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舞台が終わると、隣に座っていた藤沢さんが泣いていた。舞台に集中していたので、隣で泣いているのは気付かなかった。最後は、泣くようなシーンじゃなかったけど。
藤沢さんが泣き止むのを待っていると、座席に残っている人はまばらになった。
「藤沢さん化粧室行きましょうよ」
藤沢さんを無理やり引っ張って歩くと、ロビーにいた諒太君が藤沢さんの顔を見て、ぎょっとして、そのあと私を睨み付けてきた。完全に誤解です。
あ、丁度いいか。
「諒太君」
呼ばれた名前に、諒太君が嫌そうな顔をしながら近づいてくる。
「今日も面白かった。これ、遅くなったけどみんなで食べて」
届けられなかった差し入れを渡す。
「高田さんなら人に呼ばれて出て行った」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと諒太君は立ち去った。
なぜすぐに高田さんの名前が出る? 高田さん、私のこと何か言ってるのかな?
でも、今は高田さんよりこっちでしょう。
化粧室で化粧を整えた藤沢さんは、幾分すっきりとした顔をしていた。
「ありがとう。ちょっとすっきりしたわ」
「良かったです」
「私は帰るわ。高田さんのところに、挨拶行ったら?」
「まだ撤収の作業が終わらないと思うので、大通りまでは見送りに行きます。こんな藤沢さん見たら、騙そうと思って近づいてくる人がいるかもしれないんで」
藤沢さんは、くすりと笑うと、送っていくことを肯定した。
ロビーにまだいた諒太君に、ひと声かけて会場を出る。
会場を出てカフェの前を通り大通りに向かう。
「あれ?」
大通りの手前に、車道をはさんで公園がある。その公園に立つ人影には、見覚えがある。
「高田さん……と、女の人?」
私の言葉に、歩道の内側を歩いていた藤沢さんが、公園に視線を向ける。
「……あの子……まだ……」
藤沢さんの言葉が引っかかって、藤沢さんに顔を向けた瞬間、視界の隅で2人の影が重なった。
振り返って公園の中を見る。間違いなくキスをしている。どろりとした何かが、心の中に湧きあがった。
これはダメだ。
私は力が抜けてしまった体に力を入れると、速足で大通りへ向かう。
藤沢さんが、慌てて私を追いかけてくる。
「どうしたの? あなた、やっぱり高田さんのこと……」
「違います。でも、今はちょっと」
「どうして。私に対してはどんな状況でも、すごく冷静にしてたじゃないの」
藤沢さんが私の手を引っ張って、進むのを引きとどめようとする。
「ごめんなさい。無理なんです」
私の顔を覗き込んだ藤沢さんが、はっとする。
「大丈夫? 顔が真っ青だけど。気分が悪いの? どこかに座る?」
街灯の明かりでもわかるぐらいに、血の気が引いてしまっているようだった。藤沢さんの言葉に、力なく首を横に振る。
「ここから離れたいです」
しばらく逡巡した後、藤沢さんが車のキーを取り出す。
「私車で来てるから、しばらくドライブしましょう?」
私は、ありがたく頷いた。
*
「あの子はね、高田さんのファンなの。貴方なら見覚えがあるんじゃない?」
車を走らせながら、唐突に藤沢さんが話し出す。
私は後部座席に体を横たえたまま、藤沢さんの話を聞く。……確かに見覚えがある気がする。
「誰なんですか?」
「高田さんに付きまとっているファンとしか私も知らない」
うんざりしたような声で、藤沢さんが答えてくれる。藤沢さんは付き合ってた時、何か迷惑を受けたことがあるんだろうか。
「でも、まだ諦めてなかったのね。高田さんがファンとは付き合わない、って言ってたのは本当よ。あの子のことがとても煩わしかったみたいで。あのキスも、無理矢理だったじゃない。高田さんひどく嫌がってた」
「そうなんですね」
「そうは、見えなかった?」
「二人がキスしてるって事実だけで、私の思考回路は止まっちゃったみたいです」
「すぐに突き離されてたわよ」
「そうなんですか?」
無意識のうちに大きく息を吐いていた。
「ちょっとは、顔色戻ってきたわね」
ミラーをチラッと覗き込んで、藤沢さんが安心したように笑う。
「あなたが高田さんをどう思ってるかは知らないけど、キスシーン見ただけで動揺するって意外だわ」
「トラウマなんだと思います」
「トラウマ?」
キスシーンでトラウマって、聞いたことないよね。
「私、前の彼にひどい方法で振られたんです」
「どんな?」
「上司にパワハラにあってたんですけど、私をかばってくれていたはずの彼氏が、気がついたら他に彼女作ってて、それだけならまだしも、パワハラしてた上司に媚売るようになって」
「それは、ひどい」
私も頷く。
「周りはすごく心配してくれてて。でも、やっぱり6年も付き合った相手だったら、どこかでまだ信じたいじゃないですか。パワハラ上司に対抗しようとして、媚を売ってるふりしてるのかも、とか」
「……まあ、そうかもしれないわね」
藤原さんは曖昧に肯定した。
「少しでもいいから信じたかったんだと思います。新しい彼女って言われている人も、もしかしたら何かの勘違いかもしれないし。って」
もう高田さんに話した時みたいに、声は震えなかった。
「そうなの」
藤原さんがため息をついた。




