女神の業
ラミア様は白い法衣の裾を摘むと、優雅に一礼をした。
ソファラ大神殿での集会の時、遠目で見るぐらいしかラミア様とは面識がない。
こうして会話をするのははじめてのことだ。
大司教ラミア様とは、女神ソファラの現し身である。
その言葉は神の言葉であり、その存在は──王国民の光だ。
「あなたには、この国のことを話さなければなりません。この国の、業を」
「業……?」
「ええ。これは、業としか、言えないもの」
ラミア様は悲しげな表情で目を伏せる。
「光があれば、闇が、必ず生まれるもの。輝く陽光に世界が照らされれば、そこには必ず闇がある。これは、必然。自然の摂理。女神ソファラはかつてこの国に降り立ち、人をつくりました。祝福を与え、火を与え、文明を与えた」
「ソファラの教えですね」
「ええ。この国は、ソファラの祝福を受けている。全能なる大いなる母、ソファラ。けれど、女神にはわからなかった」
歌うように、ラミア様はソファラの教典の内容を誦じて、それから首を振った。
「火を与え、文明を与えられ、人は争うようになった。ソファラは嘆き悲しみました。己の子供である民が、殺し合い血を流すことを。土地に人々の憎しみや嘆きの感情があふれると、ソファラの祝福を受けた大地が枯れていきました。大地が枯れ、作物が枯れると、さらに争いが起こりました」
「女神様は、人々の心の支えにはならなかったのですか」
「豊かなロングラードで育った君にはわからないだろう。飢餓が、貧困が、どれほど苦しいことなのか。己を、家族を、人々を守るため、持たざる者は持つ者から奪う。これは仕方のないことだ」
グレンが言う。確かに、そうかもしれない。
私は想像することしかできない。ヴァールハイトの生まれた村は貧しかった。
何を感じて、何が起こって、どんなふうに生きてきたか。
ほんの少しの言葉の中から、想像することしか。
「ソファラは、枯れた土地を憂い、子供たちの幸福を願い、大地に溢れた人々の憎しみの感情を、自分の中に封じ込めることにしました。それが──この、ソファラの嘆きと言われている、大神殿の奥に安置されている像なのです」
ラミア様は、巨大な女の石像を見上げる。
「この像は、ソファラ様そのもの。憎しみを受け入れて、ソファラ様は石となりました。大神殿は、ソファラ様を守るための堅守な砦。ソファラ様はかつて従者であった私に、憎しみを押し込めたソファラ様を守護することを願いました」
「ラミア様が、従者……?」
「ええ。私はかつてソファラ様につかえ、そしてソファラ様を守護する者。その意思を継ぐものです」
つまり、ラミア様は古の時代から生きているということになる。
死なないで、ずっと。若いまま。
それは──女神そのものではないのだろうか。
「ラミア様が、女神なのですか」
「私はただの人でした。ソファラ様が守護者として私を選んだ時、不死なる神性を与えられたのです。この、嘆きのソファラ……ソファラ様の像が破壊されれば、再びこの国の大地に憎しみが──禍ツが溢れるでしょう。土地は枯れ、ソファラ様が守ろうとした子供たちは死に絶える。それは避けなければなりません」
「……今の話と、ヴァールハイトと聖痕に、何の関係があるのですか」
「心して聞きなさい、エルフィ。あなたの愛する者に関する、予言の話です」
「予言」
「ええ。かつてソファラ様はその体に禍ツを受け入れ封じました。けれど、ソファラ様の体では押さえ切れないぐらいに、人々の嘆き、悲しみ、憎しみ、怒り、妬み──負の感情は、この国には溢れている。みなさい、エルフィ。ソファラ様の体に封じきれない禍ツが体から溢れ、憎しみの湖となっている」
嘆きのソファラの石像からは、黒々とした液体が溢れてその足元に湖を作り上げている。
これが全て──人々の、憎しみ。禍ツの、正体。
