酩酊と勢いと
ヴァールハイトを連れて、ファルムの繁華街に向かう。
セルヴァンと旅をしていた時は夜間は外に出てはいけないと厳しく言われていた。
夕食は宿のルームサービスか、宿にある食堂でとっていたので、繁華街に行くのははじめてだ。
「夜の街は怖くねぇのか、エルフィ」
「怖い? どうして? あなたがいるのに」
「あんたは、強情なのか素直なのかよくわからねぇな」
「あまり……男性に好かれない性格だとは、理解しているわ」
繁華街の食堂は、この時間でも賑わっている。
舞台では色香のある衣装を纏った踊り子の方が舞を披露していて、男性たちがテーブル席に座って踊り子を眺めながらお酒を飲んだりご飯を食べたりしている。
店員の方に席に案内されて、私とヴァールハイトはテーブル席に座った。
楽隊の奏でる明るい音楽が、お店には流れている。
手拍子と共にくるくる回る踊り子の揺れる衣装や、長い髪がとても綺麗。
「ヴァールハイト、好きなものを頼んでね。何が食べたい? なんでも良いわよ」
「そうだな、じゃあ、肉とビールを」
「それじゃ、ビールと雛鳥の唐揚げ、鳥の軟骨の唐揚げと、チョリソーと、野菜スティック。牛肉の煮込みと、羊の串焼きをお願いするわね」
メニュー表を見ながら店員さんにお願いする。
店員さんは「かしこまりました」と言って、すぐにビールをジョッキに二杯持ってきてくれた。
「……じゃ、今日もお疲れ様でした。乾杯でもする?」
「あぁ。……あのなぁ、エルフィ。最近知り合ったばかりの男に、気安すぎやしねぇか?」
「そうかしら……」
私とヴァールハイトは軽く杯を掲げた。
それから、ビールジョッキに口をつける。ほろ苦くて、喉を滑っていくシュワっとしたなんとも言えない感覚に、私は目を伏せた。
たくさん歩いた後のビールは美味しい。全ての嫌なことを忘れることができる感じがする。
たとえば、さっき感じていた胸の痛みとか。
「あなたは私の命を助けてくれたし、私の恩人でもあるのよ。大切に思うのは当たり前のことだし、信頼もしている。信頼とは、付き合いの長さでうまれるものではないもの」
「……そういうもんか」
「ええ。ある程度の時間を過ごせば、なんとなくはわかるでしょう? 悪人かそうではないか、なんて」
「そりゃ、あんたの側には今まで怖ぇ爺がいて、目を光らせてたからじゃねぇのか?」
「それは確かに、あるかもしれないわね。……でも、やっぱり信頼できる人かそうでないかぐらいは、わかる気がするのよ」
しばらくすると料理の数々がテーブルに運ばれてくる。
カリカリの衣がスパイシーな揚げ鳥を食べつつ、二杯目のビールを頼む。
街の食堂は、人々の楽しそうな声が響いている。賑やかなのは好きだ。余計なことを考えなくて済むから。
「……はぁ」
ヴァールハイトはどうしてか、深いため息をついた。
それから店の中に視線を巡らせる。
「なんでまた、踊り子がいるような店を選んだんだ、あんたは。男ばっかりだろ、こんなところにくるのは」
「踊り子の方のダンスを見るのははじめてだけれど、とても綺麗ね。晩餐会で踊るダンスよりもずっと、魅力的で生き生きとしている。凄いわね、楽しい」
「……好奇心旺盛なのは結構だが、こういう場所はあまり治安が良くない」
「あなたがいるから大丈夫。何度も言ったわよ。……でも、あの戦い方は嫌。私との約束、覚えていてね」
「あぁ、分かってる」
「あれは……いつからなの?」
ヴァールハイトは三杯目のビールジョッキに口をつけている。
店員の女性の熱心な視線が、ヴァールハイトに注がれているのがわかる。
体格は良いし、見栄えが良いのだ。
──ラシャーナ姫以外に、好きになった女性はいなかったのかしら。
「……そうだなぁ、骸竜に襲われて、聖痕の力を使えるようになってからだったか。この力で骸竜を討伐して、それから……一度死んだ俺は、人前じゃ面倒なことになる気がして、聖痕はずっと隠してた。人がいないところじゃ、浄化をしたりはしていたんだがな」
「隠していたのに、どうして今日は使ってくれたの?」
「あんたは人も土地も、守ろうとするだろ? 自分の身を顧みずに立ち向かうあんたを見てたら、こそこそ隠れてる自分が情けなくなってな。……いつまで引きずってるつもりだと、思ったんだよ。あんたのためになら、この力を使っても良いかな、ってな」
「……ありがとう。……嬉しい。……でも、駄目よ。もう、使っては駄目。それは良くないもの。あなたにとって、良くないもの。そんな気がする。……浄化は、聖弾で十分だし、あなたは英雄じゃなくたって良い。あなたは……ヴァールハイトだもの」
「エルフィ……」
ヴァールハイトが何か言いかけた時、舞台の上から明るい声が響いた。
「それじゃあここで、誰かに飛び入り参加をしてもらおうかしら! そこの可愛いお嬢さん、一緒に踊ってちょうだい!」
踊り子の方が、私に向かって手を伸ばしている。
私はきょろきょろと周囲を見渡した。可愛いお嬢さん──私のことかしら。
見たところ、他に女性客はいない。
「可愛い、お嬢さん……!」
そんなことを言われたのは、はじめてかもしれない。
気が強いとか、男みたいだとか、生意気だとかは、言われてきたけれど。
お酒が体を回っている。とっても楽しい気持ちだ。
私は椅子からがたりと立ち上がった。
「おい、エルフィ」
「ダンスは得意よ。見ていて頂戴」
