終章
大神殿の奥から、ソファラ様の秘匿の像が消えた日。
ライヒルド王国には、ソファラ様や骸竜が溜め込んできた人々の黒い感情を大地に還すように、冷たい雨が降った。
崩れた大神殿の中には多くの貴族や神官たちが倒れていた。
ヴァールハイトの話では彼らはヒュームリゲイラに変わり果てていたようだけれど、ソファラ様の最後の慈悲だったのか、それとも何か別の力が働いたのか、人の姿に戻っていた。
ヴァールハイトはその時、竜の姿から人の姿に戻ることができなくなっていて、どうしようかと相談していたところにシャルムリッターを引き連れた国王レーヴァント様が現れた。
レーヴァント様は私たちに恭しく一礼して、全てはラシャーナ姫から聞いていると、私に謝罪をしてくれた。
アレク様はラシャーナ様には全てを話していたらしい。
私を呼び出して罠に嵌めて投獄し、ロングラード領を手に入れるのだと。
そうしなければレーヴァント様に見限られる。そして、フィオナさんと結ばれることができなくなると。
ラシャーナ様はそれを知っていた。だから、私がいなくなることを見越して、ヴァールハイトの元に行ったのだと、泣きながら全てをレーヴァント様に話したのだという。
レーヴァント様は何も知らなかったようだ。
骸竜のこと、聖痕の英雄のこと、グレンの罪も全て。
私や竜の姿をしたヴァールハイトと話をする中で、己の無知を恥じて酷く反省をしていた。
それから「アレクに君との関係の修復を命じた。フィオナとの関係の清算も。ロングラード領は豊かで、君は勇敢で強く真っ直ぐだ。甘えたところのあるアレクには相応しい相手だと考えていた。それが、こんなことになるとは」と言っていた。
レーヴァント様に命じられて、アレク様は追い詰められていたのだろう。
フィオナさんのことを愛していたからこそ、凶行に走ったのだ。
同情する私にヴァールハイトは「エルフィを傷つけた男など死んでも良い」と、素っ気なく言っていた。
竜の姿になると、少し考え方が極端になるのかもしれない。
グレンやアレクはレーヴァント様によって捕えられて、投獄された。
ラシャーナ様もまた、アレク様の計画を知っていて止めようとしなかった罪で、王家の管轄の修道院に送るとレーヴァント様は言っていた。
ラミア様は、いつの間にか姿を消していた。
どこに行ったのかはわからない。
もしかしたら、長い長い人生を終わらせるためにどこかに旅立ったのかもしれない。
レーヴァント様は私たちに詫びたいと言っていたけれど、黒い竜の姿のヴァールハイトは王都の民に恐れられた。
もうヴァールハイトは骸竜ではないのだけれど、人々にとっては骸竜も黒い竜も同じだ。
だから私たちは、ロングラード領に戻ることにした。
最初の、予定通りに。
私は私たちを待っていてくれた黒炎に乗って、ヴァールハイトは竜の姿で空を駆けて。
私たちに追従するようにゆったりと空を飛ぶ人を襲わない黒い竜のヴァールハイトは、街に立ち寄るたびに、私たちが助けた街の人々から『神の再臨』と言って、歓迎された。
ヴァールハイトを恐れたのは骸竜の姿を見てしまった王都の人々だけで、言葉を話すことができる竜を、ロングラードの領地まで立ち寄った街の方々は、喜んで受け入れてくれた。
私やヴァールハイトを覚えていてくれた人々は「エルフィ様の恋人は、神様で、神様を連れたエルフィ様は女神様だ」などというので、かえって恐縮してしまったぐらいだ。
途中でロングラードの領地へと行くようにヴァールハイトが指示した、王都のロングラード邸の使用人たちとも合流することができて、驚くほどに賑やかな旅路となった。
王都までの道のりでは頻繁に出現していた魔骸の姿も、見ることはなかった。
竜であるヴァールハイトを恐れて魔骸たちが姿を消していたのか、それともこの国から骸竜が消えた時に魔骸も消えたのかはわからない。
これからのことは、誰にもわからない。
けれど──。
「見てくれ、エルフィ!」
慌ただしい声が聞こえて、私はぱちりと目を開いた。
ロングラード侯爵邸の私とヴァールハイトの部屋は、竜の姿のヴァールハイトも一緒にいられるように、皆で協力して改築してくれて、天井はかなり高く、部屋はかなり広く、それはもう広い作りになっている。
その広々とした部屋の中央にベッドがあり、私はそこで眠っていた。
ヴァールハイトは竜から人に戻れないままだったので、流石にベッドは用意できないので床で眠ってもらっている。
王都から戻って数日。
あんなことがあったとは思えないぐらいに穏やかな日々だ。ヴァールハイトが竜の姿のまま、ということをのぞいて。
「どうしたの……?」
眠い目を擦りながら、私は起き上がる。
朝の光が差し込むお部屋は、物が少ない。ヴァールハイトは大きいので、動き回ると調度品などは壊してしまうからだ。
「戻った! 男前な俺に戻った!」
「本当!?」
驚いて目を見開くと、私の視界に飛び込んできたのは、人の姿に戻ったヴァールハイトだった。
ただし、背中からはまだ竜の翼がはえているし、尻尾もはえている。
「やった……! エルフィ、これであんたと結婚できる! あの死に損ないのクソジジイが、竜の姿のままじゃあんたと結婚させるわけにはいかないだの、別の婿を探すから俺は飼い竜として生きていけだの、毎日のように嫌味を言ってくるから、焦った」
「セルヴァンは病気なのだから、死に損ないなんて言ってはいけないわ」
「あんたの産んだ子供を見るまでは死ねねぇとか言ってるぞ。滋養強壮のために毎日マムシの粉を飲んでるから、大丈夫じゃねぇか」
「マムシの粉……」
セルヴァンはそんなものを飲んでいるのね。かえって具合が悪くならないのかしら。
「それよりもエルフィ、久々の俺だ。どうだ?」
「尻尾と羽がはえているわね。……ヴァールハイト、お洋服はどうしましょう」
竜から人に戻ることのできたヴァールハイトは服を着ていない。
尻尾も翼も大きいので、普通の服では破けてしまうわよね。
翼と尻尾がはえた全裸の男性を見るのは初めてだ。
ヴァールハイトの姿が衝撃的すぎて、私は混乱しているのか冷静なのか自分でもよくわからないことを言った。
「洋服は、しばらく着ない。エルフィ、これでやっとあんたを抱きしめられる」
「でも、みんなに知らせなきゃ」
「後で良いだろ。ずっと我慢していた。あんたを失ったと思ったんだ。……エルフィ、あんたがここにいることを、確かめさせてくれ」
「……うん」
私は小さく頷くと、ベッドの上で両手を広げる。
久々に見る人の姿をしたヴァールハイトが、私に覆い被さるようにして抱きしめてくれる。
体に触れた竜の尻尾がヒヤリと冷たくて。
私はなんだかとっても幸せで、肩を振るわせてくすくす笑った。
これから先のことは、何もわからない。
ソファラ様の祝福を失ったこの国で──私は、私の大切な人たちと共に生きていこう。
これからも、ずっと。
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