地を這うもの:クローリゲル
ミルケ山脈を抜けると、王都エルメニアのあるライヒルド王領へと入ることができる。
ここまでくると王都は近い。王都側にあるミルケ山脈の麓の街キルフェンに数日滞在して、黒炎で駆ければ一日でたどり着くことができるだろう。
「……誰か、助けてください!」
ミルケ山脈から再び森の道を抜けてキルフェンの門の前まで来ると、門の中から女性が走ってくる。
切羽詰まったその様子に、ヴァールハイトは黒炎の足を止めさせた。
「どうしたんですか?」
私は馬上から尋ねる。女性は黒炎の前に転がるようにして足をついた。
その両手には、大きな何かを包んでいる布が抱えられている。布の中からのぞいているのは、可愛らしい赤子の姿だ。
女性の腕の中で、すやすやと愛らしい寝息を立てている。
「魔骸が、魔骸が……っ、街に……!」
「ヴァールハイト、行きましょう!」
「あぁ。大丈夫だ、お嬢さん。安心しろ」
私の呼びかけにヴァールハイトは力強く頷いて、女性に気安く声をかけた。
女性は大きく首を振りながら、震える唇を開く。
「駄目です、行っては……どうか助けてください! 街に近づいてはいけません、この子を助けたいの! どこか、遠くに逃げないと!」
女性の恐怖に身開かれた瞳から、大粒の涙が落ちる。
只事ではないその様子に、私とヴァールハイトはそっと目配せをした。
「安心して、大丈夫よ。魔骸は私たちが倒します。あなたも赤ちゃんも街の人々も必ず、救います!」
「駄目よ、危険だわ……!」
「問題ない。俺は強い。それに──守護の女神が共にあるからな」
「守護の女神? ヴァールハイト、力を使うのは……」
「俺の女神はあんただよ、エルフィ」
ヴァールハイトはそう言うと、街に向かって黒炎を駆けさせる。
女性の声と、目覚めてしまったらしい赤子の泣き声が背後で響いた。
キルフェンの街に入ると、すぐに異変に気づくことができた。
街の中を我が物顔で悠々と歩いているのは、黒い靄を纏ったような狼の姿だ。口からぼたぼたと、黒い液体を垂れ流している。血のように真っ赤に染まった瞳には、知性の輝きは無い。
捻れた尻尾がだらりと地面に垂れ下がり、尖った耳が生きている人の気配を探ろうとして、忙しなく動き回っている。
「クローリゲルだ」
ヴァールハイトはそう言って、黒炎の背中から飛び降りた。
それから私に手を差し伸べて、降ろしてくれる。黒炎に「逃げていて」と伝えると、黒炎は賢そうな黒い瞳を一度瞬かせて、街の外へと駆けて行った。命じたわけではないけれど、先ほど森に置き去りにしてしまった女性と赤子を助けに行ってくれたような気がした。
地面には、幾人かの人が倒れている。
禍ツによって動物が変化したもの──クローリゲルの集団と戦った自警団か、もしくは騎士団の方々なのだろう。
身に纏う鎧の隙間から、血が滴り落ちて地面を赤黒く染めている。
「本当はあんたにも逃げていて欲しいんだが。逃げろって言っても、聞いてくれねぇだろうしな」
「私はあなたと一緒にいる。浄化するのは、私の役目」
「あぁ。わかった。頼りにしてる」
クローリゲルから、街の人々は扉を閉めて窓を閉めて、家の中に身を隠しているようだった。
何匹かのクローリゲルが、家々に体をぶつけたり、鋭い爪でガリガリと扉を切り裂いたりしている。
いくつかの家の扉は無理やり開かれた跡がある。家の中はクローリゲルが暴れ回った後なのだろう、家具や物が散乱して、血の跡が残っている。
クローリゲルたちは、狼の体を膨らませたような形をしている。
元々は森に住む狼だったのかもしれない。彼らも人を襲うけれど──ここまで暴虐な振る舞いはしない。
こうして襲われて滅んだ村は、少なくない。
大きな街ほどの自衛の能力のない小さな街や村は、魔骸に襲われてしまえば、力を持たない人々は先ほどの女性のように、街から出て逃げるしかないのだ。そこから生き残れるかどうかは、運でしかない。
「あんたたちは、一体……!?」
それでも抵抗を続けていた鎧を纏った壮年の男性が、私たちに駆け寄ってくる。
剣を握る手は無事だけれど、もう片方の手はだらりと垂れ下がっている。鎧の肩当てが割れて、肉がえぐられていた。
食いちぎられたのだろう。
「私は、ロングラード侯爵エルフィ。こちらは護衛のヴァールハイトです。怪我人を連れて下がってください、私たちが魔骸を倒します!」
「だ、だが……! 数が多すぎる! 自警団は半数以上がやられた。逃げた方が良い! 今、街の者たちを逃すための準備をしている……!」
「大丈夫!」
私はスカートを捲ると、聖銃を取り出した。
騒ぎに気付いたのだろう。私たちの前にクローリゲルたちが集まってくる。
確かに、数が多い。街中に散らばっていたクローリゲルたちが、獲物の気配に気づいて集まってきたのだろうか。
十や二十ではない。もっといるかもしれない。
クローリゲルたちが一箇所に集まると、黒い闇の中に無数の赤い瞳が輝いている巨大な獣のように見えた。
「集まってきたな。どうも、俺は魔骸に好かれるみたいでな。好かれるのはエルフィ、あんたにだけで良いんだが」
「ヴァールハイト、約束を守って」
「あぁ。俺が、斬り殺す。あんたは聖弾を撃ち込め、エルフィ。さっさと片付けるぞ!」
白く輝く剣を腰から引き抜いたヴァールハイトが、真っ直ぐにクローリゲルたちに向かって駆けていく。
不吉な雄叫びをあげながら、クローリゲルたちもヴァールハイトに襲いかかった。
私は聖銃を構える。聖弾は、街につくたびに補充してある。
ヴァールハイトが剣を薙ぐと、クローリゲルの体が真っ二つに裂けて、中から黒々とした瘴気が溢れる。
吸い込むと、体が動かなくなってしまうものだ。
私は消滅しながら大地を穢そうとしているクローリゲルに、聖弾を打ち込んだ。
ここまでくる途中で幾度か戦っている。聖銃の扱いにも慣れた。それに──何度かヴァールハイトにも、指導してもらっている。
撃ち出された聖弾はクローリゲルを貫いて、その体を霧のように消滅させた。
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