21
車が動き出してからも、しばらくは静かな時間が続いた。私が話し始めないから、高田さんも口を開けないのかもしれない。
私は暗い外の景色をじっと見つめていた。
「大したことじゃないと思ってたんです」
声が、ふいに出た。
私が話し始めたことに、高田さんはいくらかほっとしたようだった。
「何が?」
「彼の裏切りを理解したのは、彼と新しい彼女のキスシーンを見たからなんです」
私の言葉に高田さんが息をのむ。
「さっき、そのシーンがフラッシュバックしちゃって」
私は窓の外を眺めたまま告げた。
「ごめん」
何と言っていいのかわからない様子で、高田さんが謝ってくる。
「ショックで何も考えられなくなっちゃって。藤沢さんがそばにいたから助けてもらいました。だから、藤沢さんを怒るのは違います」
涙がボロボロとこぼれてくる。私は子供みたいに手で涙をぬぐう。
「泣かないで?」
高田さんの声が、困っている。
「泣きたいわけではないので」
それは本当のことだった。だけど涙がとまらない。
「僕が泣かしたことになるのかな?」
「違います」
私は首を振る。
「僕が泣かしたんだね」
その声は、優しい。
「違います」
私はまた窓の外を見た。
「誰のキスシーンでも、フラッシュバックするわけでは、ないんでしょう?」
「わかりません」
その答えなど、私にはわからないし、今は考えたくなかった。
「ショック受けたのは、フラッシュバックしたからだけなの?」
「わかりません」
高田さんの質問に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
涙だけがボロボロとこぼれていく。
「僕が隙を見せちゃったせいだからね。今はそれでいいよ」
高田さんは、それ以上追求してはこなかった。
静かになった車内で、私が鼻をすする音だけが続いていた。
*
部屋に着くと、高田さんは私を抱きしめて背中をなでてくれた。ようやく、私が泣き止むと、顔を覗き込んでくる。
「キスしてもいい?」
今まで聞かれたこともない質問に、きょとんとしてしまう。我に返って、力なく首を横に振る。高田さんはため息をつきはしたものの、無理強いするようなことはなかった。
「一緒にいるのはいいのかな?」
高田さんの胸に顔をうずめて頷く。心は乱れていたけど、高田さんのそばにいるのは居心地がいいのだ。
「薫の嫌がることはしないから」
ちょっとほっとしたように、高田さんは呟いた。
「そうだ、来週から園の運動会の準備が始まるから、休みの日だけくらいしか来れなくなる」
「次の公演、11月でしたよね? 準備と重なっても大丈夫なんですか?」
「次回の公演は、11月下旬だから。運動会10月の中旬だから、それまではそんなに稽古の頻度も多くないし。佐原の思い付きが4月だったから、11月は無理だって言ったんだけど、間開けるからって言われて、OKしたんだよ。運動会の準備とか遅番でも早めに行ったりしたいから」
「休みの日しか来ないって今までと変わらないですよね」
いつも次の日はゆっくりしていた気がする。
「次の日が遅番の日とかでも来てたから。早めに帰ってた日もあったんだけど」
「そうでしたっけ?」
私の返事に、高田さんは苦笑する。
「まあいいよ。つまり、しばらく来る頻度が減るからってこと」
「それは別にいいです。私もそろそろ地元の友達と連絡とろうと思ってるし、高田さんが来なくても大丈夫です」
「なんか言い方が冷たいね」
「いつものことじゃないですか」
「そうだけどね」
いつものように高田さんと話していたら、ずいぶん落ち着いた。
「地元の友達にも会う気力が出てきたんだね」
「そうですね。ようやく連絡とろうかな、って気分にはなりました。幼馴染とかには怒られそうですけどね」
「薫を心配してくれてるからでしょう? 怒られてきなよ」
「そうします」
高田さんが、慰めるように私の頭をなでた。
*
高田さんが私の家を訪れる頻度は、確かに減った気がした。
まだ日付の感覚が曖昧なせいで、よくわかっていないのが正直なところだった。
それでも、会えない日が続くと何だか寂しい気がしたのは、期間が空いているってことなんだろうか。
高田さんが来るときは、前と同じように夜遅くにやってきて、私と話をして一緒に眠った。
前と違うのは、何もせずに一緒に眠っているということだ。
私たちの間には、性的な接触はなくなった。
高田さんが何を考えているのかはよくわからないけど、抱きしめられて眠ることには抵抗はない。むしろ安心を覚えていた。
翌朝は、のんびりしながら色々な話をする。高田さんが次にいつ来るかという話をするようになったのは、あれ以降だ。
「次は金曜日に来ても大丈夫? いつもの時間になると思うけど」
私はスケジュールを思い返して頷いた。
「いいですよ」
私も予定はあるけど、昼間のことだから問題はないと思うから。