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 玄関からガチャガチャとカギを開ける音がして、我に返る。時計を見ると高田さんが稽古が終わると言っていた時間だった。

 だし巻き卵は直前に完成させる気だった。料理が終わってなかったことを思い出して、慌てて立ち上がる。

「ただいま」

 部屋に入ってくると、高田さんがすごく嬉しそうな顔をする。

「おいしそうなにおいがする」


「まだ、だし巻き卵焼いてなくて。待っててもらって良いですか?」

 キッチンに立つ私の手元を、高田さんが覗き込んでくる。まだ卵も割ってない。

「薫」

 高田さんは、私の手から卵を取ると、キッチンに置く。

「えーっと、何でしょう?」

 私が返事をし終わる前に、声ごと唇が奪われる。高田さんの目がスイッチが入ったことを示していた。

「薫」

 私を呼ぶ高田さんの声が、ひどく色っぽい。ケイちゃんと呼ばれているときには、感じなかった色っぽさだ。

 ……そう分析できるくらいに、私の頭は冷めていた。


「高田さん、嫌」

 私の小さなつぶやきは、すぐに高田さんの唇に飲み込まれていった。

 私は抵抗する。

「高田さん、私今あのベッドでするのは嫌です」

 私の言葉で高田さんはひどく驚いた表情をする。

「……どうして?」

「高田さんがプロポーズしたことのある昔の彼女が、さっき部屋に来ました」

 どの時点の彼女かはわからないけど、プロポーズしたことのある彼女なんてそんなに多くはないだろう。

 高田さんの視線が揺れる。困惑してるのも見て取れる。


「何で今更」

 他の条件を言わなくても誰か思い当ったようだった。プロポーズしたことがあるのは、一人しかいないみたいだ。

「何か言われた?」

「私が彼女だって主張されました」

「違う」

 高田さんの焦った声。

「勿論分かってます。冷静に反論したら、怒って帰っていきました」

「よく追い返せたね。彼女を怒らせたっていうのもすごいけどね」

 感心したような高田さんの声。やっぱり”彼女“は基本冷静な人なんだろう。


「私が高田さんが出てる作品を見てるのに気付いて、最初に怒ったみたいでしたけど」

「……ああ、どれだけ見たいって言われても見せたことなかったからかも。薫にしか見せたことないからね」

 その言葉にちょっと嬉しくなる。

「でも対応しなくて良かったのに」

「だって、カギ開けて部屋に入ってきたんで、対応しないわけにはいかないです」

「カギ?」

 高田さんが困惑した表情で考え込んでいる。しばらくすると思い当たったようだった。

「結婚断られた後、気まずくなって自然消滅みたいになったから、カギは返してもらってないかも。ごめんね。嫌な気分にさせて」 

 私は首を横に振る。


「別にいいです。でもカギは取り替えてもらった方が良いと思います。物騒ですよ。それに、他にも相手しないといけないとなると、面倒事に巻き込む高田さんを恨みそうです」

「渡したことがある相手は他にいないから。でもそうだね、カギは変えるよ」

 高田さんは私をなだめるように髪をなでる。

「それで、ここではそういうことしたくないと思ったの?」

 私を気遣うような表情だけど、心なしか笑みが含まれてる。

「何ですか」

 怒ったような私の言葉に、高田さんが笑みの割合を増やす。


「嫉妬されるって、案外嬉しいもんなんだね。薫はあんまり感情見せてくれないから、余計に嬉しいかも」

「だから違いますって。その彼女があのベッドは私が一緒に買いに行ったのよ、って暗に、自分も使ってたベッドだって言うの聞いたら、想像しちゃって何だか生々しくて、そういう気分になれなくなったんです」

 高田さんの笑みが固まる。視線をさまよわせてため息をつく。

「あのベッドは買いなおす。……普通に寝るだけも無理?」

「……寝るだけなら大丈夫かもしれません」

「ごめん、公演が終わるまでは買い物とか行けそうにないから、今週末終わるまで待って」

「明日帰りますから、今日一日のことなので大丈夫です」

 高田さんが、複雑そうな表情で頷く。


 *


 今回の公演は2回目を見ようと思って、午後島を出た。

 ちょっと早めだったけど、差し入れを持っていこうと会場に向かう。

 会場ある場所の向かいにはテラス席のあるカフェがあって、早めにつくとそこに行って待つこともある。今日はカフェを通り過ぎて会場に入るつもりだった。テラス席で立ち上がった人を見るまでは。

「こんにちは」

 この辺りの日の入りは遅い。18時はまだ明るい。だからテラス席で立ちあがった人の姿を見なかったことにすることができなかった。

「こんにちは。この間は、どうも」

 私の言葉に“彼女”の肩がピクリと動く。あの時の怒りを思い出したかも。仲良くはしたくないけど、きちんと話をしないと、また今後も会うことになりそうな気がする。あれほど私に対して自信にあふれていた“彼女”は、ちょっと途方に暮れたような顔をしていた。

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