襲撃者
「待て、彼と話がしたい」
アイシャが身を乗り出そうとした時だ。アイシャの耳に妙に落ち着いた声が聞こえてきた。その声に蛮族たちの動きが止まる。
「ダロス、ラムト、イム!」
もっと若い男性の声に、蛮族たちは口を閉じると、左右に広がって道を開けた。その奥から教団服を着た男が進み出てくる。それは骨のように真っ白な髪と肌をした細身の男で、アイシャの見慣れた紺色ではなく、黒色の教団服を着ていた。
『あの人だ……』
アイシャはその男に見覚えがあった。廊下を進む際に裏庭で見かけた男だ。その男の背後から紺色の教団服を着た、もっと若い男性も続いてくる。異国の言葉を発したのは彼らしい。
だけどどうして教団の人間が異教徒の蛮族たちと一緒にいるのだろう? それになぜ教会を、自分たちを襲うのだろう? 全く訳が分からない。
「グルカール!」
教団服の若い男が蛮族たちに声をかけた。その言葉に、ガトーを踏みつけていた男が後ろへ下がる。黒色の教団服を着た男はガトーの横で片膝をつくと、その顔を覗き込んだ。
「ガストナ卿、いやここではガトー神父でしたでしょうか? 話には聞いていましたが、かつて黒の教団服を着ていたあなたが、こんな田舎で本当に隠者もどきの生活をされているとは思いませんでした」
男の声にガトーの体が僅かに動いた。そしてゆっくりと顔をあげる。
「その髪といい、見覚えがある顔だ。グラハムの下にいた者か?」
ガトーの問いかけに男が頷く。
「ガストナ殿に顔を覚えていて頂いたとは、光栄の至りです。おっしゃる通り、以前はグラハム卿の下におりました。今はあなたの後任を拝命させていただいております、アランと申します」
そう言うと、男性は教団服の裾をただして、恭しく礼をして見せる。
「新任のあいさつとしては随分と派手ではないか? それに年長者に対する敬意にも欠けていると思うが?」
「あなたこそ、信仰に対する真摯さが足りないように思えます」
「意見の相違と言うやつかな?」
「そのようです」
「いずれにせよ、あいさつは終わっただろう。教都に戻り給え」
「そうはいきません。後任として、あなたから色々と引き継がせていただくことがあります」
「それならばグラハムから受ければいい。私に聞くようなことなど何もない」
「そうですね。グラハム卿からは色々と引き継がせていただきました。引き継いだからこそ、こんな蛮族どもまで使って、わざわざ過ちを正しに来たのです」
「貴様、グラハムから正式に引継ぎをしたのではないな」
ドン!
鈍い音が床から響いてくる。それは男がガトーの顔を床にたたきつけた音だった。ガトーの口からうめき声が漏れる。
「先ずはあなたが秘匿しているものを、こちらへ差し出していただきたい」
「なんのことだ?」
「我々の信仰の敵、厄災の種です」
男の台詞にアイシャは身を固くした。
「何の話だ。種なら納屋と庭にある好きなものを――」
男がガトーの白髪の目立つ髪を掴んで、無理やり顔を上げさせる。
ドン!
