海戦 ~後編~
船の上では嵐が吹き荒れていた。それは風や雨といった自然のもたらすものではない。人の手による暴力という名の嵐だ。
船尾の架橋から突入してきた教国の騎士たちは、仲間を海に落とされた怒りからか、ろくに隊列も組まずに海賊たちへ突撃している。海賊たちも手に剣や斧を持って応戦した。
それにより、甲板の上では騎士、海賊双方が入り乱れての乱戦になっている。だがこれは海賊たちが意図的に騎士たちを引き込んだ結果でもあった。そうでなければ、海龍が船舷に備える多数のバリスタや、長弓手たちによる狙撃の的になる。
その中でクルトとオナスは、互いに背中を合わせるようにしながら剣を振るっていた。だが周りの海賊たちと同様に、重装備の鎧を身にまとった騎士たちを相手に、その戦いは決して優勢とは言えない状況だ。
騎士の武器はその手にした長剣だけではない。鉄で覆われた腕、足、その全てが凶器だ。クルトはそれでも燕のように身をひるがえしながら、敵の振るう長剣をかいくぐりつつ、その隙を狙い続けていた。
ブン!
頭上を剣が通り過ぎる。クルトは手にしたシャムシールでフェイントを入れた。しかし騎士はそれを積極的に鎧で受けつつ、クルトへ向けて足を蹴り上げてくる。クルトは背後へ飛びのくと、それを紙一重で避けた。不意に背後から差し出された幅広の半月刀が、騎士の足を下から救い上げる。
クルトは騎士がバランスを崩したのを見逃さなかった。手にしたシャムシールの鋭い切っ先を鎧の隙間へと差し込む。中にある鎖帷子がその侵入を拒もうとするが、クルトは剣をひねるようにしながら、相手の腰から上へと剣を差し込んだ。
切っ先が相手の体へ沈み込んで行くと共に、騎士の体に震えが走るのを感じる。だが倒れゆく騎士の背後から、別の騎士がその仇を討とうとクルトへ剣を振り上げた。
クルトの腕力ではそれをまともに受けることはできない。だが背後から再び差し出された剣が、火花を撒き散らしつつそれを横へ弾き飛ばした。同時に騎士の体を足で蹴り飛ばす。周囲の海賊たちが斧を手に、倒れた騎士へと襲い掛かった。
「これは数だけの問題ではないですな……」
さも重たそうに半月刀を手にしたオナスが、肩で息をしながらクルトへ声をかけた。
「戦はまだこれからです」
クルトはオナスに答えた。クルトは物心ついた時から剣を叩き込まれている。そのクルトから見る限り、オナスの剣に派手さはないが、その動きは堅実で無駄がない。
もっとも戦場では剣に優れたものが勝者なのではなく、最後まで立ち続けた者こそが勝者だ。クルトは学者肌に見えるオナスが、予想以上に剣が使える事を頼もしく思う一方で、オナスに対する疑問も感じていた。
船長のオズワルから聞いた話では、オナスは元は教国で聖職者を務めていたという。だがその剣筋は間違いなく軍人のそれだ。しかもかなりの場数を踏んでいる。
「年なので、この手はもう勘弁してもらいたいのですけどね」
剣を持ち上げつつ、オナスがクルトへさらにぼやいて見せた。二人の足元には先ほど倒した騎士だけではなく、さらに数人の騎士と、もっと多くの海賊たちの死体が転がっている。
それらの死体から流れ出た血が、船の揺れに合わせて、手すりも何もなくなった船べりから海へ滴り落ちていく。クルトとオナスも敵と言うより、味方の海賊たちの上げた血しぶきに全身血だらけだ。
「それにまだまだ敵はいます」
クルトはそう告げると、刃こぼれがひどいシャムールを投げ捨て、海賊の死体が腰に差していたシャムールを取り上げると、そのバランスを見た。オナスも倒した騎士の足元に転がっていた両刃の長剣を手にする。
