絶体絶命
「ウラ――――!」
ラムサスの周囲では海賊たちの鬨の声と、金属同士の激しくぶつかる音が響いている。その中でラムサスは、甲板中央付近まで進出してきた騎士たちと戦っていた。
その両手には剣ではなく、片手斧が握られている。ラムサスは鎧に刃がめり込むのを避けるため、刃先とは反対側の斧頭で騎士の兜を殴り倒した。脳震盪を起こしたらしい騎士の体がぐらりと崩れ落ちる。
ラムサスはその兜のバイザーへ、反対の手に持つ斧を打ち下ろした。兜がつぶれ、中から赤くそまった白い何かがこぼれだす。ラムサスはその無残な姿を一顧だにすることなく、斧を持ち直しながら辺りを見回した。
甲板中央では激しい戦いが続いている。しかし先ほどまでの乱戦とは何かが違った。騎士たちには徐々に統率が戻ってきており、隊伍を組んで戦い始めている。その動きに海賊たちはついていけていない。
ラムサスは騎士たちに統率が戻ってきた原因を探ろうと、甲板の上を見回した。隊列を組んだ騎士たちの背後に指揮官らしき者が見える。ラムサスは周りにいるオズワルがつけてきた腕利きの男たちに対し、指揮官の方を指さした。髭面の男たちがラムサスに頷き返す。
次の瞬間、ラムサスはその指揮官へ向けて、矢が飛ぶように甲板の上を疾走した。目の前に騎士たちの鎧の壁が立ちはだかるが、その壁へ海賊たちが斧を持って襲い掛かる。それで開いたわずかな隙間をめがけ、ラムサスは血と潮に濡れた甲板の上を足から滑った。
海賊たちと一緒に突撃してくると思っていた騎士が、慌てて剣を振り下ろそうとするが、ラムサスの体はその足の間を背後へ抜ける。そのまま傾いた船の傾斜を使い、ラムサスは甲板の上を指揮官の前まで滑り続けた。
ラムサスに気が付いた指揮官が剣を振り下ろそうとする。ラムサスはその顔めがけ、手にした斧を投げつけた。相手が体をひねって斧を避ける。それを見たラムサスはそのまま指揮官の足元へ迫ると、片手に持つ斧をその膝へ叩き込んだ。
ガキン!
金属同士の激しくぶつかる音が甲板上へ響き渡る。相手が甲板に打ち込んだ長剣と、ラムサスの斧が火花を散らしてぶつかった音だ。ラムサスは斧から手を離すと、腰に差す半月刀へ手を伸ばした。
だが相手は立ち上がって攻撃するのではなく、上から組み伏せてくる。そして手にした小刀をラムサスへ振りかざしてきた。ラムサスはその手首を下から抑える。その先では茶色い瞳がラムサスの顔をじっと見つめていた。年上だがまだ若く見える男だ。
ギリギリギリ!
耳に自分の歯の立てる音が響き、目の前には銀色に輝く切っ先が見えた。それが心臓目がけてゆっくりと近づいてくる。全力で押し返そうとしても、体重をかけて押し込んでくるそれを止めることができない。切っ先が握りこぶし一つ分もないほどに迫った時だ。船が大きくぐらりと揺れる。
その一瞬の動きに合わせ、ラムサスは背中を滑らせ体を入れ替えた。相手の短剣がラムサスの体をそれて、甲板の上へ突き刺さる。同時に脇腹からは、まるで火箸をそこへ当てたような痛みが襲ってきた。どうやら体を入れ替えた際に切り裂かれたらしい。
ラムサスは痛みを無視して立ち上がると、まだ体勢を整えていない相手に蹴りを入れた。そして腰の剣を抜く。しかしそれを打ち込む前に再び船が大きく揺れた。その隙に海賊を片付けたらしい騎士が、ラムサスの前へ立ちはだかる。
ラムサスはその首筋へシャムシールの刃を叩き込んだ。騎士は首筋にシャムシールをめり込ませたまま、血しぶきを上げて倒れる。だがその間に指揮官の姿は消えていた。
剣を手に辺りをうかがうと、戦況は明らかに相手へ傾いている。それに甲板上の樽や箱を片っ端から開けていく姿も見えた。その動きはアイシャが隠れている、帆をしまう箱にも及ぼうとしている。
アイシャの身が相手へ渡れば、それで戦は終わりだ。制圧などせずに、圧倒的な火力でこちらの船を沈めればよい。ラムサスは剣を腰へ戻すと、それを阻止すべく、頭上からたれるロープへ手を伸した。
ガシャン!
アイシャはすぐ近くから響いてきた破壊音に身を固くする。そして不安げに鳴き声を上げるポラムの体を、そっと両手で抱きしめた。
「怖いだろうけど、静かにしていてね」
アイシャの言葉が分かったのか、ポラムは鳴き止んだ。そしてアイシャの胸に顔をうずめる。先ほどまで近くで聞こえていた雄たけびや、剣同士がぶつかる音は遠くなり、代わりに何かが壊れる音が聞こえていた。それはどんどんとアイシャの方へ近づいている。
『オナスとクルトの二人は無事だろうか?』
音が上がる度に体をビクつかせながらも、アイシャは二人の無事を祈った。同時にアイシャのまぶたに、上半身裸の背中に大きな目の入れ墨を持つ姿が浮かんでくる。男性が自分に、「お前は女神か?」と聞いてきたその真剣な顔も浮かんできた。
バン!
その時だ。いきなり箱のフタが開き、差し込んでくる明りに目がくらむ。その光の先に、こちらをのぞき込む人影があった。鎧姿の騎士だ。アイシャはその血まみれの姿に、思わず叫び声をあげそうになった。
「誰かいるぞ!」
聞き慣れた教国語が耳に響く。騎士は兜のバイザーをはね上げると、アイシャの方へ腕を伸ばした。
キキィキキィ――!
