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「お店に入ってくれる?」

 それでも。はい、以外の返事を求めない質問の仕方は、流石というかなんというか。私は肩をすくめて店の入口へ向かう。

「公演が19時なので、それまでには出ますから」

 私も決定事項として“彼女”に伝える。“彼女”は肩をすくめた。

「あなた本当にあの劇団が好きなのね。それとも航狙いなの?」

「劇団が好きなのは本当ですよ。旗揚げ公演から見てますから。でも、高田さん狙いっていうのはないです」

 私は首を横にふった。


「そんなに執着ないなら、航返してくれない?」

 すごい! 本当にそんな言葉を言う人がいるんだ! しかも、私は友達だって言ったのに。

「私には航しかいないのよ」

 私が返事しないのを肯定と取ったのか、再度“彼女”は悲壮な様子で言葉を重ねる。

「プロポーズ断っておいて、自然消滅しといて、何年もたって、それで急に私のものって言えるあなたの思考回路が、不思議でなりません」

 私は首を振るしかできない。


「今になって気付いたのよ。私にとって、航は必要な人だって」

「何が目的なのかわかりませんが、私にそんなこと言っても無駄だって、あなたは分かってるんじゃないですか?」

「部屋の鍵が変わってたの」

「また部屋の鍵開けようとしたんですか? 懲りない人ですね」

 部屋の鍵は、翌日私が留守番をして交換してもらっていた。

「連絡先も通じないの」

「連絡先が変わったんじゃないですか」

 もう連絡先も知らない、と高田さんは言っていた。


「ねぇ、あなたから航に私と会うように、言ってもらえないかしら」

「意味が分かりません」

 私は首を横にふった。

 高田さんに何らかの執着をしていることだけはわかる。前回よりも頭が痛い。

「そうそう、あなたの作戦は一つ成功しましたよ。あのベッド、明日にでも廃棄処分になることになりましたから」

 私の言葉に“彼女”のカップが倒れる。中身が入ってなくて良かった。

「どうしたんですか?」

「ひどい。貴方のせいね」

 確かに私のせいだけど。ひどいのは私じゃない。


「あの、演技が下手で気持ち悪いんですけど、演技やめてもらってもいいですか?」

 ずっと話が棒読みで気持ち悪かったのだ。

 私の一言に、急に“彼女”の空気が変わる。

「気付いてたの?」

「気付きますよね」

 “彼女”は盛大なため息をつく。ため息をつきたいのはこっちの方だ。


「私付き合ってた人がいたの。会社の同僚よ」

 突然告白が始まってしまった。19時までに終わるかな? いや終わらせよう。

「それで、その付き合ってた人に振られたんですね?」

「そう。結婚することになったって言われて」

「二股されてたんですね?」

「そうなの。だから、ついプロポーズされてる人が他にいるって言ってしまって」

「高田さんを思い出した、と」

「あなたと話してると、話が早いわ」

 ……頑張って、推測してます。


「それで、高田さんとよりを戻そうと?」

「……そんなの無理だって、もう分かってるんだけど」

「……よりどころが、欲しかったんですか?」

「そうね。もう私37歳だから。付き合ってた彼とこのまま結婚するんだろうな、と漠然と思ってた。でも、私は求められなかった。だから、昔私を求めてくれた航……高田さんにすがりたかったのかも」

 ため息をついた“彼女”は、落ち着いた大人の女性に戻っていた。


 *


 彼女は藤沢さんと言うらしい。

「藤沢さんは、なんで劇団辞めちゃったんですか?」

「私は高田さんと気まずくなって、劇団に居づらくなったのよ。あんまり演技も上手いほうじゃなかったし、やめるのは後悔しなかったわね」

「何で、劇団Airに入ったんですか?」

「自分を変えてみたかったのかな。一度見たここの公演で、佐原さんの話に感動したのもあるけど、私もこの中だったら変われる、と思ったのかもしれない」


「変われましたか?」

「どうかしら。変わってないのかもしれないわ」

 藤沢さんの表情には、カフェで最初に会った時の、途方に暮れたような顔が時々覗く。

 きっと二股された彼のことは、まだ吹っ切れていないんだろう。

「藤沢さんは、振られてから泣きましたか?」

「どうして?」

「泣くのは、ストレス発散にいいんですって」

「それは聞くわね。でもそれが?」


「舞台見に行きましょう。泣けるかどうかはわからないですけど、ちょっとしたストレス発散にはなります。佐原さんの脚本、好きなんでしょう?」

「えーっと。ちょっと劇団の人と会うのが気まずいから」

「大丈夫です。藤沢さんがいたのは、3年より前の話ですよね? その時のメンバーは佐原さんと高田さんくらいしか残ってないので大丈夫です」

 そう言って、藤沢さんの腕を掴んで立ち上がらせる。

「さて、行きましょう」

 藤沢さんは、戸惑い気味に私の後をついてきた。

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