「ソファラ様は私の夢枕に立ち、言いました。このままでは、自分は割れてしまう。割れて砕けて、この国は滅んでしまう。誰かに、禍ツを引き受けてもらわなければならない」
「誰かに……」
それは、まさか。
「ええ、エルフィ。あなたの想像通りです。そうして、骸竜は生まれました。贄としてソファラ様にその身を捧げた神官が始まりでした」
「骸竜は……かつても、聖痕の英雄が討伐したのでしょう……?」
「ソファラ様が押さえきれない禍ツを受け入れた骸竜は、暴走をしました。人の性を忘れ獣となり、人を食い、動物を食い、村や街を食い荒らしました。誰かが倒さねばなりません。しかし、倒せば再び、骸竜を骸竜たらしめる禍ツが土地を汚すでしょう」
骸竜は、この国を守ための人柱の成れの果て。
そして、骸竜を討伐する聖痕の勇者とは──。
「ソファラ様は、聖痕の勇者を生み出しました。聖痕は骸竜を討伐できる。すなわち、骸竜の禍ツをその身に受け入れることができる。その心は憎しみに染まり悲しみに染まり、全てを恨み憎悪して、再び骸竜になる。ソファラ様が選ぶのは、その資質があるものだけ」
「そんなのって……」
それでは、ヴァールハイトは最初から、骸竜になるために女神に選ばれたというの?
あまりにも残酷だ。
「この国を守るためです。骸竜の禍ツを受け入れて、骸竜と同化する。何年か、何百年か、人柱は禍ツを受け入れ続け──目覚めるのです。そうして新たな骸竜が生まれると、聖痕の勇者が選ばれる。この国は、それを繰り返してきました。全ては、国を守るため」
「どうしてヴァールハイトは選ばれたのですか……どうして、グレン様は、ヴァールハイトを……」
「予言がありました。聖痕の英雄が生まれると。ヴァルト・ハイゼンのことを私はよく知りません。ですが、すべての憎しみを一身に受けたような子供だと。悪魔と謗られ、人間のようには扱われずに、苦しみと憎しみの中で育った彼は──ソファラ様に、生まれた時から選ばれていたのです」
生まれた時から。
ヴァールハイトはだとしたら、聖痕の英雄となり、骸竜になるために生まれたというの?
「彼の村の人々は、魔骸となり、幼い彼は両親や村の人々を殺しました。それは全て、定められたこと。ソファラ様の導きだったのです。聖痕の英雄となり、骸竜を継ぐための」
「だったらどうして、グレン様は……!」
「私は、ヴァルトを救いたかった。私はそれを、知っていた。ラミア様は、聖痕の仕組みに心を痛めていた。長らく続くこの仕組みが、ラミア様の心を疲弊させてしまったのだろう。秘密を抱えることが困難なほどに。だから、私に……その秘密を話してくれた」
本当なのだろうか。
ヴァールハイトの話では、グレンは野心からヴァールハイトを殺そうとしたのだという。
けれど本当は、グレンの言っていることが正しいのだろうか。
殺されかけたヴァールハイトには、そう見えていたというだけで。
「親友が、骸竜になるなど私には耐えられなかった。……だから、ヴァルトを殺そうとした。運命が変えられないのなら、静かに眠らせてやりたかった」
「グレン様……」
苦しげに眉を寄せて、グレンは言う。
その言葉は、私の耳にはとても真摯なものに聞こえた。
「エルフィ。これが今まで起こったこと。けれど、ヴァルトは生きていた。生きていれば、骸竜になる運命は変えられない」
「ヴァールハイトにはそのような様子は……」
「今は、本来なら骸竜が受け入れていた禍ツが国に溢れて、人や、植物や動物を、魔骸へと変えている。しかしいずれ……時がくれば、ヴァルトの聖痕が全ての禍ツを受け入れるだろう。そしてヴァルトは、骸竜になるのだ」
次は、お前だ。
骸竜はヴァールハイトにそう言った。
私は息を呑んだ。ひび割れていた足元が、バラバラに崩れ落ちていくような気がした。
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