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山脈での弔い



 黒炎に乗って、山道を越える。

 歩いてだと丸一日かかるような道行も、黒炎であれば数刻で駆けることができた。

 ヴァールハイトは黒炎に無理をさせないように速度を調整していて、平原ではやや速度をあげて、坂道や森や山ではゆっくりと歩かせていた。


 いくつかの街で休憩をして、王都に向かうには必ず越えなければいけないミルケ山脈まで──とうとう、やってきた。

 踏破が難しいという山ではない。

 馬車が通るための道が岩肌に造られている山で、何もなければ徒歩でも一日で越えることができる。

 切り立った岩山が、森の向こう側に連なっている。森を抜けて、岩山の道に入るとなだらかでくねくねと曲がった上り坂が続いていて、山の中腹から下り坂になっている。


 馬車で通り抜けることもできるのだから、悪路というわけではないのだ。

 ただ──ここは、お父様とお母様が骸竜に襲われて命を落としたという山だから。

 目にすると、足が竦んでしまうというだけで。


 はじめて来たというわけじゃない。

 王都に行くたび、それから帰るたびに、セルヴァンと共に通ってきた道だ。

 今まではずっとセルヴァンが、父のように側にいてくれた。

 けれど、セルヴァンが体調を崩してしまって、その年齢を思うと──ずっと一緒にはいられないことは、分かっている。


 私は、一人で立たなければいけない。私が弱気になってしまっては、一体誰がロングラード領を守るというのだろう。

 そう、思っていた。


「……怖いか、エルフィ」


 黒炎が、軽快な音を立てながら岩山の馬車が問題なく通れる程度の幅の山道へと入っていく。

 極力なんでもない顔をしていたはずだけれど、緊張が伝わってしまったのか、私を背後から抱きしめるようにして手綱を握っているヴァールハイトが尋ねてくる。


「……大丈夫」


「強がる必要はねぇよ。……怖いのは、当たり前だ」


 ミルケ山脈の麓の村で、花束を購入していた。

 お父様とお母様の遺体はみつからなかったから、ロングラード領にある墓には誰も入っていない。

 ミルケ山脈を通る時、途中で花を供えることをセルヴァンと共に続けてきたから、今日もそのようにするつもりだった。

 ヴァールハイトには私のことは全て話してしまったし、だからヴァールハイトもここが私の両親の亡くなった場所だと知っている。


「あんたは、強くなきゃいけねぇって思ってるみたいだが、そんなことはないだろ」


「……でも、私はロングラード侯爵だから」


「どんな立場の奴だって、所詮は人間だ。怖いものや、苦手なものがあっても良いんじゃねぇか? それを無理に隠そうとするから、余計に苦しくなるんだろ」


「あなたにも、あるの? 怖いこと」


「あぁ、そりゃあな。もちろん」


 この数週間の旅の中で、黒炎はまるで昔から私たちと旅をしていたように──元々賢い良い馬だったけれど、ヴァールハイトの言うことをよく聞くようになっていた。

 ヴァールハイトは片手で軽く手綱を掴み、片手で私の腹の上に手を添えて私を抱くようにしている。

 それでも不安定さもないし、振り落とされる不安もまるでない。

 黒炎が足をすすめるたびに体が揺れたけれど、馬上の揺れにも慣れた。


「あなたには怖いものなんて、何もないように思えるけれど」


「……俺は、あんたを失うのが怖い」


「……っ、私、今、真面目な話をしているのよ……」


 喉を締め付けるような不安感と緊張が、体からすっと抜けていくみたいだった。

 もっと違う返答を予想していたのに、そんなことを言われるなんて。


「俺は真面目だよ。エルフィ。……あんたと過ごす毎日は、俺の人生の中で一番……なんつうかな、幸せなんだろうな。こうして、あんたを腕に抱けること。あんたの可愛い反応を見れることも、全部な」


「揶揄っているでしょう……?」


「そんなつもりはねぇよ。俺はこう見えてかなり素直なんだ。頭が悪ぃから嘘をつくのは得意じゃねぇし、その必要もないだろ。俺があんたを何回抱いたと……」


「今はその話は、あんまり関係が、なくて……」


「関係はある。あんたは俺に全てをくれた。全部を捨てて逃げた俺に呆れずに、俺のために怒ったり、力を使うなと言ったり……あんただけだよ。エルフィ。……軽薄に、見えるかもしれねぇが……俺は、俺なりに真面目にあんたを愛してる」


