エルフィ、嫉妬をされる
なんだか──すごい、夢を見た気がする。
僅かに痛む頭を押さえて、私はベッドの中を弄った。
いつもぎゅっと抱きしめて眠っているはずの、ジョゼちゃんがいない。あの子がいないと眠れないのだ、私は。
不安に、なってしまう。
幾度も同じ夢を見る。
私は骸竜を実際に見たことはないけれど、巨大な真っ黒い化け物がお父様とお母様の馬車を襲う光景だ。
もう、お父様とお母様の顔も、思い出せない。
優しげな口元に、目元はぼんやりしている。よく見ようと思っても、見ることができない。
顔も、声も。その手の温もりも、もう思い出せない。
どんなに大切なものでも、時が経てば忘れてしまう。
それはとても不誠実なことだ。お父様とお母様を忘れてしまうなんて。夢の中でも、記憶の底にあるはずのその姿を思い出すことができないなんて。
ぼんやりした頭の中に、アレク様の顔が浮かんだ。
──家族というものに私は少し、憧れていた。
婚約者に選ばれて──王都ではじめてご挨拶をした時、だから私はほんの少し期待していた。
政略結婚といえども、穏やかな夫婦になれるかもしれない。
セルヴァンやマルグリットやルイーズたちはいるけれど、私は家族が欲しい。
夫がいて、一緒にロングラード領を、ロングラード侯爵家を守ってもらえる。
そのうち子供が産まれて……亡くしたものを、取り戻すことができるかもしれない。
けれど、実際は──。
「アレク様、ごきげんよう。この度、アレク様の婚約者に選ばれました、エルフィ・ロングラードと申します。よろしくお願いいたします」
十六歳の時に、一つ年上のアレク様の婚約者に選ばれてご挨拶に伺った。
貴族たちは王家への忠誠を示すために、春と秋の二回、王都にある城にご挨拶に集まるのだ。
アレク様の顔は見知っていたけれど、ご挨拶以外の言葉を交わしたことのない私は、アレク様が金の髪に青い瞳の美丈夫だということ以外は何も知らなかった。
その時、アレク様は春の祝いの会で貴族令嬢たちに囲まれていた。
ご挨拶をした私を上から下まで値踏みするように見つめて、それから眉を顰めた。
「……エルフィ・ロングラード。両親も兄妹もいない。後ろ盾もない、田舎者だな。ロングラード領は、雪ばかり降る田舎の領地だ」
「……今、なんと?」
「……聞こえなかったのか。田舎の領地だと言ったんだ」
「……訂正を求めます。たとえあなたが第二王子殿下だとしても、言って良いことと悪いことがあります。今の言葉は侮辱と受け取らせていただきます」
「なんて生意気な女だ……!」
アレク様の印象は最悪だった。アレク様にとっても私の印象は最悪だっただろう。
その時は──王太子殿下レーヴァント様が、間に入ってくれた。
そしてアレク様に「ロングラード侯爵領にお前が婿入りすることは、父上からの命令だろう。問題を起こすな」と、諌めてくれた。
けれどそれから私とアレク様の距離が縮まることはなかった。
学園に入って私がご挨拶をしても、アレク様は私のことを見て見ないふりをしていた。騎士志望の方々に混じって聖銃の練習をしている私を遠目に見て「あれではまるで男だな」と、笑っていたのを知っている。
そのうちアレク様はフィオナさんという男爵家の令嬢を側に置くようになった。
何度か、諌めた。当然だ。婚約者は私だ。
アレク様はロングラード侯爵家に婿入りするというのに、まだ正式に婚姻を結んでもいない上に子供を成してもいないのに、浮気をするなんて間違っている。
そうして結局──。
あれは、忘れもしない。卒業式の日だ。
「エルフィ。お前と結婚するのは父の命令だ。だが、フィオナも連れて行く。妾としてな」
「妾……」
「山猿のようなお前よりも、フィオナの方がよほど魅力的だ。フィオナの作った焼き菓子は最高だ。女らしいフィオナの方がお前よりもずっと私を癒してくれる。お前の手は銃を持つことぐらいしかできないだろう。なんの魅力もない」
「……ロングラードは両親が私に残してくださった、私が守るべき場所です。愛のない政略結婚というだけなら受け入れましょう。けれど、婚礼の儀式も済ませていないうちから妾などと……とても受け入れられることではありません!」
「私の言うことが聞けないのか? せっかく、譲歩してやるというのに。お前など、こちらから願い下げだ! お前との婚約など、破棄してやる!」
売り言葉に買い言葉というのだろうか。
私たちは怒鳴り合って──それきりだった。
私はロングラード領に帰り、アレク様とは一度も連絡をとっていない。
あれから一年。季節は春に向かおうとしている。
ロングラード領にアレク様からの結婚式の招待状が届けられて、私は今、ヴァールハイトと王都に向かっている。
「……ジョゼちゃん」
嫌なことがあった日も、悲しいことがあった日も。
ジョゼちゃんはいつも一緒に眠ってくれていた。
ふわふわの温もりを探して伸ばした手は、何かしら硬いものに当たった。
「……アレク様……」
「まさか、はじめてあんたを抱いた日に、別の男の名前を呼ばれるとはな……?」
苛立ちを隠そうともしない声音が、耳に触れる。
すごく至近距離で囁かれて、私は体をびくりと振るわせた。
「あ、あああ……っ」
黒い艶のある癖毛が、頬にあたるのがくすぐったい。
強引に抱きすくめられると、剥き出しの肌が直接触れ合って、私は情けない悲鳴をあげた。
「ヴァ、る、……っ、ヴァール、ハイト……っ」
「あぁ。あんたの愛しのヴァールハイトだよ。おはようのキスは? 目覚めた瞬間、あんたは俺に大好きって言いながら抱きついてくる予定だったんだが、違うのか?」
「わ、わた、私、私……っ」
大変なことを思い出してしまった。
揶揄うように言われた言葉は、けれどやっぱり苛立っているみたいだ。
私たちは同じベッドに寝ている。洋服は、どこかにいってしまった。逞しい剥き出しの体がすごく近い。
窓の外はまだ薄暗い。夜明け前なのだろう。
私は──お酒を飲んで、泣きじゃくって、それで。
隠しておかなければいけなかった気持ちを、まるっとそっくり、ヴァールハイトに伝えてしまった。
半分ぐらいは、覚えている。
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