ファルムと宿と
森を抜けて、日が落ちる頃にはファルムに到着した。
サンタナに比べると小さな街だ。
街をぐるりと囲む高い壁はサンタナと同じで、街の門はひとつきり。
夜が来ると閉まる門の前では、門番の方々が何人か夜の支度をしているようだった。
サンタナでは顔が知られている私だけれど、サンタナから出てしまえば、すれ違う私の顔を見知っている人なんてほぼいない。名前だけは──アレク様に婚約破棄された女として、一人歩きして有名になってしまっているみたいだけれど。
「あんたたち、もう少し早く到着してくれ。門を閉じてしまったら、街に入ることができないんだから」
「そうだよ。しかも片割れは若い女性じゃないか。ただでさえ外は危険なのに、もう少し余裕を持って旅をした方が良い」
「どんな事情があるかは知らんが、奥方様だろう。大事にしてやれ」
門番の方々に注意を受けて、ヴァールハイトは「そうだな、気をつける」と返事をした。
色々な誤解があるようなので、私が口を挟もうとすると、ヴァールハイトは指先を口元に当てた。
しぃっと、彼らから離れた場所で言われたので、私は宿に向かいながら眉を寄せる。
「私はあなたの奥方様ではないし、ここまで来たいとわがままを言ったのは私よ。あなたが叱られるというのは筋違いだわ」
「何事も、全て正す必要はねぇんだよ、エルフィ。俺とあんたが二人で旅をしていたら、夫婦や恋人と思われる方が自然だろ」
「夫婦でもないし、恋人でもないもの」
「自分はエルフィ・ロングラードで、俺はあんたの護衛だって、顔にでも書いておくか? 貴族のお嬢さんが、自分を貴族のお嬢さんだと名乗って歩いている方がどう考えても危険だろ」
「それは……でも……」
「エルフィ、魔骸はもちろん害悪だ。人の命を奪うからな。だが、それよりももっと人間の方が怖い。魔骸が人を襲うのは獣の本能のようなものだが、人間は知能があるのに人を襲うだろ? あんたは知らねぇかもしれないが、魔骸に殺される人間よりも人間に殺される人間の方がずっと多い」
私はきゅっと唇を結んだ。
そんなことは──わかっている、なんて。
とても言えなかった。
私はロングラードの領主だ。私は人々を守る者。そんな私が──。
「私は……領地の人々を信じているわ。それは確かに、悲しい出来事はあるだろうけれど……でも、私たちには言葉があるでしょう? 話し合えば分かりあうことができるのではないかしら。人を襲う人には、何か事情があるはずで……」
「あんたのその、夢みたいな理想論は嫌いじゃねぇが、今は現実の話をしてる。つまり、あんたがロングラードのお嬢さんだって自分のことを言いふらして歩くと、あんたが攫われちまう可能性が上がるわけだ。まぁ、あんたを守るために俺がいるわけだが」
「攫われたりしないわ。それに、私はそんなに弱くない」
「どうだか。あんたは無鉄砲だからな」
「それは、……迷惑を、かけてしまった自覚があるけれど」
「あんたは人のために、自分の命を危険に晒そうとするだろ? そういう人間が一番危ない。騎士団にも時々いたがな、真っ先に死ぬんだよ。そういう、真っ直ぐな人間は」
「……ヴァールハイト、まだ怒っている?」
「怒ってはいねぇよ。だから、……まぁ、……旅の最中は、恋人とか夫婦って思われてた方が、何かと都合が良いって話だ」
私は素直に頷いた。ヴァールハイトがそれで良いというのなら、私もそれで良い。
ヴァールハイトは──ラシャーナ姫を、いまだに想っているだろうから、勘違いされるのは嫌かと思い心配になっただけだ。
ファルムの大通りは日没前だけれどまたちらほらと人通りがある。
夕方から夜にかけて賑わう繁華街には男性の姿や、これから仕事なのだろう、踊り子の姿、それから踊り子を守る店の用心棒の姿などを見かけることができる。
繁華街から少し離れた場所にあるファルムの中では一番大きな宿のロビーに入り、受付で空き部屋を確認した。
空いている部屋の中では一番高級な部屋をお願いする。
部屋は一つで良いのかと思いちらりと隣にいるヴァールハイトを見上げると、特に何も気にしていないような顔で首を傾げられたので、なんとなく気持ちがくしゃくしゃした。
──変だ。
こんなのは変だわ。
セルヴァンと二人で旅をしている時、こんな気持ちになったことはなかったのに。
男性と二人でいるからって、意識しすぎなのではないかしら。
これでは、まるで男性に慣れていない初心な少女、みたいだ。
少女なんて年齢では、もちろんないのだけれど。
「……おお、良い宿だなぁ、エルフィ。俺はこのソファで寝て良いのか?」
部屋に入ると、ヴァールハイトは肩に背負っていた荷物を置いた。
なんだか無邪気な様子で部屋を見渡した後、革張りのソファをぽんぽん叩いている。
ソファとテーブルのあるリビングと、浴室と水回り。それから寝室が一つ。
寝室には清潔そうな質の良いベッドが二つ並んでいる。
「どうしてソファで寝るの?」
「いや、俺は護衛だからな。扉を見張っているのが仕事だ。あんたの寝室には入ったりしねぇよ、約束する」
「……変だわ、そんなの。ベッドがふたつあるのに、ソファで寝るなんて。あなたは私の隣で寝て。扉は内鍵をかけるし、問題ないでしょう?」
「本気か?」
「冗談を言っているように見える? 服を洗って乾かして、明日は一日休みましょう。水や食べ物の補給も必要だし、急ぐ旅ではないもの。ヴァールハイト、ご飯を食べに行きましょうか」
「あぁ、……あのな、エルフィ」
「どうしたの?」
「……なんでもない」
何かを言い淀むヴァールハイトに、私はそれ以上何も聞かなかった。
言い淀んだことというのは、つまりは言いたくないことなのだろう。
ヴァールハイトは今日、森で皆を守ってくれた。そして、私を守ってくれた。
聖痕の力を使って。
私はヴァールハイトがいなかったら死んでいただろうし、騎士団の者や森で働く人々も無事ではいられなかっただろう。
その、お礼がしたい。
美味しいお酒を飲んで、美味しいものを食べて貰いたい。
いそいそと外に出る準備をする私を眺めながら、ヴァールハイトはどういうわけか、困ったように眉を寄せていた。
それから何かを諦めたように、深く息を吐き出した。
「エルフィ、俺は……男だが」
「知っているわよ?」
「……それなら、良い」
ヴァールハイトを女性だとは思っていないし、男性だから、少し意識してしまっているのだけれど。
でも、そういう質問をしてくるということは、私の内心の動揺に、気づかれてはいないのよね。
良かった。
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