「あまり目立つことはするな……おい……!」
私は踊り子の方に誘われるままに舞台にあがる。集まっているお客さんたちが「良いぞ、お嬢さん!」「可愛い!」「頑張れ、お嬢さん!」と、私を応援してくれる。
お嬢さんという呼び方はあまり良いものではないけれど、今は怒る気になれなかった。
雰囲気に飲まれて、少し、浮かれているみたいだ。
踊り子の女性のたおやかな手が、私の手を握る。
「怖がらないで、大丈夫よ。緊張しないで」
「は、はい……」
「音楽に合わせて、私に身を任せていれば良いわ」
「あの……私、踊りは得意よ。大丈夫」
楽隊が軽快な音楽を奏で始める。手拍子が、店に鳴り響く。
学園ではダンスの授業があって、侯爵家でもダンスは一通り習ってきた。一人で踊るものと、男性と二人で踊るものと、二種類。
私はスカートを片手で摘む。踊り子の女性は心得ているように、私と片手を合わせて、同じようにスカートを摘むと軽く会釈をした。
足で、舞台の床を踏み鳴らし、腕を大きく伸ばす。これは、狩りの舞と言われている。
ロングラード地方では伝統的な、狩猟の無事と、良い獲物を狩ることができることを、狩猟部隊の出立前に祈る舞いだ。
店の中がざわめく。
楽隊が、心得たように音楽を勇ましいものへと変えた。
「良いぞ、お嬢さん!」
「その調子だ!」
「我らの踊り子アイリーンも輝いているぞ!」
手拍子と、興奮する声と。
伸びやかに軽やかに動く四肢と、音楽と、私と呼吸を合わせてくれる踊り子──アイリーンさんと。
なんだか、とても楽しい。
踊りながらヴァールハイトをチラリと見ると、静かに私に視線を向けている。
なんだか少し、不機嫌に見えた。
「……お嬢さん、すごいわ! 女の子がこんな店に来るのは久々だから、つい呼んでしまったけれど、こんなに踊れるなんて……! 今すぐにでも踊り子に成れてしまうわよ」
「ありがとう! 踊り子のあなたの前で踊るのは恥ずかしいけれど、とても楽しかったわ」
音楽が鳴り止んで、最後のステップと共にポーズを決めると、大きな拍手でお店の中は包まれた。
アイリーンさんが私の手を握りしめて、頬を上気させて言う。
お礼を言って舞台から降りようとした私を、店のお客さんの男性たちが取り囲んだ。
「お嬢さん、すごかったなぁ。一緒に飲もうぜ」
「連れがいるのか、お嬢さん。もしいなかったら、是非俺と……」
「一杯奢らせてくれ」
「ありがとう、気持ちは嬉しいのだけれど……」
私は視線を彷徨わせて、ヴァールハイトを探した。
結構上手に踊れていたはずなのに、不機嫌そうだったわよね。褒めてくれるとは思っていないけれど、楽しんでもらえるかなとは、少し期待していた気がする。
「……そうね、一杯だけなら……」
私は今までずっとアレク様の婚約者で、正しく生きてきた。
だから、他の男性と親しく話すようなこともしなかったし、デートもしないし、一緒にお酒を飲んだこともない。
だからヴァールハイトを必要以上に意識してしまうのかもしれない。
少し男性に、慣れるべきよね。
そう思ってお誘いに頷こうとすると、腕を強い力で掴まれた。
「ヴァ、る」
「帰るぞ、エルフィ」
「あら、旦那様が怒っているわよ。いけないわ、お嬢さん。旦那様と一緒に来ているのに、別の男性に誘いに乗るなんて」
アイリーンさんが悪戯をした子供を叱るように、優しく私に言った。
私は首を振る。
ヴァールハイトは、旦那様ではないし、忘れられない女性がいるのだから。
「……違うのよ、それは。ヴァールハイトには好きな人がいるの。だから、私とは恋人にはなれないのよ」
「まぁ。片思い? こんなに可愛い子に片思いをされているなんて、罪な男ね、あなた」
アイリーンさんの言葉に、ヴァールハイトは訝しげに眉を寄せた。
「……好きな人ってのはなんだ」
「忘れられない恋人がいるのでしょう? ……あなたは私の大切な人だもの。迷惑をかけたくはないし、誰かを思うあなたを好きになるのは、間違っている。だから私、恋人を作らなくてはいけないの。男性に慣れていないから、……慣れることができたら、あなたのことを意識しなくて済むと、思って……」
言葉にしてしまうと、とても情けない。
なんだか感情が昂ってしまう。
ぽろぽろと涙が流れる。わずかに残っている理性で、いつもの悪癖が出ていることには気づいていたけれど。
でも、涙が止まらない。
「お嬢さん、なんて可哀想なんだ……!」
「俺でよければ、付き合おう」
「罪な男だなぁ、あんた!」
「帰るぞ、エルフィ。……あんたたちは、ちょっと黙れ。揶揄うんじゃねぇよ」
ヴァールハイトがお会計を済ませている間、私はアイリーンさんに抱きしめられてよしよしされていた。
アイリーンさんの体は暖かくて柔らかくてふわふわで、ぬいぐるみのジョゼちゃんを思い出した。
ベッドに戻って、ジョゼちゃんをぎゅっとして眠りたい。
私──なんで、泣いているのだっけ。
「ほら、いくぞ、エルフィ」
「……うん」
ヴァールハイトに手を引かれて、私はお店を出た。
頭がとてもふわふわする。足取りも、とてもふわふわする。
おぼつかない足取りで歩く私を、ヴァールハイトはさっさと抱き上げると、夜の道をまっすぐ宿に向かって歩いて行った。
お読みくださりありがとうございました!
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