英雄グレン・エジール
酷薄な笑みを浮かべたアレク様が、私の片手を捻り上げる。
痛みに顔をしかめる私の顔に、アレク様の顔が近づいた。まるで唇を合わせるみたいに近づけられた顔から、私は顔を背ける。
気持ち悪い。嫌いだ。
アレク様は私を嫌っていた。それは知っている。女らしくなくて、反抗的で、田舎者で。
確かにそれはその通りで、指摘されたらそうだとしか言えない。
歩み寄ることはできなかった。仕方ないとあきらめた。ただそれだけのことだと、思っていた。
それなのに――こんな。
――王家ならば、何をしても許されるというのだろうか。
そんなこと、考えるまでもない。
私の方が身分が低く、アレク様が黒と言えば私が白と言ってもそれは黒になるのだから。
「私を拒絶するのか、エルフィ」
「……あなたと話すことは、なにもありません」
「良い度胸だ。それが正しい選択だと思うのか? 君は昔から可愛げのない女だった。領地に戻りすこしは心根を入れ替えたかと思ったが、何も変わらない」
「ロングラード領は、両親が残してくれた私の守るべき場所です! ロングラード領を田舎と謗り、愛人を連れ込み私から奪おうとするなど、認められるわけがありません!」
「酷いことを言う。私は、謝罪をしただろう? 浮気心を抱いたのは、若気の至りだった。今は反省をし、君の許しを何度も請うた。頑なに私を拒絶するのは勝手だが――その権利が君にあるとでも思っているのか?」
「触らないで!」
腰を引き寄せられて、強引に抱きしめられる。
抜け出そうと思えば、抜け出せる。セルヴァンに体術の指導も受けてきたのだ。
けれど、頭の中で警鐘が鳴っている。
大人しくしていた方が賢明だ。ここで暴れて、アレク様に傷をつけでもしてしまったら、事態は悪化の一途を辿ってしまう。
でも――。
「エルフィ。私の花嫁。そう怒らないでくれ。私の浮気心がそれほど許せないのだな。悋気が強いというのも愛らしいが、皆の前だ。もう少し、しおらしくした方が良い」
「いや、……いや、嫌ぁ……っ」
腰に触れる骨ばった手の感触が、私に密着をするアレク様の体が、触れる吐息が、全部がおぞましい。
もし、私が恋を知らなければ。
ヴァールハイトと出会っていなければ。
唇を噛みしめて、嫌悪感を胸に押し込めて、耐えることができたかもしれない。
でも、私は。私に触れるヴァールハイトの優しい手も、愛情に満ちた瞳も、低く甘い声も、全部――知ってしまった。
「さぁ、誓いのキスをしよう。愛を誓おう、エルフィ。エルフィ・ロングラードと、この私、アレク・ライヒルドは、女神ソフィアと集まってくれた皆の前で、愛の契りを交わそう!」
「嫌っ、離して、私に……触れないで!」
頭の中で、ぷつりと何かが切れたような気がした。
冷静な私が、駄目だ、落ち着けと叫んでいる。
けれどその声は遠い。
私は情動に突き動かされるまま、アレク様の腕の中から身をよじって抜け出して、それから。
パン!
