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「薫よく考えてみて。僕は公演の後に、買い替えるつもりだったよね?」
「そう言ってました」
私は頷く。
「でも、僕は公演の後、休みがずっとつぶれていた」
「どうして?」
首を傾げると、高田さんが苦笑して私の頬を撫でた。
「だって、薫のところに来てたでしょ?」
「日曜日は、自分の家にいたじゃないですか」
高田さんが来るのは、決まって平日が休みの前の日からか、土曜日が休みの日の金曜日からだった。でも土曜日でも夜には家に帰ってしまって、日曜日はうちにはいなかった。
「家事がたまってたし、佐原と公演の打ち合わせもあったし。それに、薫を抱けなくて悶々とした気分で薫を抱くためのベッドを買いに行くって、拷問じゃない?」
「そんなこと、ない」
高田さんから目をそらす。
「ほら、買いに行くの無理だったでしょう?」
「私のところに来ずに、買いに行っても良かったのに」
「話聞いてた? 拷問なんだって。それに……」
高田さんがため息をついた。
「それに?」
「あの様子じゃ、もう薫は僕の部屋に入りたがらない気がしたから……」
「……そんなことない」
「じゃあ、今から僕の部屋、行く?」
「いやです」
高田さんの言葉に即答すると、ほらね、と高田さんが私を見る。
「あの時以来、薫が感情を見せてくれるようになってたから、薫の気持ちがはっきりしたら引っ越そうかと思って、日曜日は新しい部屋さがしたりもしてた。だからベッドは引っ越しの時に、ついでに買い替えようと思ってた」
高田さんの言葉を咀嚼するのに、しばらく時間がかかる。
「私の気持ちがはっきりしたら?」
「そう。だって、あれは嫉妬でしょう?」
とたんにひどく恥ずかしくなる。
「違います」
「今日も薫が自分の気持ちを違うって言い張るから、僕の読み違いだったのかと思って、自信を無くしたところだったんだけど」
高田さんがうつむいた私の顔を覗く。
「薫は自分の気持ちに鈍感だよね」
高田さんが私の背中を再びなでる。でも、その手つきは、子どもをあやすような手つきだ。
「たぶん、それで薫はパワハラにあっても3年も耐えられたんだと思うし、心を壊してしまうことはなかったんだと思うから、それはそれで良かったと思うよ」
「褒められてるのかよくわかりません」
「でも、恋愛感情に関してはこっちが振り回されるだけだから、ちょっと気づいてほしい。それでお願いがあるんだけど」
「……何ですか?」
色々と気付けなかったのは自分のせいでもあるから、何となく断りづらい雰囲気のような……。
「一緒に暮さない?」
「……唐突すぎません?」
「……ほんとは今日言うつもりじゃなかったんだけど」
高田さんが私から手を離してベッドに後ろ手をついた。
「ごめん。薫が好きって言ってくれて完全に舞い上がってるね」
ちらりと私を見る。
「薫は仕事始めるつもりなんでしょう?」
そのつもりで就職活動を始めたから頷く。
「どこから通うつもり? ここから通うのは大変じゃない?」
確かに市内まで行くには、伊野島からだと時間がかかる。今日見学に行ったところは、もっと時間がかかる場所だった。今日偶然会った同級生は、今後のことを考えて奥さんの実家に近いところに住むことにしたから、職場と家が遠くなったと言っていた。
「いっそ、実家から通おうかと思ってました」
私の言葉に、高田さんが目を見開く。
「実家戻るの?」
「色々消化できたから、ここに暮らし続けなくてもいいかなと思えてきたので。ほら、高田さんが実家からでもここには来れるでしょう? って言ってたから。確かにそうだな、と思って。昨日服を取りに行ってから両親に会って、実家に戻ろうかと思うって言ったら、喜んでくれたし」
高田さんが視線をさまよわせている。
「どうかしましたか?」
「薫の予想外の動きに、戸惑ってる」
「どうしてですか?」
「薫は、しばらくここに暮らすつもりだったんじゃないの?」
「……そうでしたよ。少なくとも1年くらいは、ここに暮らすつもりで、わざわざ引っ越してきたんで。働き始めるにしても、ここから通えるところを探そうと思ってました。でも、色々消化が早くできたので。高田さんのおかげですよ?」
感謝を込めて高田さんを見たのに、高田さんの顔はちょっと複雑そうだ。