海戦 ~中編~
「どうやらオナスと、そちらの従者殿がなんとかしてくれたようです」
アイシャが帆をしまう箱へ入るのを見たオズワルは、安堵のため息をついた。
「それに相手の目的があの娘なのも、これではっきりしました」
それを聞いたラムサスが怪訝そうな顔をする。
「どういうことだ?」
「打ち合いでは向こうの方が圧倒的に有利です。バリスタを喫水線下に打ち込めば、こちらは浸水ですぐに身動きが取れなくなります。それをわざわざ上甲板に向けて打ち込んできています」
「沈めるのではなく、制圧するつもりか?」
「おっしゃる通りです」
ラムサスはオズワルに頷き返すと、櫂を絡ませてこちらの船に並走する、黒く塗装された巨船を眺めた。その甲板には銀色の甲冑をまとい、紺色のマントを羽織った教国の聖騎士たちが並んでいるのが見える。
「異教徒どもの正規兵だな」
「はい。それもかなりの数です」
「戦は数だけではないだろう?」
若者らしいラムサスの言葉に、オズワルは苦笑いをして見せた。
「こちらは漕ぎ手も動員できますから、船の大きさの違いほど頭数に差があるわけではありません。それでも相手が手強いのは事実ですよ」
そう告げると、オズワルはラムサスに対して、海龍の巨大な船体の船首と船尾で、ゆっくりと動く大きな梯子を指さした。その先端には鋭いスパイクが付けられている。
「艦上架橋です。あれをこちらへ掛けて、一気に乗り込んでくるつもりですな。それにあれだけの重装備です。こちらの狙撃手はほとんど役にたちません。ですが海へ落ちれば二度と浮かんでは来ないでしょう」
そう告げたオズワルは、背後に控える信号手を呼んだ。
「右舷、やつらがくるぞ。乗り込んできたら、狙撃手にはカラスの操作員を狙うようにいえ。それと甲板長にはびっくり箱の準備だ」
信号手が甲板と帆柱の上へ、両手に持った旗を振る。
「右舷、狙撃長から了解です。甲板長からもびっくり箱了解です」
オズワルは信号手の報告に頷くと、ラムサスの方を振り向いた。
「あなたは我々の雇い主で重要人物です。できればこの甲板からは退去していただいて、もっと安全なところに居ていただきたいのですが?」
そう告げたオズワルは周囲へ降り注ぐ黒い矢を指さした。それを見たラムサスがフンと鼻を鳴らして見せる。
「異教徒たちを前に、私へどこかへ隠れていろと言うのか?」
「クバルトがいれば、殴ってでもあなたを甲板下の樽へ放り込むところでしょう」
「そうだな。だがもう爺はいない。私がやるべきことは、異教徒どもの血を女神イシュルに捧げることだ」
「そこまでおっしゃるのなら、仕方ありません」
オズワルが大きく肩をすくめて見せる。その時だった。ドンという大きな音と共に、船が右舷へ大きく傾く。相手の船から架橋が伸ばされ、その先端にある大きな鉄のスパイクが、こちらの船首と船尾へ打ち下ろされているのが見えた。
同時に甲板で待機していた教国の騎士たちが、架橋を渡ってこちらへと向かってくる。その銀色に輝く列に向かって、こちらの船から弩の放たれる音が響いた。だが放たれた矢は騎士たちのまとう鎧を前に、嫌がらせにもなっていない。
「オオオオォ――」
こちらの船になだれ込もうとする騎士たちの怒声がとどろく。それを見たオズワルは、おもむろに片手を上げとそれを振り下ろした。
「びっくり箱だ!」
それを合図に、甲板上に設けられた漕ぎ手の台が、一斉に海へと落ちた。足場を失った架橋もそのまま海へ落ちる。その上を進んでいた騎士たちも、架橋の上から真っ逆さまに海へ落ちていく。
それでも何人かは手すりにつかまって、何とか体を支えていた。それを助けようと架橋の操作員たちが必死に鎖を巻き上げようとする。そこへ帆柱の監視所にいる狙撃手から一斉に弓が放たれた。矢が鎖を巻き上げていた操作員たちの体へ、次々と突き刺さる。
操作するものを失った架橋の歯車が、大きな音を立ててグルグルと回り、その動きと共に、架橋自体が騎士たちともろとも海へ落ちた。
「ウラ――――!」
それを見た船員たちの口から雄たけびが上がる。だが船尾へ打ち込まれたカラスはびっくり箱を超えて上甲板にそのスパイクを打ち込んだらしい。
下に落ちることなく、こちらの船をつなぎとめていた。その上を教団の騎士たちが銀色の輝く剣を掲げながらこちらへと突撃してくる。
「どうやら偉大なる女神イシュルは、我らの自身の手で異教徒の血を捧げる事をご希望のようです」
それを見たオズワルがラムサスに告げた。そして腰の半月刀を抜くと、頭上高く掲げる。それを見たラムサスも、腰に履いた二本の半月刀を両の手で抜いた。
「イシュル、アマリア! イシス、アマリア!」
「ウラ――――!」
オズワルの声に、海賊たちが鬨の声で答えた。
「やられました!」
指揮所に上がってきた副長のエリクが、船長のカーランドに叫んだ。その顔には焦りの表情が浮かんでいる。それを一瞥したカートランドは、エリクに対して小首をかしげて見せた。
「なぜここにいるのだ?」
それを聞いたエリクが当惑した顔をする。
「損害の報告と、海に落ちた者の救援についてですが……」
「損害? そんなものは一切関係ない。赤毛の娘を探し出して連れてこい。それが終わるまでは、何があろうが作戦は継続だ」
「作戦継続、了解しました」
カートランドの言葉に、エリクが額に手を当てて敬礼する。
「すぐに持ち場へ戻って、君の役割を果たし給え」
カートランドはそう告げると、エリクに対して早くいけと手を振った。そして船の帆柱の先へと視線を向ける。そこには海鳥でもない一匹の黒鳥が羽を休めているのが見えた。




