人でないもの:ヒュームリゲイラ
王都の街は、俺がかつて住んでいた時から何も変わらない。
よく見知っている街の中、大神殿への最短距離を選んで黒炎を走らせる。
辿り着いた大神殿は、やはり俺が知っているものと何も変わらない。
しかし、どことなく異様な雰囲気を感じた。
大神殿の手前の広場には来賓の貴族たちの馬車が停まっている。
だが、妙に静かだ。
馬たちは落ち着きなく足を踏み鳴らし、馬首や尾を揺らしている。敏感に、何かを察知しているのかもしれない。
俺は黒炎から飛び降りると、その首を軽く叩くようにして撫でた。
「黒炎、必ずエルフィを連れて戻る。戻ったら、ロングラード領まで駆けるぞ。長い道のりだ。覚悟しておけ」
俺の言葉を理解しているように黒炎は聡明そうな黒い瞳で俺を見る。それから、鼻先で俺の胸をやんわりとつついた。
大丈夫、任せて。
そう言われている気がした。
黒炎と別れて、大神殿前の大階段を駆け上る。
気持ちが逸り、足を動かすことさえ煩わしい。一分一秒でも惜しい。一息で階段を登り、何故か誰の姿もない開け放たれた門をくぐり、中に入る。
門の先には礼拝堂がある。
礼拝堂を抜けると、神官たちしか立ち入ることしかできない神殿奥へと入ることができる。
(結婚式は、礼拝堂で行う。エルフィは、そこに。……どうか、無事で)
心の中で祈りを捧げながら、礼拝堂の扉に手をかける。
本来なら門番がいて、扉にも警備兵がいるはずだ。王家の結婚式なのだから、騎士団たちも警備にあたっているだろう。
それに、各地から集った貴族たちも護衛の一人や二人ぐらいは共にしているはずで、そういった連中は礼拝堂の前で待機をすることになっている。
待機中の馬車には御者の姿もなかった。
これほど誰も姿もないとは、やはり異様だ。
礼拝堂の扉を開く。
──礼拝堂の中には、人を泥に変えたような異形の姿があった。
それは、黒い泥の塊に見える。蠢くたびにどろどろと体を形成している泥が床に溢れている。
体は泥だが、衣服は身に纏っている。それは、人であったときに着ていた服だ。
煌びやかなドレスや、婚礼の祝い用に新しく作ったのだろう質の良い外套や、シャツやジャケットが、泥人形のような異形の体にへばりついている。
その体は衣服の中には収まりきらず、破けて裂けて、ボロボロになってしまっている。
「ヒュームリゲイラ……」
結婚式に集まっていたのだろう貴族たち。婚礼の衣装を着ているのは、アレクとその花嫁か。
ここにいる人々は皆、人が禍ツに支配されて変化したもの──ヒュームリゲイラに、姿を変えていた。
「エルフィ!」
ヒュームリゲイラの中に、エルフィの姿を探した。
だが、エルフィのドレスを着ている者は見当たらない。
きっと無事だ、生きている。
ヒュームリゲイラたちの泥の中にぽっかりとあいた穴のような虚になっている瞳が、一斉に俺を向いた。
耳障りな唸り声をあげて、襲いかかってくるヒュームリゲイラたちに構っている暇はない。
もし逃げることができているとしたら、エルフィは屋敷にすぐに戻ってくるはずだ。
けれど、どこにもエルフィの姿はない。
だとしたら、奥か。
何かが起こり、神殿の奥に生き残りの者たちと共に逃げたという可能性が高い。
ヒュームリゲイラたちに向かって俺は走る。床を蹴って飛び上がると、空中で一度体を捻りながら、迫り来る異形たちの上空を飛び越えて、神殿奥へと続く扉の前に着地をした。
ヒュームリゲイラには知能もなく、動きも鈍い。他の魔骸と同じく、食いたいという本能しか残っていない。
「お前たちの相手は後でしてやる」
俺は聖痕を隠すための手袋を投げ捨てて、剣を引き抜くと神殿の奥へと向かった。
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