最初の街まで
高い壁に囲まれた街の門から抜けると、その先には街道が続いている。
ある程度は整備された街道があるのは、途中まで。
煉瓦が敷かれた道は途中で途切れていて、あとは、人が行き来しているから踏み固められた道と、馬車の車輪の轍。街の方向を示す看板が時々あるだけだ。
遠くに連なる山々と、空と、草原。
昔はもっと綺麗に街道も整備されていて、馬車も頻繁に行き来していたのだと、以前セルヴァンが教えてくれた。
今は、街道を行き来する人が減ってしまったことと、街道の整備はかなり困難で危険な仕事であることから、整備がおそろかになっていて、元々綺麗な煉瓦が敷いてあった道も、煉瓦が剥がれて土が剥き出しになっているらしい。
「これは純粋な疑問なんだがな、エルフィ」
「何かしら」
私とヴァールハイトは、街道を抜けて、木々が両脇にまばらにはえている草原を歩いている。
空は青々としていて、やや冷たい風が頬を撫でた。
「何故あんたは、馬車を使わねぇんだ? こんなご時世とはいえ、街を移動する者が全くいねぇってわけじゃねぇ。商人は荷車に護衛をつけて荷物を運ぶのが普通だし、貴族は馬車で、護衛をわんさか共にするのが普通だろう。傭兵やら騎士やらってのは、そのためにいる」
「確かにそうね」
ヴァールハイトの方が私よりも背が高いし足が長いのだけれど、私の歩調にちゃんと合わせてくれているみたいだ。
私の隣を同じ速度で歩いてくれている。
皮のブーツの靴底が、硬い土を踏み締める。私は歩くのは多分、早い方だと思う。かつて学園に通うために王都で暮らしていた時も、セルヴァンと二人旅だった。
王都までの往路は、休息をとりながら一ヶ月程度。学園を卒業してからロングラード領に入る復路は、もっと早かった。二週間ぐらいだっただろうか。
学園では選択授業で騎士科の方々と一緒に体を鍛えたり、聖銃の練習をしたりしていたから、体力がついたのだと思う。
でも、確かに。ヴァールハイトのいう通り、街の外は危険だけれど、人々の移動が全くない、というわけじゃない。
旅人もいるし、物流だって、もちろんある。
商人たちは荷台を守るために傭兵を雇うし、貴族たちは馬車を守るために、私兵を持つこともあれば、傭兵たちに警護の依頼をすることもある。
貴族が馬車で移動するだけで、かなりの数の護衛がつくのが普通だ。
馬車一台に対して、二十人程の護衛がつく。この護衛の中には、治療係や、物資補給係や、馬の世話係なども含まれている。なんにせよ、馬車の護衛というのは大変なのだ。
馬車で移動しない場合、ある程度の身分のものたちは、馬による移動が最も多い。
馬は徒歩より早いし、有事の際は逃げることもしやすい。
騎馬は、馬車と違って身軽だ。
とはいえ、貴族の中では馬車に騎乗することを野蛮だと考える方も多いし、女性が騎馬で野原を駆けるなど、恥ずべき行為だと言われたりもする。
私は、馬には乗れる。けれど──。
「……恥ずかしい話だけれど、私、馬が怖いのよ」
「馬が怖い? 怖いものなんて何もないとか言いそうなのにな、あんた」
「馬が、というよりも、馬車が怖いの。……私の両親は、骸竜に襲われて命を落とした。私は両親の遺体を見ていないけれど、……話だけは、聞いたわ。両親を探しに行ってくれた家人たちから」
「話?」
「……馬車も馬も無惨な姿で、馬車の屋根が抉り取られていて、中には、……人の、手足のかけらがわずかに残っていたって。食べ残しだろうって」
「おい。あんたはその時、五歳だったんだろ、確か。五歳の子供にして良い話じゃねぇだろう、それは」
幼い頃から何度も反芻してきた言葉を伝えると、ヴァールハイトは目を見開いて、怒ったように眉を顰めた。
「あなた、……良い人なのね。心配してくれてありがとう。……もちろん、家人たちはそのことを私に隠していたのよ」
街を出てからどれぐらい歩いただろうか。
もうすっかり街の姿は見えなくなっている。草むらの中にできている道が、振り返れば続いているばかりだ。
前方には、森林がある。
ディグレス森林と名付けられている、木の伐採所と鉱石の採掘のための設備のある、開けた森林である。
伐採所や炭鉱で働く人々は、街の中で暮らす人々よりも命の危険が高い。
そのため、森の中にはシャハル騎士団の駐屯地がある。
これはセルヴァンが中心となって整備してくれている、ロングラードを守るための騎士団である。
日々、魔骸を討伐したり、街道の警備をしたりしてくれている。立派な方々だ。
シャハル騎士団に、私の護衛を頼むことだってもちろんできるのだけれど、そんなことをすれば街の守りが手薄になってしまうので、できれば避けたい。
そういう理由もあり、私はヴァールハイトを雇ったのである。
「偶然、家の者が話していたのを、聞いてしまったの。……誰にも言ったことはないわ。心配をかけたくないもの。でも、それから……私は、お父様とお母様、それから、馬車や馬や、護衛の方々や、侍女たちが、骸竜に食べられる夢を、見るようになってしまって」
「それで、馬車が怖いのか。……なるほどな」
「ええ。そうなの。……歩いて行く理由は、色々あるわ。侍女を危険な目に合わせたくないから、犠牲を最小限に抑えたいから、二人きり、とか。何かあった時に、馬が死んでしまったら可哀想、とかも、そう。……でも一番は、怖いのよ。……馬車に乗ると、毎晩見る光景を思い出してしまって、怖くて、仕方がないの」
「……誰にも言っていないんだろう、エルフィ。あんたは誰かに弱味を見せるのが嫌いだろう。どうして、俺にはそれを話した?」
「……あなたのことを、信用できるって思っているから。あなたは私が酔っ払って泣きじゃくっても、ぬいぐるみを抱いて寝ていても、笑ったりしなかったから」
「そうか。……エルフィ。あんたのことを無謀で我儘なお嬢さんだと思っていた。悪かったな。あんたにも色々事情があるんだな」
「……ん。でも、……あなたを私の事情に付き合わせてしまってごめんなさい。ありがとう、ヴァールハイト」
ヴァールハイトが優しく言うので、私は、ちゃんと謝った。
雇用主だからと、偉そうにしていたことは、反省しないといけない。
私は偉いけれど、偉そうにしたいというわけではない。女だからと、侮辱されることが嫌いなだけだ。
「別に、謝る必要はねぇよ。俺は金で雇われた、あんたの護衛だ。十分過ぎるほどの金は貰ったし、良いものを食わせて貰って、酒も飲ませて貰ってる。こんなに良い待遇はねぇだろ?」
「……街に着いたら、ちゃんと、良い宿をとるわ。お金に困っているわけではないから。美味しいものも食べましょう?」
「楽しみにしてる」
ヴァールハイトは私に手を伸ばすと、頭をくしゃりと撫でた。
私は、頬が染まるのを感じた。
まるで、恋をしているみたいで嫌なのに。ヴァールハイトに触れられると染まる頬や、早まる鼓動を、止める方法がわからなかった。
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