再び床から鈍い音が響いた。ガトーの口から何かがこぼれ、床の上の血だまりにポチャリと落ちる。折れたガトーの歯だ。聖職者とは思えない男のあからさまな暴力に、アイシャの足が震える。
「あなたが女を一人ここに囲っているのは分かっています。素直に我々に差し出して、その素性について教えてくれれば、かつては黒の教団服をまとっていた者に相応しい処遇をお約束いたしましょう」
「そうでなければ?」
「ご想像の通りです」
男がその端正な顔をゆがめて見せる。アイシャは祭壇のたれ幕を持つ手に力を込めた。彼らの目的が自分であるなら、何の問題もない。自分が出ていけばいいだけだ。そうすれば少なくともガトーは助かる。
「待ってください!」
アイシャは祭壇の下から飛び出すと声を張り上げた。ガトーの周りにいた蛮族たちが寄ってきて、アイシャの両腕を掴む。アイシャの体はすぐに黒い教団服を着た男の前へと引きずり出された。周りを囲む男たちの饐えた匂いにむせそうになる。
「赤毛の小娘か……」
そう告げた男が、蛇のように冷たい目でアイシャを眺めた。同時に、周囲にいる蛮族たちが卑下た笑いを浮かべつつ、アイシャの体を舐めるように見ているのも分かる。
「アイシャ!」
床に横たわるガトーが声を上げた。
「どうか神父様にひどいことをしないでください!」
アイシャは震える声で男に懇願した。アイシャの台詞に男が首をひねって見せる。
「酷いことと言うのはこれか?」
男が手のひらをアイシャへと向けた。そこには血がべったりとついている。
「そうです!」
「君は私の前任者から、枢機卿時代の話を何も聞かなかったのかね?」
アイシャは男の言葉に驚いた。アイシャの知る限り、枢機卿とは教団の最高位の聖職者であり、この教国を統べる僅か12人の存在のはずだ。呆然と立ちつくすアイシャに、男が小さくため息をついた。
「知らなかったようだな。異端審問官だった彼にとって、この程度は指一本動かすのと同じだ。相手が子供だろうが女だろうが、一切容赦しない。異教徒たちからは殲滅者として恐れられた存在だよ」
男の言葉にアイシャはとまどった。アイシャはガトーと一緒にいて、声を荒げられたりした事すらほとんどない。あったとしても、それはアイシャが何か危険なことをした時に限られていた。そのガトーが殲滅者?
男は呆気にとられるアイシャから視線を外すと、床に横たわるガトーへ視線を向けた。
「開いた口がふさがらないとはこのことですよ。かつて殲滅者として、背信者や異教徒たちに我ら教国の権威を体現して見せたあなたが、背信者の子供を、しかも教書に示されし厄災の種となる者を囲っている。一体何の冗談です?」
「クックックク……」
床に倒れるガトーの口から、くぐもった笑い声が響いてくる。
「ハハハハハハ!」
それはやがて大きな笑い声へと変わった。
「厄災の種? ばかばかしい。物心ついたときから教団の教えに身を捧げ、働き詰めてやっと自由の身を得たのだ。残りの人生を楽しんで何が悪い?」
「ガストナ卿、私としてはあなたと話をするのを少しは楽しみにしてきたのですよ。そんな戯言を言うとは興ざめですな」
男は軽蔑したまなざしでガトーに告げた。だがガトーの笑い声は止まらない。
「興ざめとはお前たちのことだ。ここまで育て、やっと我が物に出来ると言うのに、お前たちは私からこの娘を横取りするつもりか!」
どこにそんな力があったのか、ガトーは床から跳ね起きて、アイシャの腕を抑えていた蛮族たちを跳ね飛ばす。そして皺の目立つ腕でアイシャの体を抱きしめると、片手をアイシャの襟元から差し込んだ。
アイシャの体をガトーの手が這い回る。あまりに突然のことに、アイシャはただ身を固くすることしか出来なかった。
「この娘はわたしのものだ。誰にも渡さん!」
ガトーの口から絶叫が漏れた。同時に何か温かいものがアイシャの首筋から胸元へと垂れてくる。アイシャが背後を振り返ると、ガトーの口から滝のように血があふれ出た。そしてその体がゆっくりとアイシャの背中から滑り落ちていく。
「神父様!」
アイシャはその体を腕で支えようとした。だが力を失ったガトーの体は小麦の大袋よりも重く、アイシャの力では支える事が出来ない。ガトーの体はそのまま仰向けに床へ倒れ込んだ。
「神父様?」
アイシャは大きく目を開けて、天井を見上げるガトーに声をかけた。だがその目は何も見ていない。
「ガトー様!」
アイシャは悲鳴を上げるとその体に縋り付いた。だが蛮族の男たちによって引き離される。そして黒い教団服を着た男の前へ再び引き出された。
「誰が殺していいと言った?」
男がアイシャを引き立ててきた蛮族の一人に声をかけた。言葉は分からなくとも意図は分かったらしく、蛮族はアイシャから手を離すと、仕方がないとでも言うように肩をすくめて見せる。
そして床に転がっているガトーを、次にアイシャを指さした。だが慌てて手を体の前へと持っていく。見ると男が蛮族のこめかみのあたりを掴んでいる。蛮族は両手でその手を外そうとしているらしいが、男の手はびくともしない。
そして恐ろしいことに、鎧をきた蛮族の体をそのまま上へと持ち上げる。蛮族は必死に足をばたつかせたが、バキというくるみを割ったみたいな音と共に、その四肢がだらりとぶら下がった。
ドン!
