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「そうですか。残念です。私、高校生だったから、結構見に行けなかった公演もあって」
がっくりと肩を落とす。本気で残念だと思った。済んでしまった公演を再び見る機会なんて、劇団関係者でも何でもない私には、ありえないから。
ため息をつきつつ、コップについた水滴を、指でつなげる。ため息をついたって、見れるわけじゃないんだけど。
主催者なら、手元に残ってるってこともあるんだろう。でも、佐原さんちは、もう過去のビデオを探すのは困難そうだし。
「……他のならいくつか、ビデオ残ってる」
ぼそり、と隣で高田さんが告げる。
「本当ですか! 高田さん、貸してください!」
私は高田さんを見る。私の素早い動きに、高田さんが驚いている。
我ながら、現金だと思う。だけど、一気にテンションが上がる。胡散臭い認定だった高田さんが、いい人に思える。
「今は持ってないから、連絡先教えて。ケイちゃんがこっちに出てきたときにでも、渡すから」
私は出すのを渋っていたスマホを取り出した。飲み会に来てすぐ高田さんから、連絡先を交換しようと言われたけど、その時は断固拒否したのに。
ついさっきまでなら、絶対高田さんには連絡先を教える気がなかったけど、今なら進んで教える。
高田さんが苦笑している。
「現金だな」
スマホを操作しながら、高田さんが呟く。
「だって、誰とでも連絡先交換するとか、怖くないですか?」
昔だったら、たぶん躊躇がなかった。だけど今は、あまり人とつながりたいと思っていないから。
「まあ、女の子だと、怖いとかあるかもね」
『女の子』とかいう言葉が自分に向けられてるのに、ドキリとする。
高田さんは、佐原さんと同級生だったはずだから、もう40くらいのはずだ。10コも下の女性は『女の子』になるのかも。
「はい。登録できた?」
高田さんが、私のスマホを覗き込む。
「はい、大丈夫です。これで、私の画像はばっちりです」
私は力を込めて告げた。
隣から、クスクス笑う声が聞こえる。
「画像って……。ケイちゃん、面白いわ! 高田君と連絡先交換できた人が言う言葉としては、聞いたことないセリフね」
きょとんとしている私に、陽子さんが続ける。
「ほら、高田君、見た目はかっこいい部類じゃない?」
「あー」
私は一応同意して、頷く。確かにそうかもしれない。ニヤニヤしている高田さんを、意地が悪そうな人という認識はしてたけど、顔がどうとかは全く意識の外だった。
「今頃気付いたとか、ないよね?」
陽子さんが、本気で驚いている。
「高田さんの性格の悪さが表情に出すぎて、言われるまで気付いてませんでした」
「ひでー」
高田さんは、ひどいとは本気で思っていなさそうな、笑いを含んだ声だ。
そういえば、昔、初めて高田さんを舞台で見た時は、かっこいい人かも、とは思ったような記憶も……。私のタイプの顔ではなかったけども。顔だけで言えば、諒太君の方がタイプ。お互いに対象外だけど。
「きゃあ! 私、ケイちゃん好き! 高田君をそんな扱いする人、少ないから!」
気がつけば、陽子さんに抱き付かれている。酔っている陽子さんは、ややテンションが高すぎるらしい。困って高田さんを見ると、高田さんも困っている様子。
「陽子さんって、酔うとこんな感じなんですか?」
「まあね。昔からこんな感じだから、佐原は一緒の時にしか飲ませないよね。抱き付き魔なんだよな」
高田さんはため息をつくと、佐原さんの方に顔を向ける。
「佐原、陽子さん、もう限界だよ」
「ああ、ケイごめん。陽子、そろそろ帰るよ」
佐原さんは私に謝りながらも、陽子さんを見る目はやさしいを通り越して非常に甘い!
何だか貴重なものを見てしまった気分。
「じゃあ、今日はもう解散でいい? 僕も、ケイちゃん送っていかなきゃだから」
その高田さんの言葉で、今日の打ち上げは解散になった。
*
高田さんの車は、黒のよく街中を走っているコンパクトカーだった。
後部座席のドアに手を掛けようとすると、高田さんが車の中から助手席のドアを開けた。
助手席に滑り込む。
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて顔を上げると、ニヤリと笑う高田さんと目が合った。
「何ですか?」
「いや、殊勝なケイちゃんって、貴重な気がしてるだけ」
私はムッとしてシートベルトをつける。
「私だって、一応礼儀はありますよ」
「いや、知ってるケイちゃんのイメージと違ったから」
車が動き出した。高田さんのハンドルを握る手に、何だかドキッとする。よく考えると、家族以外の男の人が運転する車に乗ったのは、初めてかも。学生時代の彼氏は車なんて持ってなかったし、就職してからの彼氏は東京だったのもあって、移動は公共の交通機関だった。
私はドキッとした気持ちをごまかすように前を見る。
「知ってるって……せいぜい、掲示板の中の私じゃないですか」
高田さんと直接会って話したのは、今日が初めてなのだ。
「そうだけどね。……飲みの時の話も聞いてたし」
「……もう、あれ3年前の話ですから」
「3年か。ケイちゃんがぱったり現れなくなって、結構ショックだったんだけどね」
高田さんを見る。高田さんの表情は、ふざけてなくて、真面目に見えた。
「……一人観客が減っただけじゃないですか」
「あれだけ熱心だったから。掲示板にいつ現れるかなーってずっと思ってたんだけどね」
淡々と話す高田さんから、なぜか視線が離せなかった。例えどんな理由でも自分のことを待っていてくれた人がここにいたという事実に、グッとくる。
「私だって暇人じゃないんです」
でも、私は涙をこらえて、顔を窓に向けた。
「でも、待ってたんだよ」
車内に沈黙が落ちた。
私はそっと高田さんを見た。高田さんの表情は、全然意地悪じゃなくて、優しく見えた。
「何?」
高田さんが私の視線に気づいて、私をちらりと見る。私は首を振った。
「いーえ。何も。そう言えば、この車、意外でした。もっとやんちゃな車に乗ってるかと」
私は話題を変えた。あくまでイメージだ。
「そうだね。やんちゃな車も嫌いじゃないけど、保護者からも見られる車だからね」
「保護者?」
私は首をかしげる。高田さんって、何の仕事してたっけ?
「何の仕事だか、覚えてる? 掲示板に書いたりしたこともあったよ?」
そんなやり取りしたような気も……。あ。
「保父さん!」
「当たり」
高田さんを見ると、ニヤリと笑う。
「うーん。そのあくどい笑みで子どもを騙してるのかと思うと、子どもたちが不憫です」
「不憫って、何なの? いい先生してるよ」
「自分で言うことじゃ、ないです」
高田さんは、ニヤニヤしながら、私の返事を聞いている。こう返ってくることは、予測済みなんだろう。
「ケイちゃんは、仕事、何やってるの?」
ギクリ、とする。
「今は、働いてないですよ」
それでも、笑ってみせる。
「前は?」
「まあ、いいじゃないですか」
仕事の話は、今したくない。今日の公演を見た嬉しさが、消えてしまいそうだから。