18
「お店に入ってくれる?」
それでも。はい、以外の返事を求めない質問の仕方は、流石というかなんというか。私は肩をすくめて店の入口へ向かう。
「公演が19時なので、それまでには出ますから」
私も決定事項として“彼女”に伝える。“彼女”は肩をすくめた。
「あなた本当にあの劇団が好きなのね。それとも航狙いなの?」
「劇団が好きなのは本当ですよ。旗揚げ公演から見てますから。でも、高田さん狙いっていうのはないです」
私は首を横にふった。
「そんなに執着ないなら、航返してくれない?」
すごい! 本当にそんな言葉を言う人がいるんだ! しかも、私は友達だって言ったのに。
「私には航しかいないのよ」
私が返事しないのを肯定と取ったのか、再度“彼女”は悲壮な様子で言葉を重ねる。
「プロポーズ断っておいて、自然消滅しといて、何年もたって、それで急に私のものって言えるあなたの思考回路が、不思議でなりません」
私は首を振るしかできない。
「今になって気付いたのよ。私にとって、航は必要な人だって」
「何が目的なのかわかりませんが、私にそんなこと言っても無駄だって、あなたは分かってるんじゃないですか?」
「部屋の鍵が変わってたの」
「また部屋の鍵開けようとしたんですか? 懲りない人ですね」
部屋の鍵は、翌日私が留守番をして交換してもらっていた。
「連絡先も通じないの」
「連絡先が変わったんじゃないですか」
もう連絡先も知らない、と高田さんは言っていた。
「ねぇ、あなたから航に私と会うように、言ってもらえないかしら」
「意味が分かりません」
私は首を横にふった。
高田さんに何らかの執着をしていることだけはわかる。前回よりも頭が痛い。
「そうそう、あなたの作戦は一つ成功しましたよ。あのベッド、明日にでも廃棄処分になることになりましたから」
私の言葉に“彼女”のカップが倒れる。中身が入ってなくて良かった。
「どうしたんですか?」
「ひどい。貴方のせいね」
確かに私のせいだけど。ひどいのは私じゃない。
「あの、演技が下手で気持ち悪いんですけど、演技やめてもらってもいいですか?」
ずっと話が棒読みで気持ち悪かったのだ。
私の一言に、急に“彼女”の空気が変わる。
「気付いてたの?」
「気付きますよね」
“彼女”は盛大なため息をつく。ため息をつきたいのはこっちの方だ。
「私付き合ってた人がいたの。会社の同僚よ」
突然告白が始まってしまった。19時までに終わるかな? いや終わらせよう。
「それで、その付き合ってた人に振られたんですね?」
「そう。結婚することになったって言われて」
「二股されてたんですね?」
「そうなの。だから、ついプロポーズされてる人が他にいるって言ってしまって」
「高田さんを思い出した、と」
「あなたと話してると、話が早いわ」
……頑張って、推測してます。
「それで、高田さんとよりを戻そうと?」
「……そんなの無理だって、もう分かってるんだけど」
「……よりどころが、欲しかったんですか?」
「そうね。もう私37歳だから。付き合ってた彼とこのまま結婚するんだろうな、と漠然と思ってた。でも、私は求められなかった。だから、昔私を求めてくれた航……高田さんにすがりたかったのかも」
ため息をついた“彼女”は、落ち着いた大人の女性に戻っていた。
*
彼女は藤沢さんと言うらしい。
「藤沢さんは、なんで劇団辞めちゃったんですか?」
「私は高田さんと気まずくなって、劇団に居づらくなったのよ。あんまり演技も上手いほうじゃなかったし、やめるのは後悔しなかったわね」
「何で、劇団Airに入ったんですか?」
「自分を変えてみたかったのかな。一度見たここの公演で、佐原さんの話に感動したのもあるけど、私もこの中だったら変われる、と思ったのかもしれない」
「変われましたか?」
「どうかしら。変わってないのかもしれないわ」
藤沢さんの表情には、カフェで最初に会った時の、途方に暮れたような顔が時々覗く。
きっと二股された彼のことは、まだ吹っ切れていないんだろう。
「藤沢さんは、振られてから泣きましたか?」
「どうして?」
「泣くのは、ストレス発散にいいんですって」
「それは聞くわね。でもそれが?」
「舞台見に行きましょう。泣けるかどうかはわからないですけど、ちょっとしたストレス発散にはなります。佐原さんの脚本、好きなんでしょう?」
「えーっと。ちょっと劇団の人と会うのが気まずいから」
「大丈夫です。藤沢さんがいたのは、3年より前の話ですよね? その時のメンバーは佐原さんと高田さんくらいしか残ってないので大丈夫です」
そう言って、藤沢さんの腕を掴んで立ち上がらせる。
「さて、行きましょう」
藤沢さんは、戸惑い気味に私の後をついてきた。




