女神ソファラの贄
グレンは私の前に片膝をつくと、俯いている私の顔を覗き込むようにする。
作り物めいた整った顔立ちに、優し気な笑みを浮かべて。
「ヴァルト・ハイゼンについて、一つ大切な話がある」
「大切な、話……」
本当は否定しなくてはいけなかったのに、グレンの言葉で私は明らかに動揺をしていた。
セルヴァンは、両親が亡くなる前から今までずっと私と一緒だった。
それこそ――本当の親のように、私を支えてくれた。
厳しいところもたくさんあるけれど、セルヴァンがいたから私は、ロングラード侯爵という立場を守ることができた。
それなのに。セルヴァンの病に、気付きもしなかったなんて。
グレンが嘘をついていると、私は否定できない。
確かにセルヴァンは――以前よりも食が細くなった。痩せたようにも感じる。
本人は冗談めかして「歳のせいですよ、エルフィ様。年を取ると、肉よりも野菜の方が旨く感じるのです」と言っていた。だから、「まだそんなに歳ではないわよ」と、私も笑いながら言葉を返していた。
本当は、苦しかったのだろうか。いつから体が、辛かったのだろうか。
年齢を考えれば、病を患っても不思議ではない。
分かっている。けれど。
今まで当たり前にあった足場に、唐突にぴしりぴしりと罅が入って今にも割れてしまいそうに感じる。
割れた足場の底には、深淵が続いている。
どこまでも深い闇の中に飲まれてしまうみたいに――酷く、恐ろしい。
「そう――大切な話だ。君はヴァルトから聞いただろうか、私が彼を殺そうとしたという話を」
「聞いたわ。……あなたは、ヴァールハイトを骸竜の討伐後に、骸竜の住処だったマグマの中に突き落としたって……」
「あぁ。だが、それには理由があるんだ。ヴァルトはまるで私を、演劇に出てくる悪役かなにかのように話しただろう? 実際は違う。それはもちろん殺されかけたのだから、私を悪しざまに罵るのは当然だと言えるが」
「罵っては、いなかった。……あなたのことを、恨んでなんていない」
「正直に言って良い。ヴァルトを守ろうとしているのだろう、エルフィ。君たちは、愛しあっている。……いや、違うな。君は彼を、一方的に愛していると言えばよいのか」
「それは……」
私は力なく首を振った。
それは、違う。私たちは愛しあっている。ヴァルトは、私を愛していると言ってくれた。
でも、そんなことをグレンに伝える必要はない。
私たちの間にある大切なものを、教えるなんてしたくない。
「本当に大切なら――貴族の君に触れることはしない。身分を偽り、隠れ住んでいたのだろう、ヴァルトは。私や王家や、ラシャーナから姿を隠し。そんな男が、君と結婚できるわけがない」
幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりとグレンは続ける。
「君を弄び、そのうち逃げるのだろう。君の体には、ヴァルトに触れられた印が残っている。アレクの結婚式に君が参加することは知っていただろうに、淫らな跡を君に残した。可哀想に、エルフィ。……若い君は、遊ばれていることにも気づかない」
私は自分の体を見下ろした。
見える所には、なんの跡も残っていない。
だとしたら、先程スカートを捲られた時だろう。かっと、体が熱くなる。
羞恥と――秘密を無遠慮に覗かれたような、激しい怒りを感じた。
きつく唇を噛む。感情的になってはいけない。聖銃は、奪われて、失くしてしまった。
力では、この男には敵わない。
もし感情のままに私が何かしようとしたら、再び体を拘束されてしまうかもしれない。
それはいけない。拘束されたら、逃げられる可能性が格段に低くなってしまう。
「私は、遊ばれてなんていない。あなたよりは若いけれど、自分でものを考えて、判断することぐらいはできる」
「そうかな。ヴァルトは今でもラシャーナを愛しているのだろう。ラシャーナも、私と結ばれても尚、ヴァルトを想い続けていた」
――それは。
そうかもしれない。
胸に、じくりとした痛みが広がる。
ヴァールハイトはそんなことはないと言っていたけれど、強がっていただけなのかもしれない。
ずっとラシャーナ様を想っていたから、この国に留まり、名を変えて魔骸討伐を続けていたのではないのだろうか。
「……そして君は、ヴァルトを愛している。これは重要なことだ、エルフィ。君は、ヴァルトの為ならその身を喜んで差し出すのではないかと、私は考えている」
「どういうことですか。ヴァールハイトも病気だとでも言うの?」
「ある意味で。私がヴァルトを殺そうとしたのは――ヴァルトが、次の骸竜になることを、防ぐためだった」
「……次の、骸竜に」
ヴァールハイトは骸竜の声を聞いている。
骸竜は討伐されて命を失う間際に、「次はお前だ」と、ヴァールハイトに言い残している。
まさか、本当にヴァールハイトが骸竜に――?
「あぁ。君は知らないだろう。聖痕の英雄とは、女神ソファラに選ばれし贄なのだ」
女神ソファラ様が選んでくださった英雄には、聖痕が浮き出るのだという。
ヴァールハイトの手の甲にある聖痕で禍ツを浄化したとき、確かにどす黒い禍ツがヴァールハイトの聖痕に全て吸い込まれていった。
私は、それはとても嫌な感じがするから、聖痕を使用しないでとヴァールハイトに伝えた。
聖痕とは贄の証と言われれば、確かにそうだと頷けるほどに、それは不穏な光景だった。
「贄……贄とは、骸竜になるということ? でも、骸竜は聖痕の英雄が倒すものだって、ソファラ様の教えに残っているのでしょう? ヴァールハイトは、ラミア様からそれを聞いたって……」
「それについては、私がお話しましょう」
闇の中から現れる、小柄な影がある。
大司教ラミア様が、グレンの横に並んで、美しい顔に慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
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