浄化の魔弾
魔骸の触腕が、ヴァールハイトに襲い掛かる。
水路の水門をどうやって抜けてきたのか、水門よりも大きな、水を含んで膨れたように見える巨体は、どことなくカタツムリに似ている。
その体から伸びる触腕は一本一本が私の体ぐらいに太く、水門を軽々と乗り越えて空に届きそうなほどに長い。
地を蹴ったヴァールハイトは、まるで空を飛ぶようにして跳ね上がると、抜き身の剣で左右から襲いかかってくる触腕を、叩き落とすように切り付ける。
触腕は縦横無尽に蠢いて、ヴァールハイトをその質量にそぐわない速さで絡め取ろうとするのに、ヴァールハイトはそれ以上に早い。
まるで空中で、一瞬で移動したように、私には見えた。
まとわりつこうとしてくる触腕を全て切り払い、少年が囚われている触腕を、胴体から切り離す。
切り離された触腕から放り出された少年を、ヴァールハイトは軽々と受け止めて、石畳に着地した。
胴体から切り離された触腕が、ゼリー状の断面を見せながら、何本もびちびちと石畳の上で跳ねる。
けれどそれはすぐに、青紫色の不吉な煙になって、消えていった。
「お嬢さん、受け取れ!」
「ええ、わかったわ!」
ヴァールハイトに呼ばれて、私は両手を差し出した。
失礼な物言いだけれど、咎めている場合ではないことぐらい、理解している。
ヴァールハイトは抱えていた少年を、私の方へと放り投げる。
私は両手で少年を受け止めて、受け止めた衝撃で石畳に尻餅をついて座り込んだ。
腰と尻が痛いけれど、私の体がクッションになって、少年の体はどこにもぶつかったりはしなかったみたいだ。
お洋服も体も、雨に降られたようにびっしょりと濡れて、深く目を閉じているけれど、呼吸はしっかりしている。
水路の手前、兵士たちが倒れている場所まで連れていって、石畳の上に寝かせる。
胸に耳を当てて心音を確認する。
規則正しい鼓動の音が聞こえて、ほっと息をついた。
私はそれから、顔を上げてヴァールハイトの方に視線を向ける。
水路の中に半分ぐらい身を沈めている魔骸が、半透明の体をぶるぶると震わせている。
切り離された触腕を、再生しようとしている。
体に中途半端に残っているゼリー状の断面から、ずるりと、新しい触腕が生えようとしている。
「再生が遅い、胴体ががら空きじゃねぇか」
ヴァールハイトは、魔骸の巨躯に向かって、駆ける。
剣を振り上げ、同時に、巨大な魔骸のさらに上、空高く飛び上がる。
まるで、翼が生えているみたいだ。
どこか冴えない見た目の、汚れた、品のない男──と、先ほどまでは思っていた。
けれど今は、煌めく白刃を空高く掲げたヴァールハイトは、まるで、戦神のようにさえ思える。
「消え失せろ!」
危険を察知したのか、魔骸の体が、紫色から血のような赤色へと変わる。
全身から再び触腕を伸ばす前に、ヴァールハイトの剣は、ヴァールハイトを噛み砕こうとしている魔骸の口の中に吸い込まれるように、その口ごと、その体を二つに叩き切った。
ぐにゅりと、水気の多い体が二つに割れる。
魔骸は、水路の中にいる。
ヴァールハイトは魔骸を二つに切り裂いて、その胴体を蹴りつけると、くるりと一回転しながら、石畳の上へと着地した。
真っ二つに裂かれた魔骸の体が、どろどろした紫色の液体に変わり始めている。
「駄目……っ」
私は少年の側から、駆け出した。
スカートをたくしあげて、小物入れとは反対側の大腿に巻き付けてあるホルスターから、聖銃を抜いた。
「退きなさい、ヴァールハイト!」
リボルバー式になっている聖銃には、対魔骸用の聖弾が仕込んである。
もしもの時のための、保険のようなものだった。
使用するのは初めてだけれど、このまま魔骸が水路で溶けてしまえば、街の人々の使用する水路が、汚染されてしまう。
「おい、お前……!」
「浄化の聖弾!」
ヴァールハイトの後ろにいる魔骸に照準を合わせて、私は撃鉄を下ろし、聖銃を構えて引き金を引く。
的は、かなり大きい。
大丈夫、練習はしてきた。
銃弾はヴァールハイトを避けて、魔骸の体に打ち込まれる。
再び撃鉄を下ろして、さらに数発、魔骸の体に聖弾を打ち込む。
聖弾に込められた浄化の力が魔骸の体の中で弾けて、その体を液状から、気体へと変えていく。
聖弾が打ち込まれた場所から大穴が空くようにして、魔骸の体が塵のように消えていく。
「お嬢さん、避けろ!」
魔骸が消滅したことに安堵して、聖銃を降ろした私に、ヴァールハイトが厳しい声で叫んだ。
気が緩んでいたのだろう、声に反応することができなかった私の体に、魔骸の体から引きちぎれるようにして飛んできた触腕の一本が巻き付いた。
「ぅわ……っ」
私の体を締め付けた触腕は、紫色の煙を噴き出しながら、消えていく。
何が起こったのかわからないまま、私はその煙を大きく吸い込んだ。
「馬鹿が!」
「……っ、う、あ……っ」
喉が焼け付くように、あつくて、苦しい。
頭がぐらぐらする。
全身から冷や汗が吹き出して、私は石畳に膝を突いた。
「は、ぁ……あ、ぐ……っ」
喉を押さえて、促迫した呼吸を繰り返す。
苦しい。苦しい。あつい。苦しい。
息が──できない。
「戦闘経験がねぇな、お前は。迂闊すぎる」
「うる、さい……っ、私は、大丈夫……っ」
「助けてとか、可愛げのあることを言えねぇのか、お嬢さん」
ヴァールハイトは剣を腰の鞘に戻すと、喉を押さえている私の前に、しゃがみ込んだ。
視界が、黒く濁る。
ふらりと、体が揺れる。
私を受け止めるヴァールハイトの腕の力強さを感じながら、私は意識を失った。
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