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最後の抵抗



 ヴァールハイトが、骸竜になってしまう。

 私の両親の仇である、骸竜に。


 喉の奥に氷塊を押し込まれたように、苦しい。息ができない。


「エルフィ、君はヴァルトを愛しているのだろう。そして、君の大切な老兵はまもなく病で息を引き取り、アレク王子により君の領地は奪われる」


 グレンの声が、暗闇の中でうずくまる私に差し伸べられた希望の細い糸のように感じられる。


「今頃、ヴァルトの元にラシャーナが向かっている。私はラシャーナの幸せを願っている。二人が手を取り合って……ラシャーナが私の元から去っても構わない」


 心臓の上をグレンは掴んでいる。

 シャルムリッターの団服に皺がよった。


「私は、親友の幸福を願っている。生きているのなら、自由になって欲しい。運命から」


 真剣な瞳が、射抜くように私を見た。

 私も、ヴァールハイトには幸せでいて欲しい。

 ソファラ様の束縛から、その運命から逃れて、幸せに。


「君の命の使い方を話そう、エルフィ。君はヴァルトのために、その身をソファラ様に捧げることができる。敬虔な、ソファラ教徒として」


「私が……ヴァールハイトの代わりになれるという意味ですか?」


 グレンもラミア様も、その話をしたかったのだろう。

 私がヴァールハイトを愛しているから。


「そうだ、エルフィ。君にはなにもない。婚約者を失い、王家を敵にまわし、大切な侍従ももうじき死ぬ。ヴァルトは君を捨てラシャーナを選ぶ。そして本来なら、君は死罪。明日にでも、君は処刑をされるだろう」


「……ええ。そうかもしれません」


「女神ソファラは慈悲深い。そんな君に、愛する者のために殉じさせてくださろうとしている。ヴァルトを愛する君になら、ヴァルトの代わりが務まるのだ」


 私は。

 ヴァールハイトが、骸竜になってしまうのは嫌。

 そしてグレンの言う通り、私にはなにも残っていない。

 今頃、ヴァールハイトはラシャーナ様との愛を確かめ合っているのだろう。


 たとえそうでないとしても、私がここから逃げて領地に帰ったら、ロングラードは、ロングラードの民は逆賊とみなされる。

 争いがおこるかもしれない。


「エルフィ。あなたに覚悟があるのなら、この手をとりなさい。あなたは王国民のため、女神ソファラの殉教者となるのです。大丈夫、怖いことは何もありません。あなたは眠りにつき、人柱としてこの国に散った禍ツを受け入れる。ただそれだけのこと」


「……ただ、それだけの」


 私は、グレンやラミア様の言葉を繰り返すことしかできない。

 つい昨日までは、そして今日、ロングラードの屋敷を出るまでは、こんなことになるなんて考えてもいなかった。


「あなたが骸竜として目覚めるのは、十年後か、二十年後かそれとも百年後か。いつになるかは分かりませんが、それまであなたは深い深い眠りにつくのです。ソファラ様は慈悲深い方です。きっと、幸せな夢を見せてくれるでしょう」


「あぁ。夢の中で君はきっと、ヴァルトとの本物の愛を見つけることができるだろう。幸せな夢を見続け、骸竜になった時には君は君を失っている。何も怖がることはない」


 夢の中で、ヴァールハイトに愛してもらえる。

 それはとても、甘美なことのように思える。


「私は……」


 ラミア様の細くしなやかな手に、私は手を伸ばす。


「エルフィ、それで良いのです」


 私には、もう何もないから。

 ヴァールハイトが失われないために、ロングラードの民を苦しめないために、大切な人を守るために。

 私がラミア様の手を取れば、皆が幸せになれる。


 ──本当に、そうなの?


 ふと、心の奥で誰かが叫んでいるのを感じる。

 目を伏せると、激しい怒りで瞳を燃え上がらせている私の姿が瞼の裏側に見えた気がした。


(大人しく、従うの? アレク様や、グレンや、ラミア様の言いなりになるの?)


 でも、私は誰も苦しめたくない。ロングラードの民や土地は私が守るべきものだ。

 そしてヴァールハイトのことも、守りたい。


(ヴァールハイトを疑うの? 抱きしめて、愛してくれたのに。たくさんの言葉を、行動を、全てをくれたのに)


 私はずっと一人だった。

 家の者たちはいたし、私に優しくしてくれる人たちもたくさんいたから、私が一人だと思うのは傲慢かもしれない。

 それでも、両親を失ってから──私は、誰かをずっと欲していた。

 一人で大丈夫なんて、ただの強がり。

 誰にも愛されないなんて諦めも、ただの言い訳。

 

 本当は愛されたくて、誰かにそばにいて欲しくて、仕方なかったのに。


(愛してくれた人を疑うのは、酷い裏切りではないの? ヴァールハイトを私が信じなくて、誰が信じるというの?)


