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「これでよし」

 がらんとした部屋に、私の声が響く。

 1年半とちょっと暮らした伊野島の家も、今日でお別れだ。

「からっぽだね」

 航さんが、感慨深げに呟く。

「ここに初めて足を踏み入れた時、もっとがらんとしてるみたいに見えましたよ」

 まだ私の心の傷がほとんど癒えていない状況だったから、余計にそう思えたのかもしれない。


 ここに住んでいる間ほとんど荷物は増えなかったから、引っ越しの準備は楽だった。家具や家電のほとんどは粗大ごみとして処分してしまったし。働き始めてからずっと使っていたものが多いので未練は何もない。残った洋服や専門書などは、宅急便で今日の午後には新居に届くことになっている。

 今日は最後の掃除をしに部屋に戻ってきた。この後清掃業者が入ることになっている、とは言われていたけど、この部屋にお別れをしに来たかったのだ。

「良かった?」

 航さんが私の顔を覗き込む。

「何が?」

 航さんの質問にきょとんとしてしまう。何を問われてるのかよくわからなかった。


「この部屋出てしまって」

 ちょっと不安げに、航さんの瞳が揺れる。

「今更ですよ。航さんがせかしたんでしょ」

「だから聞いてるんだけどね。」

 12月に実習が終わって、でも私は久しぶりの実習生の対応に疲れ果ててしまって、結婚についての具体的な話はしばらく進まずにいた。

 でも、1月。忘れもしない元旦に、航さんは私をだまし討ちみたいに、航さんの実家に連れって行ったのだ。突然のことに私は航さんと喧嘩をすることになった。まだ実家に上がる前の車の中で。怒っているのは私だけで、そんな怒っている私を航さんは嬉しそうになだめているだけだったけど。

後で聞いたら、私が怒ってる理由がまだ結婚できない理由ではなくて、航さんの家族に会う心の準備ができてないことに関することばっかりだったから、嬉しくなったそうだ。だとしても、心の準備は必要だと思います。


 それから翌週に、私の実家に挨拶に行くことになって、それからは話が早かった。

 流石に私の両親も、10歳差にちょっと思案顔だった。将来のことを考えるとなんだろう。でも結婚しないと言っていた私が結婚したいと言ってることと、何より航さんが私の両親からの信頼を勝ち得るのが早かったことが功を奏した。

 航さんが入籍日をこだわったこともあって、2月末に引っ越し、3月に入籍、と決まった。結婚式と家族の食事会はGWにすることになった。

 航さんが入籍日にこだわったのは、記念日を忘れられないようにしたいから、というなんともロマンチストな理由によるものだった。入籍日は3月3日。女の子の節句の日を選んだのは意図的なのかどうなのか、よくわからないけど、航さんの意見は通ることになった。今日はまだ入籍前だ。


「薫?」

「ここの海が見たい時には、また連れてきてくれるんでしょ?」

 まだ航さんへの言葉遣いは、右往左往してる最中だ。最近ようやく敬語が取れてきたような感じになっている。

「いくらでも」

「また住みたくなったら?」

「それは……ちょっと」

 航さんの困ったような顔に、吹き出してしまう。

「冗談です」

 私が航さんに体を預けると、航さんが私を支えてくれる。


 航さんの服に顔を向けて、最近気になっていたことを聞いてみる。

「航さん、タバコやめたの?」

「ん。今頃気づいたの?」

「最近匂いしなくなったなぁ、とは思ってた。部屋では吸わないようにしてるんだと思ってたんですけど」

「久しぶりに舞台立つことになってから、完全にやめたよ。のどに悪いし」

 それにと航さんが続ける。

「今更だけど、長生きしたいなと思って」

「長生き……」

「まあ、タバコやめたから長生きできるってわけでもないけどね。少しでも長く薫の隣にいたいから」


 航さんが私の前に立ちなおす。

「これから僕の隣にずっといてね」

「航さんも私の隣にずっといてください」

 私の返事に航さんが答えるように軽いキスをくれる。

 悪戯心で航さんの唇を舌でちょっとなぞると、私の理性が壊されるのはあっという間だった。

 くたりとした私の体を航さんが支えている。でも、支えている手も私の理性を奪うように、背中をなぞる。

「やめて……」

 頭のどこかに、この部屋では不味いんじゃないかと、まだ理性が働いている。私の弱弱しい声に、航さんが耳元でささやく。


「薫が仕掛けてきたんでしょ」

 航さんは悪戯を叱るような声で、それでいて熱を帯びた目で私を見る。

「戻ろう?」

 私たちの部屋に戻ろうと、私なりの精いっぱいの抵抗をしてみる。

「自力で戻れるならね」

 航さんは部屋を出るために着ていたコートを脱ぐと、私をだっこするように抱えて私をコートの上に寝かせる。

 航さんが私の唇を甘噛みして、ん、と私の声が漏れたところに、航さんの舌がぬるりとすべり込んでくる。私が航さんの舌に夢中になると、その後は航さんのなすがままだった。

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