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「薫って、呼んでもいい?」

 高田さんの自宅に戻るエレベーターの中で、髪を触られながら聞かれる。

「いいですよ。嫌悪感はわかないので」

 エレベーターを出るとすぐに高田さんの部屋があった。

「それ、今言う言葉?」

 カギを開けながら高田さんが私をチラリと見る。

「付き合ってはないですから」


 ドアが開いて先に入るよう促される。

「そうだね」

 そう言って、高田さんが唇を貪る。高田さんの気持ちを知っていても私は抵抗しなかった。

「今日、稽古なければいいのに」

 高田さんは唇を離すと、大きくため息をつく。

「そんなこと言うなら、私帰ります」

「冗談! 稽古は行きます」

「公演楽しみにしてるんですから」

「稽古頑張ってきます」

 高田さんが苦笑している。


 部屋の中へ入るとちょっと雑然とした感じは受けるものの、割ときれいな部屋だ。

「材料、ここに置いとくから。冷蔵庫の中のものとかも好きに使って」

 ワンルームにしては、キッチンがしっかりしている印象。これなら自炊もしやすいかも。

「あと、これ見ていいから。」

 高田さんは、本棚から一本のビデオテープを取り出して、リモコンと一緒にローテーブルの上に置く。

「なんですか、これ?」

「劇団の2作目の公演」

 私は耳を疑った。


「え?! 高田さんが出演したやつですか? ないって言ってなかったですっけ?」

「恥ずかしかったのと、いつか餌にしようと思ってたやつだから」

「これなら私は確実に釣れますね。もう出しちゃっていいんですか?」

「もう、いい。恥ずかしいから帰ってくる前に見てほしいけど」

「すごく嬉しいです! 早くご飯作って見ます!」

「じゃあ、稽古行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 キッチンから高田さんを見送ると、早速食事の準備に取り掛かる。今日の夜ご飯は、ご飯とお味噌汁と煮物とだし巻き卵と冷奴。食べるのが遅くになるので、あまり重い内容にはしなかった。そのせいもあって、特に時間がかかりそうなものもない。 


 *


 ビデオを見ていると、玄関からガチャガチャ、とカギを開ける音がした。

 時計を見る。まだ早くないかな? とは思ったけど、まだビデオを見ている最中なので、お迎えは出ない。ごめんなさい。

「あれ、電気ついてる。航いるの?」

 聞こえたのは女性の声で、玄関を見るとバッチリ目が合った。

 ……誰?

「誰?」

 質問されて、立ち上がる。

「えーっと、あなたこそ誰でしょうか?」

 間違いなく、私より年上だと分かる。きれいな大人の女性だ。たぶん高田さんの年に近いと思う。


「質問に質問で返すのは失礼だって、習わなかった? 私は航の彼女だけど」

 あまり動揺はしていない様子で、私に返事してくれる。“彼女”の言葉になんとなく事情は理解した。

「不法侵入って知ってます?」

「私は航に貰った鍵で入ってきたから、それには当たらないわ。貴方、誰?」

「高田さんの友達です」

 私の言葉は予想していたのとは違うようで、“彼女”は一瞬表情を変えたけど、気を取り直したように、冷静な声で話し出す。

「彼女が来たんだから、遠慮してもらえないかしら?」

 “彼女”は、とても余裕のある様子で私を見る。


 ずっと見ていると、この女性をどこかで見たような気がしてきた。どこで見たんだろう?

「あれ? これ、航が出てる。これ昔のやつでしょう? 何であなたが見てるの!」

 まだ流れたままのビデオの映像を見て、それまで冷静だった“彼女”の声が怒った。

「高田さんが、見せてくれたんです」

「そんなわけないわよ。航、絶対見せてくれないんだから。……勝手に見たんでしょう?」

 最後の言葉を言う頃には、“彼女”は冷静さを取り戻していた。

 “彼女”の怒った声が、記憶を刺激する。どこかで聞いたような話し方。……舞台で見たかも。

「化粧が違っててわからなかったんですけど、劇団に前いらっしゃいましたよね?」


「私のこと知ってるって、あなた劇団のファンか何かなの?」

「そうですけど」

「航がファンに手を出すことはないわ。本人がそう言ってたんだから。それに、私航にプロボーズされてるのよ」

 私の言葉に完全に余裕を取り戻したようで、笑みさえ浮かべて私を見る。

 頭が痛い。誰かこの人を連れて行ってほしい。

「それこそ過去のことでしょう? 私は、高田さんがいま彼女がいないことを聞いてます。それに、高田さんがそのことで嘘をつくことがない事は信じています。突然来たあなたの言うことは信じられない。それで判断するとあなたは嘘をついてるとしか言えないですよね」

 ひどく冷静に返事を返している自分に気付く。


「航はあなたに部屋のカギを渡してくれてる? ほら、あのベッドだって私が一緒に買いに行ったのよ」

 私がそんな風に返すとは思わなかったようで、“彼女”は動揺したようだった。声に焦りが見える。そんなこと友達に言ってどうするんだろう?

「カギは単に、あなたが返してなかっただけでしょう? ベッドは、そんなに頻繁に買い替えるものじゃないですよね? 一緒に買いに行った、だからどうしたんです?」

 私がことごとく言い返すことに、苛立ちも見えてきた。

「あなた出ていきなさいよ」

 “彼女”の声から、冷静さが消えた。

「私の方が、部屋の主と一緒にきて正当に部屋に入っているので、あなたのことは不法侵入者として警察に電話しますが、良いでしょうか?」

 私の返しに勝ち目がないと悟ったのか、“彼女”は怒りながら出て行った。部屋のカギは持ったまま。

 ……嵐が、去った。

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