 ラミア様とグレンの話は、真実かもしれない。

 けれど、それで私がこの場で言いなりになるのは、戦わずに逃げて諦めるということだ。

 

 そんなの、私らしくない。


「……ヴァールハイトと、話をさせてください」


「それはできない。会えば情が湧くだろう。決意が揺らぐかもしれない」


 私のお願いに、グレンは首を振った。

 このままここで私が犠牲になることを、願っているように見えた。


「グレン様、ラミア様。皆のために誰かが犠牲にならなければいけない世界なんて、間違っています。私はアレク様に騙されて、死罪を言い渡されました。私の命で守れるものはあるかもしれない。けれど、私が生きていないと守れないものも沢山あるのです!」


 私は自分を奮い立たせるために、声を張り上げる。

 逃げよう。ここから、逃げよう。

 私が死んで喜ぶ人間たちに、私の命を渡したくない。

 ヴァールハイトがラシャーナ様が良いというのなら、それは仕方ないことだ。

 けれど、会って話もしていないのに、私がヴァールハイトを疑うなんて。どうかしていた。

 セルヴァンだって、まだ生きている。

 私の凶報を知れば、きっととても悲しむだろう。自分の体を顧みず、復讐に走るかもしれない。

 セルヴァンがそういう人だと、私は知っている。


「エルフィ。君には失望した。君は、愛する者よりも自らの命を選ぶというのか」


「そんなに親友ヴァルトが大切なら、あなたが犠牲になれば良い。私は、生きます。ヴァールハイトと一緒に!」


 骸竜にならない方法を、一緒に探せば良い。

 聖痕を消す方法が探せば見つかる。

 それがなければ海に出よう。他の国に行けば、きっと女神ソファラの支配から逃れることができる。

 なんとかなる。きっと、大丈夫だ。


「仕方ない。君が大人しく言うことを聞いてくれることを、願っていた」


 私は椅子から立ち上がり、出口はどこかわからないけれど、暗がりに向かって走ろうとした。

 けれど、それはできなかった。

 私の手足に、何本もの黒々とした長いうねる何かが、巻き付いている。

 その黒い何かは、嘆きのソファラの足元にある黒い湖から生えているようだった。


「エルフィ。あなたの犠牲に感謝を。女神ソファラはヴァルト・ハイゼンが骸竜になることを求めていました。けれど、それは成されなかった。彼は予言を覆すほどに、強い人間だった。心が、強いのです。禍ツを受け入れる器には、なり得ないほどに」


 黒い何かに両足と体を締め付けられながら、私は宙に浮き上がる。

 ラミア様が穏やかな表情で、そんな私を見上げている。


「故に、苦しめた。絶望を与えよと、ソファラ様は命じました。親友に裏切られ、愛するものを失い、死にかけても尚、彼の心は絶望に染まることはなかった」


「離して! 離しなさい!」


 私は絡みつく黒いものから逃れようと、じたじたと暴れた。

 けれど、黒いものはその数をどんどん増やしていく。

 体中が黒いうねるものに覆われて、顔だけが無事だった。呼吸だけはすることができる。

 けれど、自分の体がどうなっているのかもうよくわからない。


「ソファラ様はその役割をグレンに移そうとしました。けれど、グレンはあなたを連れてきた。あなたはヴァルト・ハイゼンの愛する者。あなたを失えば、ヴァルト・ハイゼンは絶望し、骸竜となるでしょう。予言は成されるのです。ソファラ様の予言に間違いなどはないのですから」


「全部、嘘だったの?」


「嘘ではありません。私は真実しか話していない。あなたはヴァルト・ハイゼンの代わりとなる。そしてあなたを失い悲しんだヴァルト・ハイゼンが、失われたあなたの分まで禍ツを受け入れて、骸竜になるのです」


 ラミア様は、とても嬉しそうに微笑んだ。

 私の体の至る所から、黒い何かが内側へと入り込んでくる。


「ヴァル、ト……」


 助けてと、呼ぼうとした。

 一人じゃ駄目だった。助けて。私を、助けて。

 ヴァールハイトと共に、帰りたい。ロングラードの暖かい家に帰りたい。

 私は、黒い湖の中へと引き摺り込まれていく。

 絶望、憎しみ、怒り、嘆き、悲しみ、嫉妬。

 様々な感情が私の中に溢れかえり──私の意識はぷつりと途切れた。





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