くと、手にした剣を鞘に納め、アイシャへ向かって腕を伸ばす。
『一体誰だろう?』
差し出された手にアイシャは当惑した。雲間から顔を出した月の逆光になって、その顔は見えない。言葉を聞く限り、手を差し出した人物も間違いなく異教徒だ。だがアイシャを犯そうとしていた蛮族たちと違い、その声には知性と理性が感じられる。
アイシャはその人物の差し出す手に腕を伸ばそうとした。けれども体が全く動こうとしない。それに全てがぼやけて見える。
『そうか……』
アイシャは心の中で頷いた。誰も自分を助けに来るものなどいない。自分はもう気を失いかけていて、誰かが自分を助けに来てくれるという夢をみているのだ。
悪夢のような人生の最後に見る夢としてはそう悪くない。アイシャはそう思いつつ、より深いまどろみへと落ちていった。