「曲刀は狭い船上での扱いが楽ですが、私には慣れたこの剣が一番ですね」
オナスはクルトに対し、手にした長剣を振って見せた。クルトはその剣先の動きに目を見張る。やはりこの奴隷は今まで猫を被っていたらしい。
「敵に間違われて、背中を撃たれないようにしてください」
クルトはそう冷静に答えたが、甲板の上での戦いは、明らかに海賊たちの方が押されている。
「指揮所を落としてしまえば終わりなのに、わざわざ全面制圧をするつもりで来ていますね」
「やはり、アイシャ様を探しているのでしょうか?」
クルトの問いかけにオナスが頷く。
「効率的なやり方ではないですから、間違いないでしょう。それでもこちらの不利は否めません。漕ぎ手を足しても頭数は向こうに到底及びませんから、このままでは皆殺しになるだけです」
そう告げると、オナスはどこにそんな余裕があるのか、肩をすくめてとぼけて見せる。だがすぐにその顔を厳しいものへと変えた。
「これはまずいです!」
オナスの言葉に、クルトが辺りの様子をうかがうと、明らかに騎士たちの戦い方が変わってきている。力任せに突進していた騎士たちが、隊列を組んで組織的にこちらを追い詰めようとしていた。その鎧の壁と、その向こうから放たれる弩の前に、海賊たちが次々と倒されていく。
それを見たオナスは、足元に倒れていた騎士の体からマントと兜をはぎ取ると、それを自分の体へまとった。そしてクルトの方を向くと、長剣でクルトの手からシャムールを跳ね飛ばす。
「な、なにを!」
声を上げたクルトの体をオナスがひょいと小脇に抱えた。クルトはその早業に驚く。鍛えていたはずの自分が、あっという間に剣を落とされ、身動きできなくされてしまっている。
「申し訳ありませんが、しばし女性に戻ってもらいます。それと少しの間、黙っていてくれませんかね?」
そう言うと、オナスはクルトの頭から布を取り去った。中からクルトの黒く長い髪がこぼれ落ちる。オナスは帽子の布を足元の血だまりへ漬けると、それをクルトの髪へべったりと塗った。髪だけでなく、クルトの顔にもその血をこすりつける。
「見つけたぞ!」
オナスが剣を手に、辺りの騎士たちへ声をかけた。
「例の女か!」
「血で分からん。だが若い女であることは確かだ。船に戻って確認する」
「了解だ。おい、道を開けろ、それに護衛を――」
「船尾までは制圧済みだから問題ない。それよりも目立つと上から狙撃される」
「よし、すぐに行け!」
オナスはクルトを小脇に抱えたまま、船尾へと走った。誰もそれを止めるものはいない。オナスは架橋の前で警護にあたる騎士へ頷いて見せると、海龍へ向かって慎重に架橋を渡り始める。
「そんな物騒なものを、脇腹へぶち込んだりしないでくれませんか?」
髪に隠していた小刀を脇腹へ差し込もうとしたクルトに、オナスが声をかけた。
「裏切者!」
「君の信頼を裏切るつもりなら、とうの昔に君を殺して、あの子を教団へ突き出していますよ」
「なら何を!」
「まあ、あの場ではこうでもしないと助からなかったのと、援軍を呼びに行くためです。それにはあなたの手伝いも必要です」
「援軍?」
「戦はやはり数です。数が足りないのなら連れてくるまでですよ。おっとっと……」
大きな揺れにオナスが慌てて手すりを掴んだ。クルトの視線の先では、船同士の櫂が絡み合い、白い波を立てているのが見える。それを見たクルトは、オナスが何を言おうとしているのかを理解した。
「分かった。援軍を連れてくるのだな」
「そうです。それにもうしゃべらない方がいいですね」
オナスの言葉に、クルトは全身の力を抜くとその身を預けた。