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「キャストをどうやって決めてるか知らないですし、台本をどう作り込んでいくかとか、演出がどうとかとかはわからないですけど、最近の佐原さんの舞台は、演技のうまい下手も上手く使われてる演出に見えます。私は佐原さん尊敬してますよ。佐原さんの作る世界、好きですもん。新しい世界が開けるみたいな感じがして、いつもワクワクするんです」
私が興奮したように話をするのを、航さんは興味深そうに聞いている。
「薫は舞台に立ちたいと思わないの?」
「それは、舞台を壊したいかと聞いているのに等しいです。勿論、私だって舞台に立ちたいと思って、部活でやってみたことはありますよ。でも自分の演技力のなさに愕然としただけです。それからは見る専門です」
「舞台には立たないとしても、そんなに佐原を尊敬してるんだったら、劇団Airに関わりたいなとか思わないの?」
航さんが首を傾げる。でも、私はきっぱりと首を横にふった。
「佐原さんって、いい人ってわけではないですよね? 下っ端になったら大変そうなので、それは遠慮しときます」
航さんが、ハハ、と笑う。
「確かに付き合いの長い僕でも振り回されてるけど、諒太とかの下っ端はもっと振り回されてるね。でもそれも楽しそうだよ?」
「諒太君は、佐原さんに振り回されたくて劇団Airにいるんだと思いますよ」
「きっとそうだね」
そう笑いながら、航さんがウィンカーを出す。いつもの帰り道と違う道だ。
「どこか、寄るんですか?」
「えっと、ここ」
航さんはあっと言う間に車を駐車場に止めると、私にも降りるように促す。
「航さん?」
「新しい部屋借りたから」
「いつの間に? 忙しいんじゃなかったんですか?」
舞台に立つんなら、暇ってわけない……よね?
「おととい休みだったから引っ越した。薫と平日の休みの都合が合わない限りは、夜の稽古以外の予定はなくなったしね」
「でも、そんなタイミングで引っ越さなくても」
「早く引っ越したかったの」
ちょっと、航さんが拗ねている。……これ以上は言うのやめておこう。
「もしかして疲れてたのって、引っ越しの準備とかですか?」
航さんに促されて、エレベーターに乗る。
「そうだね。前の部屋は長いこと住んでたから、思った以上に荷物が増えてて。捨てるのが大変だった」
「ビデオとかDVDは?」
慌てた私に航さんが笑う。
「それは捨ててないよ。捨てたら薫に恨まれそうだから」
エレベーターのドアが開いて、航さんに続いて降りる。
廊下の突き当りの部屋が航さんの部屋だった。
「どうぞ」
カギを開けて、航さんが恭しくお辞儀をする。
「お邪魔します」
前の航さんの部屋より、玄関が広い。ちょっとした廊下があって、ドアがいくつかある。トイレ、お風呂、部屋、ってところかな?
「奥のドア開けて、入って」
靴を脱ぎながら、航さんが奥のドアを指さす。
「失礼します」
そろそろとドアを開けると、そこはがらんとしていた。航さんの前の部屋にあったローテーブルとテレビとだけが置いてあって、奥にはキッチンが見える。他にも、部屋がありそうな扉がある。
「どう?」
私の横に並んで、航さんが尋ねてくる。
「広いですね? 他にも部屋があるんですか?」
「あと二部屋あるよ」
「広いですね」
何せ私の部屋は六畳一間だ。気に入ってるけど。
「他の部屋も、見ていいですか?」
「いいよ」
航さんはにこやかに他の部屋も案内してくれる。
寝室には、去年買ったベッドが一つ真ん中に置いてあったので、なんだか見た瞬間に恥ずかしくなって扉を閉めた。
航さんがおかしそうに笑っている。
「……ここお風呂も広いんですか?」
「そうだね。広いと思うよ。こっちね」
廊下に戻って扉を開けてくれる。
「脱衣所まである! いいですねぇ」
今の部屋は脱衣所なんてないからうらやましい。
「どう? 広い?」
「広い!」
お風呂を見て、ついはしゃいでしまう。寮のお風呂もワンルームについているお風呂で狭かったし、今の家のお風呂も小さい。広いお風呂は純粋にうらやましい。
「気に入った?」
「良い部屋ですね。……家賃、高いんじゃないですか?」
「高くはなったけど、払えない金額ではないよ」
むむむ。10歳も上だと収入が違うからかな? 私の収入では借りられそうにない。
「何、ムッとしてるの?」
「私には借りられそうにないな、と思って」
「薫が借りる必要はないでしょ? 一緒に暮らせばいいんだから」
「……同棲ってことですか?」
私の表情を見て、航さんがちょっと思案顔になる。
「こっちに来てくれる?」
航さんに促されてリビングに戻る。
「座って」
クッションに座るように促される。私が座ると、遅れて航さんも向かい側に座った。
コクリ、と航さんが唾を飲みこんだ。
「ここで、一緒に暮らしてほしい。同棲じゃなくて、結婚しよう?」
「いいですけど」
私の軽い返事に航さんが苦笑する。Yesの返事したのにそんな顔する?
航さんの手から鍵が渡される。
「鍵、でごめんね。指輪は仕事ではつけてられないでしょう? 前にあげた指輪もまれにしかつけてないし、薫は貴金属類にはあんまり興味もなさそうだし、買うのに躊躇しちゃって。指輪欲しい?」
指輪……確かに、興味はないかも。でも、
「航さんもつける指輪なら欲しいです」
「僕が言ってるのは、エンゲージリングの方。で、結婚指輪は欲しいんだね?」
「結婚指輪は欲しいです。でも、エンゲージリングの方は腐らせそうなのでいらないです」
「腐ることないと思うけど、やっぱり興味はないんだね。エンゲージリングは今しか買えないけどいいの?」
「必要がないと思うものに、お金を費やす必要を感じません」
「……薫は結婚に対する憧れみたいなのはないの?」
「ないです。そもそも……」
これは航さんには言ったことがなかったかも。
「私、結婚しないって、ずっと言ってたので。結婚に対しての憧れとか持ってないです」
え? と航さんが言ったかどうかは定かではないけど、目を見開いている表情はそう言いたげだ。
「薫は結婚願望ないの?」
「正確には、なかった、ですよ」




