絶望を、あなたに
魔骸たちが追って来れないように奥へと続く扉を閉めて、聖痕の力を使い封印をする。
聖痕の力に触れれば魔骸は浄化される。
扉に清浄なる封印を施しておけば、魔骸は扉を開くことも破壊することも、触れることもできない。
長い回廊を駆けて、人の気配を探る。
「エルフィ、どこにいるんだ! 返事をしてくれ!」
何度も呼びかけながら、まるで迷路のような広大な神殿の中を、奥へ奥へと進んでいく。
かつん、かつんと、奥からこちらに向かってくる足音が聞こえた。
ヒュームリゲイラの体は泥だ。足音はしない。
するにはするが、ずるずるや、べちゃりといった、もっと粘着質な音がする。
靴音を響かせて向かってくるのは、人間だろう。
だが、こんな状況なのに、その靴音の主はずいぶんと落ち着いているようだ。
「待っていました、ヴァルト・ハイゼン」
「ラミアか。エルフィはどこだ」
大司教ラミアが、年齢不詳の美しい顔に慈愛に満ちた笑みを浮かべて、俺の元まで来ると一礼をした。
「ヴァルト。あなたは変わりました。神殿に溢れる魔骸を見ても尚、騎士として皆を助けることを選ばずに、愛する女性の名を呼ぶのですね」
「その名で俺を呼ぶな。御託は良い、エルフィはどこにいる。教えろ」
「エルフィ様は、素晴らしい最後を迎えました」
最後。
最後とは、なんだ――。
「どういうことだ! エルフィの身に、何が起った!」
「こちらにどうぞ。ヴァルト。エルフィ様もあなたに会いたがっているでしょう、きっと」
ラミアが音もなく歩き出す。
神殿の奥深くは妙に薄暗く、まだ昼過ぎだというのに闇が溜まっているようだ。
嫌な汗が背筋を流れ落ちる。
素晴らしい最後とは、一体何だ。
それではまるで、エルフィが――。
「エルフィ……」
案内されたのは、神殿の奥の大きな広間のような部屋だった。
そこには――透明な、氷のような水晶に包まれたエルフィの姿がある。
深く目を閉じて、祈るように両手を胸の前で組み合わせている。
エルフィの足下には黒々とした湖があり、水晶はその上に浮かんでいるように見えた。
俺はおぼつかない足取りで、エルフィの元へと駆ける。
何度か足がもつれて転びそうになる。これは、一体なんなんだ。
どうして、こんなことになっている。
「エルフィ、聞こえないのか!? 目を覚ましてくれ、エルフィ……!」
ざぶざぶと音を立てながら黒い水をかき分けて、エルフィの元へと向かう。
黒い湖の深さは俺の腰あたりまで。手を伸ばすと、水晶に触れることができる。
エルフィの顔を、良く見ることもできる。
「エルフィ様は、ソファラの人柱になることを受諾したのです。この国に溢れる、全ての禍ツをその体に受け入れるために」
「何を言っているんだ、ラミア……」
「神殿に溢れたヒュームリゲイラを見たでしょう。そのうち、この国はヒュームリゲイラであふれかえる。それほどまでに、あなたが討伐し損ねた骸竜からこぼれおちた禍ツが、この国を侵襲しているのです」
「何故、エルフィが……! 何故だ!」
「それは、君を愛しているからだよ、ヴァルト」
ラミアではない男の声がした。
ソファラの人柱。全ての禍ツを、受け入れる。
何故エルフィがそんなことをしなければいけない。
声の方向を睨み付けると、ラミアの隣にはグレンがいつの間にか立っていた。
「君の噂を聞きつけて、ラシャーナは君への愛を思いだした。私の元から去ることを、私は受け入れた。その話を、エルフィにもしたんだ。ヴァルトとラシャーナの幸せを思うのなら、身を引け、と」
「ふざけるな。俺はエルフィを愛している。そんな戯れ言をエルフィが本気にするとは思えない」
