グレン・エジールとラシャーナ・エジール
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――全てが、憂鬱だ。
栄光あるシャルムリッターの騎士団長でいることも、骸竜を討伐した男として皆の尊敬の眼差しを向けられることも。
王都にある自宅に戻り、ラシャーナと顔を合わせることも。
エジール侯爵家は、西の僻地にある。侯爵領はただただ広いだけの──どちらかといえば、枯れた土地だ。
ロングラード侯爵家とは違う。
王国最北端に位置するロングラード侯爵領は、ウィルヘン山脈から潤沢で清廉な水が流れ込んでいる。
水の都とも呼ばれており、造酒も牧畜も農業も盛んだ。
作ることのできる作物は限られているが、水が枯れることのない大地は豊かだ。
エジール侯爵領は違う。
王国西は山岳が多く、平らな土地が少ない。
雨が少ないせいで山岳の木々はまばらだ。山は多いが、鉱石が取れるわけでもなく、主要な産業もほぼないような場所。
それに加えて、私が生まれた時──枯れた土地に大旱魃が起こった。
私は不自由することはなかったが、領民たちは木の皮までを剥いで食べるような酷い有様だったらしい。
多くの者が命を落とした。
枯れた土地が更に枯れて、エジール侯爵家の財産もそれと共に食い潰されていった。
侯爵家の次男として生まれた私は、そんな状況であったので与えられる財産というものは何もなかった。
兄が、侯爵家を継ぐ。私は、自分の力で身を立てるしかない。
騎士になるための士官学校に入り、それからシャルムリッターに入団した。
土地は枯れて金もないが、家名だけはある。
もちろん、努力もした。剣を振るうのは嫌いではなかった。家名によって将来を約束されていた立場ではあるが、弱い男が騎士団の上に立てば当然侮られる。
誰よりも強く、そして──私は、敬われなければいけない。
エジール侯爵家は枯れてはいるが広大な領土を持つ、上位貴族だ。父や兄に情けない姿を見せるのは嫌だった。
騎士団に入団した以上は、一番上を目指す。その資質が私にはあると、信じていた。
「……おかえりなさい、グレン様」
普段、城の中にあるシャルムリッターの駐屯地に詰めている私は、最近では滅多に家に帰ることがなくなっていた。
それでも、やはり時折帰らなくてはいけない。休暇の日に、詰所にいては皆に心配されるからだ。
表向きは、ラシャーナと私は仲睦まじい夫婦だと取り繕っている。
「あぁ、今帰った」
その実──ラシャーナとの関係は、冷え切ったものだった。
骸竜の討伐の後、当然のようにラシャーナと私は結ばれた。
元々、ラシャーナはヴァルトに……私から騎士団長の座を奪ったあの男に懸想していたようだった。
どこの馬の骨ともわからない、ただの孤児に。
聖痕が、なんだというのだ。
たまたま、ソファラの聖痕が浮かびあがったというだけで英雄扱いをされていた、騎士団長のヴァルト。
あの男さえいなければ、私の人生は私の思い通りになったはずだったのに。
「あ、あの、お疲れですか、グレン様……? いつも、お仕事が忙しそうですものね……」
「そうだな。少し、疲れた。休ませてくれ」
おずおずと話しかけてくるラシャーナの隣を横切り、私は部屋へと向かう。
ラシャーナは、ライヒルドの姫君として生まれた癖に、孤児に懸想していた愚か者だ。
それだけならまだ良い。
顔立ちと生まれだけは良い世間知らずの愚かな姫君だと、可愛がる気持ちも湧いてきたかもしれない。
だが、ラシャーナには欠陥がある。
子を産めないのだ。
幾度交わっても、ラシャーナが身籠ることはなかった。子を産めない女など、娶っても何の役にも立たない。
王家の血筋の子がうまれると、ラシャーナと婚姻を結んだことを喜んでいた過去の己を呪いたい。
けれど、どれほど使えないと思っても、ラシャーナはライヒルドの姫君。
捨てることもできない。妾を迎えることもできない。
もし私がそのような行動を取れば、私の評判は地に落ちるだろう。王家との諍いにもなりかねない。
私は英雄グレン。常に正しい行動を、しなければいけないのだ。
ラシャーナは、現国王の妹である。
国王陛下はもう四十の坂を降ろうとしているが、歳の離れたラシャーナはまだ二十五歳。
子をなせる可能性はまだあるのだろうが、どうしても最近は触れる気にならない。
姫君というだけあってラシャーナは世間知らずで金遣いが荒い。
不自由な生活こそさせていないと自負しているが、騎士団長の給金と、姫君としての暮らしが釣り合っていないことを理解していないのだろう。
「……あ、あの、グレン様。噂を、聞きましたか……?」
「噂?」
部屋に戻ろうとする私の背に、ラシャーナが話しかけてくる。
足を止めて振り向く私に、怯えたような──けれど熱に浮かされたような、夢見がちな女の顔が映る。
「ヴァルト様が……生きているかもしれない、と。……聖痕の英雄を見たという、噂が……」
「馬鹿な。幻でも見たのだろう。ヴァルトは死んだ」
どくりと心臓が跳ねた。
そんなはずはない。
ヴァルトは死んだ。
私が殺したのだ。
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