その顔に、アイシャの腕から飛び出したポラムが飛びつく。
「畜生!」
思わぬ反撃に、騎士がしりもちをつくのが見えた。アイシャはそのすきに箱を飛び出す。騎士の顔から離れたポラムがアイシャの肩へ飛び乗った。アイシャはどこかへ逃げようとしたが、ぬるぬるした液体に足元を取られそうになる。
『何だろう?』
足元に視線を落とすと、足首から先が真っ赤だ。幾多もの死体から流れ出た血が、船の揺れに合わせて、まるで赤い海のように波を立てながら、アイシャの足を赤く染めている。
「キャ――――!」
アイシャの口から悲鳴が漏れた。それを聞いた騎士たちが一斉にアイシャの方を振り返る。同時に数を減らした船乗りたちも、アイシャの元へ駆け寄ってこようとした。両者が手にした剣や斧の間で火花が飛び散り、新たな血が甲板へ注ぎ込まれていく。その姿をアイシャはただ茫然と見つめた。
「ウゲェ!」
うめき声と共に、背後で誰かが倒れる音がする。アイシャが振り返ると、先ほど箱の中を覗いていたまだ若い騎士が、苦し気に喉へ手をやっている。その喉元へ短刀がグサリと刺さっているのが見えた。
騎士は小さく体を震わせると、すぐに動かなくなる。短刀を投げたらしい船乗りの体を、別の騎士が突き出した長剣が深々と貫くのも見えた。その姿に、嵐の夜に見た聖職者の少年の最後と、ガトーの亡骸が重なる。
『地獄だ……』
それを見ながらアイシャは思った。あの嵐の夜以来、自分の周りでは死が吹き荒れている。教書は正しい。間違いなく自分は厄災の種そのものだ。
新たな騎士は船乗りの体を蹴飛ばして剣を抜くと、そのままアイシャの方へと駆けてくる。騎士が手にする銀色の長剣が迫るのを見て、アイシャは死を覚悟した。いや、それを受け入れるべきだと思った。少なくとも男たちの慰み者になって死ぬわけではない。
だが騎士の体は、空から飛び降りてきた何者かによって弾き飛ばされた。アイシャの目の前に、薄い上着だけを羽織った背中が見える。その上着は血に汚れ、ところどころ破けてもいた。その裂け目からのぞく大きな黒い目が、アイシャをじっと見つめている。
「ハラル!」
アイシャの方を振り返ったラムサスは、そう一言告げると、アイシャの手を引きつつ剣を横に振るった。剣が背後から襲おうとした長剣と激しくぶつかり、盛大な火花を散らす。
なおも前進してくる騎士をラムサスが足で蹴飛ばした。大きな揺れに騎士の体は甲板の上を滑り出すと、いつの間にか手すりも何もなくなった船べりから海へと落ちていく。
しかしそれで終わりではなかった。金色の十字の紋章が入った鎧姿の男たちに、周りを隙間なく囲まれている。ラムサスが剣の達人だとしても、これだけ多くの敵を相手に出来るとは到底思えない。それに足手まといの自分がいる。
「|イム、ラムサス、アムト、ミカシタ《ラムサス様、逃げてください》!」
アイシャは覚えたばかりの西方語でラムサスに叫んだ。なぜ一国の王子が自分のような村娘を女神の娘だと思い込んでいるのか、なぜ命をかけるのか、全く理解できない。
「ウント、アイシャ、アム、レルカド!」
ラムサスがアイシャを見ながら答える。そしてすぐに視線を前へ戻した。どうやら自分から離れるなと言っているらしい。アイシャは戸惑うと同時に、クルトに続いて、ラムサス王子も自分を名前で呼んでくれたことに気が付いた。
アイシャはラムサスの邪魔にならぬよう、その背中へ身を寄せる。だが手に何か温かいものが滴り落ちてきた。見るとラムサスの脇腹から流れる血が、シャツを伝わり、アイシャの手の甲を濡らしている。その量は決して浅手とは思えない。
アイシャは慌てて自分のスカートの裾を裂くと、それをラムサスの脇腹へ巻いた。その間にも剣を掲げた騎士たちが、こちらを囲みつつじりじりと間合いを詰めている。
どうやら死は遠くへ去ったわけではないらしい。しかもラムサス王子まで巻き込んでしまっている。アイシャは自分の命よりも、自分のせいで、ラムサスの命までもが失われる事に恐れおののいた。
「ウラ――――!」
不意に背後から大勢の男たちの雄たけびが聞こえてくる。振り返ると、派手な飾りをつけた船長のオズワルを先頭に、船乗りたちがこちらへ向かって突撃してくる。男たちはラムサスを囲む騎士たちの囲みを突破すると、アイシャを中心に円陣を組んだ。
「マカリーム、イム、ラムサス」
船長がラムサスに向かって手を上げる。
「マカリーム、イム、イシス」
そう声を上げると、アイシャにも丁寧に頭を下げた。その顔には騎士たちに包囲されている切迫感は全く感じられない。そして剣をふるうと、アイシャの方へ向かって飛んできた矢を、素早く撃ち落として見せた。
アイシャは辺りを見回す。多くの船乗りたちが、周りを取り囲む騎士たちと剣や斧を交えているのが見えた。だが周りを囲む騎士たちに押され、船乗りたちが組む円陣はじりじりと小さくなっていく。
それだけではない。さらに多くの騎士たちが、船尾からこちらへ向かってくるのも見える。アイシャはここにいる者たち全員が皆殺しにされるのも、時間の問題だとしか思えなかった。