「彼女の優しさは君が一番良く知っているだろう。愛しているからこそ身を引くことをエルフィは選んだ。身を引いた自分には何も残らない。だから、せめて人柱になりたい。ここで、死んでしまいたい。そう、エルフィは願ったんだ」
「愛する者を失った絶望は、深い。自分の身を捧げて、人々の命を救うのが――全てを失った自分のできる最後の務めだと。エルフィ様は喜んで、その身を差し出してくださいました」
ふざけるな。
勝手なことを言うな。
だが、本当にそうなのか。
――俺を信じることなく、ラミアの言葉に従ったのか。
エルフィは誰かのために、大切な何かを守るために、自分の命を簡単に差し出すようなところがあると、俺は確かによく知っている。
「エルフィ様は、新たなソファラ様となったのです。これは喜ぶべきことなのですよ、ヴァルト」
「……ふざけるな。何が、ソファラの人柱だ。何が女神だ。魔骸なら、俺が倒す。誰がヒュームリゲイラになろうが、どうでも良い。俺がお前を守ると、約束しただろう、エルフィ……!」
「最後の挨拶は終わりましたか? エルフィ様の御身は、私たち神官が大切に守りましょう。新たなソファラ様として。エルフィ様は死にました。この地にソファラ様の祝福が戻り、禍ツはソファラ様が、その身に受け入れてくださる。ヴァルト、聖痕の英雄の役割もこれで終わりです」
「嫌だ……」
俺を、置いていくのか、エルフィ。
俺よりも国の連中の方が大切だったのか。
俺ではなく、グレンの言葉を信じたのか。
自ら喜んで、死を選んだのか。皆の為に。
俺を――残して。
「嫌だ。エルフィ、嫌だ。この国などどうなっても良い。あんたが守る必要なんてない。俺のそばにいてくれ、エルフィ! 一人は嫌だ。もう、一人になるのは嫌だ。あんたがいないと、俺は……!」
誰が悪い。
エルフィを騙したグレンが、ラミアが。
この国が――全て悪い。
心が、絶望に染まっていく。
エルフィは目を覚まさない。目を開いて俺を「ヴァールハイト」と呼んでくれることは二度と無い。
小さな手で俺の髪を撫でて、褒めてくれることも。
恥ずかしそうに微笑むことも。
俺が好きだと、小さな声で伝えることも。
「俺の家族になってくれる、約束だっただろう、エルフィ」
苦しかっただろう。辛かっただろう。
それでも毅然と、人柱になることを受け入れたのか。
あぁ――憎い。
この国が。グレンが。ラミアが。女神ソファラが。エルフィが苦しんでいるとき、傍にいることさえできなかった自分自身が。
全て、憎い。
どんなときだって、絶望を感じたことはなかった。
幼い時、悪魔と誹られて嫌われていた日々も。
村の者達や両親が魔骸と成り果て、生きるために襲いかかってくる異形たちを殺した日も。
それから、グレンに殺されかけた日も。
立場も金もほとんど全てを失った日も。
仕方ないかと。面倒だが生きるしかないかと、思っていた。
だが、今は違う。
生きる理由を失ってしまった。エルフィのいない世界なら、滅びてしまえば良い。
エルフィの命を犠牲にして保たれる平和など、俺は要らない。
全て――滅びれば良い。
『そうだ。憎め。怒れ。憎悪しろ。それがお前の役割。次はお前の番だ』
あのとき頭の中で響いた骸竜の声が、再び聞こえたような気がした。
全身が熱い。あらゆる負の感情が体の中を這いずり回っているようだ。
体から何かがあふれそうになっている。酷い吐き気と頭痛がする。
自分の体が自分のものではない何かに作り替えられていっているようだ。
かすんだ視界の先で――ラミアが興奮に瞳を輝かせながら、熱に浮かされたような笑みを浮かべていた。
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