鈍い音と共に蛮族の体が床の上へと放り出される。男は若い教団服をきた男性から布を受け取ると、手に着いた血糊を拭きつつ、背後を振り返った。同時にリーン、リーンという鈴の様な音が聞こえてくる。
アイシャが目を凝らすと、本堂の入口の方から、他の男たちより頭一つ以上大きな人影がこちらへ近づいてくるのが見えた。それは真っ黒なマントに真っ黒なフードを被った、巨人と呼んでもいいぐらい大きな男で、手にはとても太く長い錫杖を握っている。
その先端に付けられた金属の輪が、男の動きに合わせて澄んだ音を響かせていた。
「見つけたのか?」
本堂の中に巨人の重々しい声が響く。
「さあどうだろう? 何の気配も感じられない。単なる小娘としか思えないのだ」
男が背後の巨人に対して答えた。
「どういうことだ?」
「言葉通りだ。ガストナは囮なのかもしれない」
「例の結社の中では、表にいたグラハムを除けば一番の大物だぞ」
「その大物が突然引退した挙げ句、小娘を囲って田舎暮らしをすると言うのも、少し目立ちすぎな気がする」
「確かにそうだな。それに髪の色は間違いないが……」
巨人が身を屈めるようにしてアイシャの顔を覗き見た。その表情はフードの陰に隠れてアイシャからは全く見えない。
「目の色が違う」
巨人はそう告げると、横に立つ白髪の男の方を振り返った。男はあごに手を当てて考え込んでいる。
「それよりも、フクロウが来ている」
巨人の言葉に男が顔を上げた。
「フクロウ?」
「今回の件が他の枢機卿たちに漏れたらしい。即時帰還して釈明せよだそうだ」
「普段は居眠りばかりのくせに動きが早い。確かに足の引っ張り合いについては才能豊かな者たちではあるが、今はグラハムの後釜の駆け引きでそれどころではないはずだ」
「これは俺の推測だが、グラハム枢機会議長が生前に用意しておいた保険の一つかもしれない」
その言葉に男が忌々しそうな顔をする。
「めんどうな年寄どもめ。我々の信仰をなんだと思っているのだ!」
そう嘆くと、男は天を仰いだ。そして傍らに控えていた若い教団服の男の方を振り返る。
「サンズ!」
「はい、アラン様」
「私は教都に戻る。ここの始末はお前に任せた」
「はい。ガストナ卿の遺体はいかがいたしましょうか? 一応は聖職者ですので、埋葬をしませんと色々と差しさわりが……」
その言葉に、男が首を傾げて見せる。
「差しさわり? 何の差しさわりがあるのだ? 我々を裏切った背信者だぞ。黒鳥の餌こそ、この者たちの末路にふさわしい」
男は教団服の裾を翻すと、巨人を引き連れて本堂の外へと歩いていく。その先では教会の離れから吹き出る煙が、そして丘の下にある村からあがる赤い炎が、アイシャの目にはっきりと見えた。それはアイシャの日常を、アイシャの世界の全てを燃やし尽くそうとしている。
それを見ながらアイシャは考えた。ガトーが最後に取った行動は自分を守るためなのだろうか? それとも本当にそう思っていたのだろうか? 全く分からない。だが一つだけ分かったことがあった。
アイシャの頭に「忌み子」という言葉が響き渡る。ガトーの死も、この炎も、すべて自分がもたらした厄災なのだ。
『ごめんなさい、ごめんなさい……』
アイシャは心の中で何度も呟きながら、床に横たわるガトーの骸をじっと見つめた。