老執事セルヴァンと新しい護衛ヴァールハイト
どうやら私は、ロングラード侯爵邸の客室に寝かされているらしい。
自室ではなく客室なのは、セルヴァンが気をきかせてくれたのだろう。
女性の自室に見ず知らずの男を入れるわけにはいかないと。
ヴァールハイトがベッドサイドに座って、水差しから水を飲んだ私の、唇からこぼれた水滴を、革手袋をしている指先で拭った。
黒いなめし革のつるりとしているけれど少し引っかかりのある独特な感覚が、唇の下から顎を伝う。
「エルフィ様に馴れ馴れしく触れるでない!」
「うるせぇ爺さんだな。お嬢さんを危ない目に合わせた責任を取れ、看病しろとか言いやがったのは爺さんだろ」
セルヴァンに注意されて、ヴァールハイトは呆れたように目を細めた。
背筋が真っ直ぐにぴんと伸びているセルヴァンは、とても腰痛があるように見えないのだけれど、以前のように戦うことができないぐらいには体が弱っているらしい。
昔は綺麗な金髪だったセルヴァンだけれど、今は真っ白な白髪に変わっている。
来年セルヴァンは七十歳を迎える。王国民の平均寿命は六十歳だから、セルヴァンはとても長生きだ。
私の子供を見るまでは死ねないというのがセルヴァンの口癖だけれど、今のところそれは、叶えてあげられそうにない。
「なんと態度の悪い男か……! エルフィ様、なんて男を雇ったのですか。一人で傭兵ギルドになど向かうから、シュランに足元を見られてしまったのでは? あぁ、こんなことなら、私も一緒に行けばよかった」
「おい、お嬢さん。このうるさい爺さんをどうにかしてくれ」
「セルヴァン、あまり怒ると、体調が悪くなってしまうわよ。ただでさえ、アレク様からの手紙を見て、一日寝込んだのだから」
私は気怠い体をベッドから起こして、セルヴァンに声をかけた。
ヴァールハイトは、黒い外套を脱いでいる。
白い開襟シャツからのぞく胸や腕はとても立派で、腕は私の二倍ぐらいの太さがありそうだ。
腕には古傷の跡が残っている。白いシャツの袖は捲られているのに、両手には黒い革手袋をつけたままだ。
暑いのか寒いのかよくわからない格好をしている。
「しかし、エルフィ様。護衛としてこの男を雇ったのでしょう? 治療院にいた者たちから話を聞きました。水路に魔骸が出現したとか。子供を救い、魔骸を倒したところまでは認めてやろう。しかし、エルフィ様に怪我をさせるとは、護衛失格だ」
「怪我はしてねぇよ、お嬢さんは。無傷だ。魔骸の残骸にまとわりつかれて、怖くて倒れちまっただけだ」
怖くて、倒れた?
ヴァールハイトの言い分に違和感を覚えて、私は眉を寄せた。
それは違う。
私は何か、煙のようなものを吸った。それから、体が熱くて、苦しくなって、意識を失ったのだ。
「ヴァールハイト、私は化け物が怖くて倒れるようなか弱い女ではありません。何かしらの、毒を吸ったのでしょう?」
「なんと! 嘘をついたのか、お前は。エルフィ様は神経毒を吸ったのか? だが、それは妙だ。神経毒は二、三日、体を痺れさせるもの。数日動けなくなるだけで、その後は元に戻る。命に関わるようなものではないが、治療薬はまだできていなかったはず」
「……でも、私は動けます、セルヴァン」
「どういうことだヴァールハイト。説明をしなさい」
「……全く、うるせぇな、この家の連中は。お嬢さんは無事、魔骸は死んだ。それで良いだろ?」
ヴァールハイトはめんどくさそうにそれだけ言うと、黙り込んだ。
これ以上の押し問答は無駄だと感じた私は、幾分かはっきりしてきた頭で考える。
水門から、川の中を泳いで魔骸は水路にまでやってきたのだ。
魔骸は空を飛べず、水の中では生きられない。だから、街は高い壁で覆われていて、門は夜になると閉まり、街は安全だったのに。
水路がある以上、再び同じことが起こる可能性がある。
「セルヴァン、急ぎ、街の水門全てに聖骸網の手配を。水路の管理者に、毎日点検をするように命じてください。人員が足りないのなら、聖骸網の管理係として人を雇うように」
聖骸網は聖弾と同じ物質で作られた網である。
ラディラク鉱石を加工して作られたもので、鉱石自体にも魔払いの効果があるのだけれど、完成品を丸一日聖殿にある浄化の泉から湧き上がる水につける。
そうして出来上がった聖骸網は、魔骸を寄せ付けない効果がある。
「かしこまりました、エルフィ様。伝えておきましょう。……エルフィ様、もう少し寝ていた方が良いのでは?」
「大丈夫です。少し怠さはありますが、もうなんともありません」
「無理はしないでください、エルフィ様」
「最近、弱気になりましたね、セルヴァン。少々心配しすぎです」
「歳をとると、気も弱くなるようです」
「セルヴァン、ヴァールハイトは強い。私が雇った、私の護衛です。態度が悪いのは玉に瑕ですが。……けれどヴァールハイトがいなければきっと、幼い子供の命が、魔骸の犠牲になっていたでしょう」
私はベッドから起き上がると、ヴァールハイトの肩に手を置いた。分厚くて、硬い。黒い髪に指がふれる。
手入れのしていない伸ばしっぱなしに見える髪だけれど、思ったよりも柔らかい。
私が触れても特に嫌がる様子もなく、ヴァールハイトは黙っていた。
「全盛期の私なら、子供を救い、エルフィ様も危険な目になど合わせませんでしたが」
セルヴァンは未だ信用ならないものを見るような視線を、ヴァールハイトに向けている。
「私も悪いのよ。……迂闊だった。今度からはもっと、気をつけます」
私は目を伏せた。
聖弾が魔骸に命中したことで、完全に油断していたのだ。
ヴァールハイトの、逃げろという声に、反応できなかった。
「そうしてくれ、お嬢さん」
「ええ。治療院まで運んでくれたのね。ありがとう。これからも、その調子で頼むわね」
「仕事だからな」
「けれど……そのままでは、よくないわね。ロングラード侯爵家に雇われた護衛として、もう少し見た目をどうにかしなくては」
「不服か?」
「人の性格というのは、話してみるまでわからないでしょう? 見た目で人は判断されるものなのです。そのままでは、破落戸に見られてしまうわよ。セルヴァンのように、服装も髪も整えないといけません」
「俺に爺さんのようになれってのか? いかにも、執事、みたいな服を着ろと?」
「まずは、入浴をして。服はこちらで準備します。髭も剃って。髪は、髪職人を呼びましょう」
「……勘弁してくれ」
ヴァールハイトは両手を上に上げて、すごく嫌そうな表情を浮かべた。
革手袋に包まれている手がひらひらと揺れた。
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