エルフィ・ロングラードは酒癖が悪い
頭が痛い。
すごく、痛い。
小鳥の可愛らしい鳴き声と、爽やかな朝の光の中で、私はベッドのミルク色の掛け物に包まっている。
目を閉じたまま、ベッドの中をまさぐる。
あの子、あの子が欲しい。
私の――。
「ジョゼちゃん……」
手のひらにもっちりした感触が触れて、私はそのもっちりしたものを引き寄せる。
長年抱きしめて眠っているせいで、もっちりが多少くったりに変わっているけれど、柔らかくてふわふわでもちもちの感触に、安心感を覚える。
顔を埋めて、「じょぜちゃん」と、もう一度呟いた。
「おい。お嬢さん、起きろ。無事か」
「ジョゼちゃん、頭が痛いわよ……もう少し、あと三分寝たいの……セルヴァン、お願い、あと三分」
「残念だが、俺はセルヴァンじゃねぇよ。爺さんに起こして来るように言われたんだ。面倒だからさっさと起きてくれ。お嬢さん、朝だぞ」
「おじょうさん……」
セルヴァンは、私の事をそんな風に呼ばない。
私ははっとして、もちもちした大きめの、灰色のあざらしのぬいぐるみから顔をあげた。
あざらしという生きものを私は見たことがないけれど、ジョゼちゃんはあざらしのぬいぐるみである。
お父様が昔お土産で買ってきてくれたものだ。
私は、あざらしのぬいぐるみにジョゼちゃんと名前をつけた。お父様から貰ってから、ずっと一緒に眠っている。
「あ、あ、ああ……」
「どうした、お嬢さん。二日酔いか。吐きそうなのか」
「う゛ぁ、う゛ぁる、と……さ、ん」
「大丈夫かお嬢さん。ヴァールハイトだ。昨日親しげに、ずっと俺の名前を呼んでくれただろう。もう忘れたのか?」
昨日親しげに、ヴァールハイトの名前を呼んだかしら、私。
覚えていない。良く覚えていない。
ヴァールハイトの過去の話を聞いて、泣いたり怒ったりしたところまでは覚えている。
やっぱりワインを飲んでから、ビールを飲んだのは良くなかった。
途中から記憶がすっぽり抜けている。
痛む頭を押さえて一生懸命思い出そうとしても、何も思い出せなかった。
「ああああ……!」
「唸ったり叫んだり忙しいな。本当に吐きそうなのか? 運ぼうか、風呂場に」
「ち、違う、違うわよ……ヴァールハイト、女性の部屋に入るのは、良くないと思うわ……!」
私はあざらしのジョゼちゃんを両手に抱きしめたまま、呆然としながら言った。
途中から記憶が飛んだ。その上、大きめのぬいぐるみを抱きしめて眠っているところを見られてしまった。
どうしよう。
私――昨日は、女侯爵エルフィとして、きちんと振る舞っていたのに。
「良くねぇと言われてもな。爺さんが俺にお嬢さんを起こしてこいと言っていたし、侍女の何だっけ、ルイ……なんとかも、それから、マルグリットとかいう婆さんも、俺が起こしてくれると助かるとかなんとか言って、俺に仕事を押しつけたわけだが」
小綺麗な姿をした――小綺麗どころか、すごく精悍で素敵な男性が、私のベッドに座っている。
精悍で素敵というのはあくまで一般論で、私の好みであるとかそういう話ではないのだけれど。
今日もしっかりと執事服を着て、ぼさぼさだった髪を紫の紐で結ったヴァールハイトが、私のベッドの端に座って、私を見ている。
それはもう、見ている。
ネグリジェを着て、あざらしのぬいぐるみを抱えている私を。
「……お嬢さん」
「か、感想は、良いのよ、感想はいらないわ……! どうせ似合わないとか、そういうのでしょう。この年になってぬいぐるみを抱いて寝ているとか、恥ずかしいって思っているんでしょう……!」
ジョゼちゃんは、昔から私と一緒に眠ってくれている。
お父様とお母様がいなくなっても、ずっと私と一緒だった。
だから私はジョゼちゃんがいないと眠れないし、もちろん学園の寮にも持って行ったし、王都の別邸で過ごすときも、連れて行く。無理矢理鞄に押し込んで。
ジョゼちゃんは大きめだけれど、中綿がくたびれてくったりしているので、なんとかすると結構小さく収まるのだ。
私がジョゼちゃんと一緒に寝ていることは、ロングラード侯爵家の者たちの中でも、私の寝室に入れる者しか知らない秘密である。
「いや、何と寝ようがあんたの自由だが、その動物は一体何かと思ってな。化け物か? 空想上の。毛もねぇし、耳もねぇし、長いし、つるっとしていて、尻尾がある。なんだ、それは」
「あざらしです……」
「あざらしってのは何だ」
「海にいるのよ。海に、いるらしいの。私も見たことがないのだけれど」
「こんな、よく分からねぇ生きものが、海にいるのか。……凄いな」
ヴァールハイトは私からジョゼちゃんをひょいっと取り上げると、上から下からまじまじと観察をした。
私はいたたまれない気持ちで、それを見ていた。
顔が真っ赤に染まっているのが分かる。二日酔いが吹き飛んでしまったみたいだ。
「ヴァールハイト……私、昨日、すごくお酒を飲んだわよね」
「あぁ、飲んでたな。お嬢さん、酒癖が悪いな。もっと飲むとかなんとか言って暴れるお嬢さんをベッドに押し込むのは大変だった」
「あなたが私をベッドに押し込んだの……?」
「あぁ、そうだが」
「わ、私、私、あなたに何かしなかった……? あの、何か失礼なことをしたり、しなかったかしら……」
「いや、特にはしていないが。グレンを殴りに行くとかなんとかずっと大騒ぎしていて、そのうち寝た。それからは侍女と交代したから知らねぇな。昨日と服が違うから、侍女が着替えさせたんだろうが」
私はずり落ちそうになっているネグリジェの肩の部分を引っ張ってなおした。
髪は多分ぼさぼさで、泣きながら暴れていたのだから、顔も腫れぼったいかもしれない。
なんて姿を見せてしまったのだろう。
「あの、忘れて、お願い、忘れて……私、普段はもっとちゃんとしているの。領民を守るのが私の仕事だから、しっかり、しているのよ……?」
「別にしっかりしている必要はねぇだろ。酒飲んで泣いて、泣き疲れて眠ることを駄目だと言うやつなんざ、いねぇだろう。お嬢さんの自由な時間なんだ。お嬢さんの好きなように振る舞えば良い」
「ヴァールハイト」
「なんだ?」
「昨日、あなた……私の事、エルフィって、呼んだでしょう?」
「呼んだか?」
記憶は途中から無いけれど、名前で呼ばれたような気がする。
「私、嬉しかったわ。だから、エルフィって、呼んで」
「…………あぁ。エルフィ」
ヴァールハイトは何故か深々と溜息をついたあと、諦めたようにそう言った。
「はい。ええと、その……おはようございます、ヴァールハイト」
「あぁ、おはよう。……ほら、起きるぞ。朝食だ。それから、王都に出立する準備をするんだろう?」
苦笑いしながら挨拶をして、ヴァールハイトは立ち上がる。
私も慌てて起き上がると、ベッドの上に転がっているジョゼちゃんをベッドにきちんと寝かせてあげて、部屋から出て行くヴァールハイトの後を追った。
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