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観察者

「たかが海賊船一隻ごときにこれほど手を焼くとは、なんて役に立たぬ者たちだ」


 古い聖堂に骨のように白い髪と肌を持つ男の声が響いた。男が膝まづく足元の床には、乾きかけの赤黒い血で、何重にもなる複雑な幾何学模様が描かれている。


 それだけではない。聖堂の天井からは裸の男たちが、まるで屠殺場の家畜の如くぶら下げられてもいる。そのいくつかはまだ息があるのか、小さなうめき声も聞こえていた。


「見つけたぞ。例の娘だ」


 男の声に、背後から真っ黒なローブを着て、フードを目深に被った巨大な体躯が進み出る。そして膝まづく男の先の壺に溜まった、血だまりの中へ視線を向けた。壁際に置かれた油灯りに照らされた壺の中では、船の甲板らしきものがゆらゆらと揺れながら映っている。


 そこでは赤く長い髪の少女を中心に、半月刀や斧を持つ船乗り姿の海賊たちが、小さな円陣を組むのが見えた。その周囲を金の十字が入った紺色のマントを着た騎士たちが囲んでいる。


 騎士たちの振るう長剣を前に、海賊たちは一人、また一人と倒れ、その円陣は刻一刻とさらに小さくなっていく。あといくばくの時間もしない内に海賊たちは全滅するだろう。だがそれを見た大男はアランに首をひねって見せた。


「ムスタフ、言いたい事があるなら言え」


「アラン、その娘は本物なのか?」


「これを見る限り、ガラムートの連中は娘が本物だと思っているのは間違いない」


「そうだろうか? ガラムートが本当に本気ならば少数すぎるし、海賊を使うというのも腑に落ちない。向こうも単に探りを入れてきたと言うところではないのか?」


「確かにガラムートの動きについて、お前の方で何も掴んでいないのはおかしいな。それにしては必死すぎる。海賊という連中は勝てる相手とだけ戦うものだ」


「やつらにとって、戦は商売の一部だからな」


 大男もアランに同意して見せた。それを見たアランが言葉を続ける。


「それが海龍(リバイアサン級)相手に正面切った戦いを挑んでいる。それに戦い方を見ても、あの小娘を守っているようにしか思えない」


「お前の言う通り、連中はあの娘が本物だと考えているという訳か……」


 壺の中の映像を見ながら、ムスタフが考え込むような仕草をする。


「やつらを葬ろうと思えばいつでもやれる。だがあの娘が本物だと言う保証はまだない。しばし観察が必要だな。ガストナ卿(ガトー)の時みたいに、うっかり殺してしまうなど決して許されない」


「そうだな。そもそもあの背教者たちの結社が、何を目的に何をしていたのかも明らかになっていない」


 ムスタフの言葉にアランが頷き返す。


「本物だと分かった場合はどうする?」


「もちろんあの場にいる者全てと共に抹殺する。それが我々の義務だ」


「カートランドたちも一緒か……」


 大男がそうつぶやくのを聞いたアランが、小さくため息をつく。


「感傷か? お前らしくもない。何よりこれは我々の信仰のためだ。それにたとえ望んだとしても、誰もが殉教者になれるわけではないぞ」


 そう言うと、アランは目の前にぶら下がる裸の男の心臓へ、手にした短刀を突き刺した。そこから流れ出た血が、壺へ新たな血を注ぎ込む。アランの口から洩れる詠唱の声と共に、よりはっきりした像が壺の中へ映し出された。




「間違いない。あの娘だ」


 指揮所から身を乗り出したカートランドは、思わず声を上げた。その視線の先では赤毛の若い娘を中心に、甲板上で円陣を組む海賊たちの姿がある。その周りは濃紺のマントに銀の鎧をまとった、教国の騎士たちによって囲まれていた。


「信号手、エリク副長へ包囲の維持を優先し、絶対に娘を船べりへ近づけないように伝えろ。間違っても海に身を投げられたりするな」


 信号手はカートランドの言葉に頷くと、笛に続いて、手にした旗を忙しく動かす。カートランドはエリクにそれを伝える信号手の動きを確認すると、視線を頭上へ向けた。


 そこに見える一番上の帆げたには、海のど真ん中だというのに、一羽の黒鳥(カラス)が羽を休める姿がある。その姿を眺めつつ、カートランドは安堵のため息をついた。


 だがすぐに背後に控える士官の方を振り向く。カートランドの険しい表情に、着任したばかりの若い士官は慌てて背筋を伸ばした。


「少し前に若い娘を捕まえたという報告があったな。その後、何か連絡は上がってきたか?」


 カートランドの問かけに、まだニキビが顔に残る若い士官は考えるような顔をしたが、当惑した表情を浮かべつつ首を横に振った。


「確か汚れがひどいとかで、船室で血を洗い落してから確認するという連絡がありましたが、それ以来なにもありません」


「娘をつれてきたのは誰だ?」


 カートランドの問いかけに、若い士官がさらに当惑した顔をする。


「それも連絡を受けていません」


「すぐに下へ人をやれ。その娘とそれを連れてきた人物を確保するように伝えろ」


 カートランドの命令に、若い士官が慌てて敬礼をしようとした時だった。


「ウラ――――!」


 不意に雄たけびの声が聞こえてくる。その声に合わせて、半裸の男たちが甲板へ駆けあがってくるのが見えた。警備にあたっていた兵士たちが男たちによって引き倒され、頭上へ棒が振り下ろされる。棒の先端は瞬く間に赤く染まった。


「奴隷たちの反乱です!」


 カートランドの隣に立つ若い士官が叫んだ。だがその声も、イナゴのように湧いてくる薄汚れた男たちの怒声によってかき消される。どうやら誰かが漕ぎ手として乗っている奴隷たちを解放したらしい。


 よく見ると、その手には棒だけでなく長剣や短槍を持つ者までいる。その数は監督していた者たちが持っていたものよりはるかに多い。間違いなくこちらの武器庫から奪われた武器だ。


「エリク副長へ船に戻るよう連絡を!」


 若い士官が声を振るわせながらカートランドへ告げた。そのニキビの跡が目立つ顔は紙のように白い。カートランドはその問いかけを無視すると、あかね色にそまりつつある空を見上げた。そこでは一羽の黒鳥が先ほど同様に、帆げたの上で羽を休める姿がある。


 カートランドは視線を下へ戻した。紺色に金の十字のマントを羽織った男たちが、奴隷たちの手で次々と倒されている。カートランドはそれを眺めながら、この戦いが自分たちの負けであることを悟った。


「エリク副長には包囲の継続を指示。たかが奴隷どもだ。船にいる者だけでなんとかして見せろ!」


 カートランドは若い士官の肩を軽くたたくと、腰に差した長剣を抜いた。海軍士官に着任してから、白髪となった今日まで長年連れ添った官給の剣だ。


「反乱者を駆逐する。総員、突撃!」


 カートランドは頭上へ剣を掲げると、先頭を切って指揮所から甲板へ駆け下りる。そして目の前に走りこんできた奴隷へ剣を振り下ろした。絶叫を上げて倒れる男の先を、羽を広げた黒鳥が海賊船の方へと飛んでいく。


 それを眺めながらカートランドは考えた。どうせ死ぬなら剣を握って死ぬ方がましだ。少なくとも海兵らしく船の上で死ねる。

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