負け犬と執着
◆◆◆
その時――頭に思い浮かんだ言葉は、「めんどくさい」の一言だった。
「あー……めんどくせぇな」
そう思ったから、そう呟いた。
骸竜の討伐をして、友人だと思っていたグレンに裏切られて殺されかけて。
いや、実際殺されたのか?
よく分からないが、俺は生きている。
視界に広がるのは馬鹿みたいな青空だ。
さわさわと、風が頬を撫でている。薄汚れた体を、髪を、優しく包むように。
倦怠感が皮膚の裏側にへばりついているようだ。
どこかの森の中に、倒れているらしい。骸竜と共にマグマの中に落とされたのだと思ったが、何故か生きている。別に死んでも良かったのに、だ。
生きている喜びなんてものはない。ただ全てが面倒で、指先一本動かす気にならない。
「めんどくせぇな、畜生……」
最近は――立場を弁えて、口汚く罵るなどはしないようにしていた。
笑顔を心がけて。
シャルムリッターの騎士団長として、そして――聖痕の英雄として。
「あぁ、やってらんねぇな……」
自分に向けられる感情ほど、苦手な物はない。
元々俺は孤児だ。グレンのようにまともな家庭で育ったわけではなく、守らなければいけない家族なんてものもなければ、大切な物も何一つない。
ただ生きるために、金のために剣を振るっていたらたまたま今の立場になってしまった。
立場が人を作るということもあるのかもしれない。
部下ができた。
姫君に好意を向けられた。
友人ができた。
聖痕の力を手に入れた。
そういったものが、いつしか自分を形作っていた。
聖痕に選ばれたから、骸竜を討伐した。その結果がこれだ。
――他人の気持ちを考えて、皆に気をつかって、良い顔をしなければいけなかったのか?
(グレンの気持ちなんか知るか。姫様が好きなら先に言え)
――皆が幸せになるように、立ち振る舞わなければならなかったのか?
(誰も姫様と結婚してぇなんて言ってねぇだろうが)
そんなもの――多くの王国民の命を奪った骸竜の討伐と比べたら、どうでも良いことだ。
そのどうでも良いことで、恨まれて殺されかけるなど。
「あー……馬鹿馬鹿しい」
体は動かす気にならなかったが、不平不満は喉の奥から溢れてくる。
ずっと我慢していた感情が、湯水のように。結局俺は英雄などではないのだ。
英雄は、不満など漏らさないだろう。
「……しょうがねぇな、……どうすっかな……」
森の中の湿った土の上で一生ごろごろしているわけにもいかない。
仕方なく立ち上がり、深く溜息をつきながら聖痕を確認した。
まだ、右手には聖痕が浮かび上がっている。怪我も――ないらしい。
最後に屍竜に投げかけられた言葉が、脳裏をかすめた。
『憎いだろう。憎いだろう。この国は滅びるべきだ。お前が、継げ』
「誰が継ぐか。憎いわけねぇだろ。めんどくせぇな。全部どうでも良いんだよ、俺は……」
深い溜息とともに腹の底にたまっていた淀みのようなものを吐き出して、歩き出した。
行く当てはないし、金もない。剣もないし、丸腰だ。
せめて――王都に置きっぱなしにしてある、予備の剣と金ぐらいは取りに行っても良いだろう。
そうしてこそこそ王都に戻って、当面の必要な物を――自分の部屋だというのに、まるで夜盗のように漁った。
王都は骸竜の討伐をした英雄グレンとラシャーナ姫の婚姻を祝う喜びの雰囲気一色で、反吐が出ると感じるのかと思っていたが、正直どうとも思わなかった。
名を変えたのは別に、悲壮な心持ちでもなんでもない。
何もかもが面倒になっていたから、それ以上何かに抗わずに逃げたのだ。
ちょうど良かった。
ヴァルト・ハイゼンは死んだ。
元々――好きな名前でもなかった。
そうして身軽になった。ヴァールハイトとして各地を転々としながら、骸竜の置き土産である魔骸たちを殺して回った。人がいなければ浄化も行った。
俺はひとでなしだが、多少の責任は感じていた。
グレンに邪魔されたとはいえ、骸竜を倒した時に浄化が為されていなかったのだろう。
瘴気――禍ツの塊である骸竜が滅び、浄化が為されなかったせいで、その禍ツが国中に溢れたのだ。
他にやることもなかったし、骸竜の討伐は傭兵にとっての実入りの良い仕事の一つだ。
聖痕は隠していたが、多少の責任感と――他にやることもないしな、という怠惰感情で、日々剣を振るっていた。
元々、それしかできないのだ。
傭兵になってからの方が、ヴァルト・ハイゼンだった自分よりも楽だった。
――エルフィ・ロングラードに出会うまでは。
口ばっかりのお嬢さんだと、最初は思った。
ヴァルト・ハイゼンだった時代、貴族の護衛にもついたことがある。
貴族ってのは偉そうでいけ好かない連中――だと、思っていた。
奴らは聖銃という貴重な武器を持ちながら、前線を有象無象の兵士に任せるのだ。
戦わない癖に。誰かがなんとかしてくれると思っているくせに。
貴族出身の兵士も多いが、身分だけで地位を手に入れて、戦いは部下に任せる連中が殆どだった。
その中でもグレンはまだまともだった。自ら剣を持ち戦うことを厭わなかったのだから。
そんな貴族ばかりを見てきた。
だから、エルフィという名のお嬢さんが、歩いて王都に行くから護衛をしろと言っていると聞いたとき――金持ちの道楽だなと呆れた。面倒くさいが、実入りが良い。
金が貰えるなら何でも良いかと、仕事を引き受けた。
けれど、実際には全く違った。
エルフィは覚悟を決めている。
それは――領主として、自らの手で民を救い、命を落とす覚悟だ。
水路の魔骸に立ち向かったとき、その体も声も震えていたが、迷いがなかった。
聖銃を構える動作にも、聖弾で魔骸を打ち抜くことにも――その体を、魔骸の前に晒すことにも、一切の迷いがなかった。
俺のために泣いて怒っているエルフィを見ていると、妙に気分が良かった。
あぁ――抱きてぇな。
そう思った。
他者に対する感情など朽ちていたと思っていたのに。
他者から向けられる感情など、面倒なものでしかないと思っていたのに、だ。
エルフィは光り輝く太陽のようだ。
その光が強すぎて、後ろ暗いものを抱えている人間は、まともにその顔を見ることができないのだろう。
真っ直ぐで、危うい。
それから――死の匂いがする。
今まではセルヴァンが必死に守ってきたのだろう。
その庇護から抜け出せば、簡単にその真っ白な翼はもぎ取られてしまう。強いが、とても危うい。
己の中で育つ欲望にはすぐに気づいた。
可愛い。拙い。可愛い。美しい。澄んだ水のように、綺麗で――酷く、喉が渇く。
飲み干してしまいたい。
特にその欲望は、森の中でギルフェルドという騎士の男とエルフィが会話をしている時に顕著だった。
ギルフェルドから向けられている好意に、気づいていないのか。
あまりに鈍感だ。
真っ直ぐ前しか見ていないから――向けられる感情に鈍感なのだろう。
(俺がどんな目であんたを見ていたのかすら、気づかねぇぐらいだからな)
「……ヴァ、ル」
甘えたように名前を呼ばれて、俺は口角をつり上げた。
「……責任とれよ、エルフィ。逃げて隠れた負け犬を、あんたが呼び戻したんだ」
指を絡めるように手を握る。
力の入らない指先で必死に手を繋ごうとするエルフィが、愛しい。
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