「わ、分かっているわ、そんなこと……私を大切にしてくれていることぐらい、ちゃんとわかる」


 ヴァールハイトは私が嫌がることをしない。

 その行動も言動も、優しさや気遣いに満ちていて、頼りすぎるのはいけない気がしているのに、側にいると安心できて、つい、頼ってしまいたくなる。


「それは良かった。たまに泣かせすぎたかと不安になることがあるんだが」


「……そ、それは、あの、何の話……?」


「いや。……なぁ、エルフィ。恋に浮かれたあんたは、俺に嫌われたくない……そればかり考えるって、前に言ってただろ」


「うん……それは、今もそう」


 愛されているのはわかっている。

 わかっているけれど、それと同時に不安になる。

 嫌われたりしないか、幻滅されたりしないか、嫌な女って、思われたりしないか。

 ヴァールハイトのことは信頼している。理由なく私を嫌ったりしないだろうことはわかっている。

 それでも、どうしても心配になってしまうのだ。


「俺も同じだ。幸せな毎日が続くたび、これはいつか奪われるんじゃねぇかってな。俺は……不吉な子供だった。俺だけが生き残り、村の連中は死んだ。そして、俺がしくじったせいで、国に禍ツが溢れて、骸竜がいたころよりもずっと多くの魔骸がうまれた」


「それは、あなたのせいじゃない」


「どうなんだろうな。わからねぇが。でも、な。どうしたって、思うよ。あんたの可愛い寝顔を見ながら、柔らかくて細くて小さいあんたを腕に抱きながら、……いつか、エルフィを失うかもしれねぇってな」


「私はどこにもいかない。あなたを残してどこにも」


「あぁ。……だが、怖いよ。俺はずっと、人から向けられる感情が嫌いだった。だからずっと一人で良いと、一人で生きていくのが楽だと思ってた。……でもな。あんたの温もりを知った今は、もう一人には戻れない」


 黒炎の蹄が大地を蹴る音が、誰もいない静かな山に響いている。

 いつの間にか、私たちは山の中腹へと差し掛かっていた。

 岩肌を切り出したような道の外側には崖が、崖下には鬱蒼と木々が生い茂る森が広がっている。


「あんたを失うのが怖い。俺はその感情を否定するつもりはねぇよ。怖いから、守らなきゃいけねぇと思うし、誰よりも強くなりてぇと思う。あんたを失いたくない。その恐れが……恐怖が、俺を今までよりもずっと強くしてくれる気がする」


「……怖いものがあるから、強くなれる?」


「そうだな。エルフィ。あんたはロングラードの民に己を捧げようとしてるだろ。まるで死にたがってるみたいに、魔骸に突っ込んでいく。……だから余計に俺はあんたを失うのが怖いし、あんたを守れるぐらいに強くならなきゃいけねぇって思う」


 片手で体を引き寄せられて、強く抱きしめられる。

 山の中腹の森を見下ろせる道の途中で、黒炎は足を止めた。


「両親を失ったこの山が怖いのは、当たり前だ。怖がって良い。泣きたければ、泣けば良い。……それで、俺に甘えてくれ。あんたには俺がいる。泣いてるあんたを見て可愛いとは思うが、情けないとは思わねぇよ」


「……うん。……ありがとう。……ありがとう、……ヴァルト」


「あぁ」


 私は、ヴァールハイトの本当の名前を呼んだ。

 それが正しいことかどうか分からなかったけれど、呼んでみたかった。

 ヴァールハイトは静かな声で返事をしてくれた。

 私たちは黒炎から降りる。

 抱えていた花束を、道の端から森に向かって投げる。

 落下の途中で紐が解けて、花々が森に向かってひらひらと舞い降りていく。

 ヴァールハイトは私を背後からきつく抱き締めると、首筋に口付けた。


「……エルフィは俺が守るよ。地位も名誉も金もねぇが、エルフィを愛してる。安心できねぇかもしれねぇが、見守っていてくれ」


 森で眠るお父様とお母様に、祈るようにヴァールハイトは言った。

 私は──ヴァールハイトの腕の中で身じろぐと、背伸びをしてその唇に、自分のそれを重ねた。




お読みくださりありがとうございました!

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