と。音が響く。
私の手は、アレク様の頬を張っていた。手のひらが、じんと痺れた。
アレク様が頬をおさえて、怒りに燃える瞳で私を睨みつける。
けれど、怒りだけではない。その表情には隠しきれない喜色が浮かんでいた。
「エルフィ……! ただの悋気で可愛い抵抗をし続けるだけなら許したものを、私を拒絶し……あまつさえ、暴力を振るうとは!」
アレク様の高々と響く声と共に、礼拝堂の奥で待機していた兵士たちが、私の元へとやってくる。
まるではじめからこうなることを、予定していたかのように。
「ロングラード侯爵は、王家に従わないということだな。皆も見ただろう、反抗的なこの女の態度を。この女は、私に暴力をふるい傷をつけた!」
成り行きを見守っていた貴族たちから、批判の声があがりはじめる。
騒ぎに気付いて扉から中には行ってきたウォレスが「エルフィ様……!」と、震える声で私を呼んだ。
私の体は、兵士によって拘束されている。
駆け寄ってこようとするウォレスを、私は首を振って制した。
ウォレスまで、捕まってしまう。
「あぁ、エルフィ……残念だ。君と、フィオナ。三人で仲良くできると思ったのに。安心すると良い。ロングラード侯爵領は、私が守ろう。女の君よりも、私が領主になったほうが、領民たちも安心だろう。ライヒルド王家という後ろ盾もあるのだから」
「……っ」
私は、零れそうになった声を、息を止めるようにして喉の奥に押し込めた。
ヴァールハイトの名前を呼ぶことはできない。
その男は誰だと――探られてしまう。
そんなことになったら、ヴァルト・ハイゼンが生きていたと――私と共に反逆をしようとしていたと、ヴァールハイトまで追われる立場になってしまうだろう。
せっかく、自由を手に入れていたのに。
全部、自分で蒔いた種だ。
もっと慎重になっていれば。もっと、よく考えて、周りをよく見ていれば。
王都や王家や中央の政治に、関心を向けていれば。どこかで、気付くことができていたかもしれないのに。
――馬鹿だわ、私。
「その女を連れていけ。反逆罪は――死罪だ」
あぁ、どうしていれば良かったのだろう。
一年前、アレク様の提案を受け入れて、大人しくアレク様と結婚していれば良かったのだろうか。
「フィオナ、おいで。これから、君と私の婚姻の儀式をしよう。待たせて悪かった。この女があまりにも我儘でね。田舎の野良犬の相手は、骨が折れる」
「アレク様……! 嬉しい」
兵士に拘束されている私の目の前で、アレク様がフィオナさんを呼んだ。
やはり最初からこうするつもりだったのだろう。白いドレスを身に纏ったフィオナさんが神殿の奥から、従者の方々に連れられてアレク様の元へとやってくる。
私に向けられているのは、憐れみと、嘲笑と、非難の瞳だ。
ここには――私の味方はいない。
ウォレスだけが青ざめながら、私を見ている。
「……死罪とは、少しやりすぎではありませんか」
静かな声が響いたのは、そんな最中でのことだった。
大声を出しているわけでもないのに不思議と響く低い声に、ざわめいていた礼拝堂がしんと静まり返る。
長椅子から立ち上がる、立派な体格をした身なりの良い男性の姿がある。
精悍な顔立ちをした、ヴァールハイトと同じ年ぐらいに見えるその男性は――グレン・エジール。
かつてヴァールハイトを殺しかけ、その立場を奪ったシャルムリッターの騎士団長だ。
「アレク様。エルフィ・ロングラードの処遇は、ひとまずは私に預けてくださいませんか?」
「どういうことだ、グレン。何故お前が口を挟む?」
「若く美しい女性が、悋気のために投獄されて、死罪にまでされるとは……残酷なことだと思いまして。どのみち死罪になるのなら、私が貰っても良いでしょう?」
「貰う? 色欲に惑ったのか、グレン。趣味が悪いことだな」
「神聖なソファラ神殿でそのようなことを言ってはいけませんよ、アレク様。私がその身を預かるというだけです。侯爵姓も領地もはく奪されることは変わらない。アレク様は欲しいものを手に入れることができる。私もまた。何も悪いことはないでしょう」
どうして、グレンが。
私を助けようとしているの?
でも――違う気がする。嫌な予感が、体にべったりと泥のようにはりついている。
「行きましょうか、エルフィ。大丈夫です。痛いことはしませんよ」
グレンは兵士たちに命じて、私を大神殿の奥へと連れて行った。
私は引きずられるようにして回廊を歩きながら、ウォレスがヴァールハイトに王都から逃げるように伝えてくれることを祈った。
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