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ヴァルト・ハイゼンと骸竜



 ◆◆◆


 突然、嵐が起こったのかと思った。

 街道を進む馬車と並走して馬を走らせていた俺は、空を見上げる。

 空に暗雲が立ち込めて、暗雲の中に稲光が何本も走っている。

 木々を吹き飛ばすほどの強風が吹き荒れて、馬車馬が恐慌をきたして暴れはじめる。

 暴れる馬車馬を御者が切り離すと、二頭の馬は何かに追われるようにして逃げて行った。


 俺の騎乗している馬も、普段の勇敢さはどこかにいってしまったように、馬首を何度も震わせて逃げようとするように後退る。


「骸竜だ……」


 俺の隣にいるグレンが、僅かに震える声で言った。

 いつも冷静な表情を崩さない男なのに、その頬には冷や汗が流れている。

 骸竜は、五年以上前、この国に唐突に表れた。

 悠々と空を飛び回り、災禍を振りまく巨体の竜は、神出鬼没だった。

 街に現れては人々を喰らい、街道を往く人を喰らい、村を破壊し、橋を落とし、牧場を襲い――法則性のない行動で、人々を恐怖と混乱に陥れた。


 王国では、王国騎士団シャルムリッターの骸竜討伐への期待は高まる一方、誰にもあのおそろしい竜は倒せないのだと、この世の終末を唱える声も叫ばれ始めていた。

 唯一の希望として、骸竜に対抗できるかもしれないと、聖弾の開発が進んでいた。


 聖弾を込める聖銃は、元々教会の神官たちの護身用の武器として開発されたものである。

 神官たちは騎士程に力が強くなく、身体能力も低い。

 けれど、巡礼の旅などを行うために、危険な目にあうことが多い。

 聖銃は扱いが難しいものの、炎石から作り出される炎を帯びた火弾の火力はすさまじく、手練れの剣士などが相手でなければ、十分にその効果を発揮した。


 命中させるのは難しいが、獣や人間に対しての威嚇の効果には十二分になり得た。

 聖銃の扱いに長けたものならば、一撃で相手を仕留めることのできる武器である。


 骸竜が現れてからというもの、骸竜が襲来した場所には骸竜からあふれる瘴気――禍ツのせいで、化け物がうまれるようになった。

 化け物は魔骸と名付けられて、騎士団の仕事に、魔骸討伐が加わった。

 騎士団だけでは手が足りず、聖銃の扱いに長けた神官たちの手も借りるようになった。


 そうして、ある神官が扱う聖銃から放たれた炎弾が、魔骸に対してとても強い効果があると噂になった。

 その神官は、とても信心深い者で、全ての炎弾をソファラの聖水に三日三晩漬けていたのだという。

 三日三晩漬けたものしか使用しないのだと。

 

 それならばと、ソファラの聖水の源泉である、大神殿の奥に隠されているソファラの泉の底石を使用して、聖弾がつくられた。

 聖弾は魔骸に強い効果を発揮した。

 魔骸の体を消滅させて、それ以上に瘴気の汚染を広げない効果があるようだった。


 魔骸に有効ならば、骸竜にも有効だろう。そう言われて――魔骸の存在は伏せられていたので、骸竜への対抗手段として、お守りのように聖銃を手にする貴族が増えた。

 魔骸の存在は、慎重に秘されてはいたが、人々がそれに気づくもの時間の問題だろう。


 もちろん、シャルムリッターの団長として骸竜を討伐したいとは思っていたが、果たしてそんなことができるのか。

 最近はそればかりを考えて過ごしていた。

 ラシャーナ姫の護衛の任務につかされたのはその矢先だ。

 国が乱れているのに、遊びに行くために護衛をしろとは。

 なんとまぁ、我儘な姫君かと、呆れていた。


 だが、まさか――その任務の最中に、骸竜に襲われることになるとは。


「グレン、姫君を連れて逃げろ!」


「いや、だがしかし、お前はどうするんだ、ヴァルト!」


 グレン・エジールとは、シャルムリッターに入団してから出会った。

 孤児だった俺は、誰でも受け入れる騎士の士官学校で鍛えられて、シャルムリッターに入団した。

 グレンは、エジール侯爵家の次男で、貴族学園の騎士科の出身だ。

 俺のような士官学校の出の騎士は雑草みたいなものだが、グレンは、所謂エリートというやつだった。

 俺たちは同い年で、シャルムリッターの騎士団長になるのはグレンだと誰もが思っていたし、俺もそう思っていた。


 けれど――単純な話だ。

 グレンよりも、俺の方が強く、皆から慕われていた。

 貴族出身の騎士は汚れ仕事が嫌いな者が多く、特に魔骸の討伐を嫌った。

 あれは、汚れる。服も汚れるし、血にも汚れる。

 魔骸の中には、汚染された動物もいれば――人間も、いるからだ。


 俺は仕事を選ばなかった。当然だ。そんな立場ではない。

 そうして、気付けば騎士団長に選ばれていたというわけだ。

 望んでそうなったわけでもないし、なりたかったわけでもない。

 仕事は、生きていくためにしているだけだ。

 けれど立場が人をつくるのか、騎士団長となった俺には少しばかり、誰かを守らなければという気持ちが芽生えていた。


「俺は――骸竜を食い止める。討伐は皆の願いだ。俺が奴を倒す!」


「無理だ! あの大きさだ、死ぬだけだぞ、ヴァルト!」


「やってみなくては、わからないだろう。だが、姫様を巻き込むわけにはいかない。逃げろ、グレン、早く!」


 グレンは、ラシャーナ姫を馬車から降ろすと、自分の馬に乗せた。

 骸竜の、空を覆う暗雲からのびる首がこちらを見下ろしている。

 あまりに巨大で、あまりに高い位置にあり、眩暈がするほどだ。


 虚ろな眼窩は、空洞で、空洞の奥に赤く光る宝石のような眼球がある。

 骨だけで出来ているような顔をしている。

 小さな村なら簡単に飲み込むことができてしまいそうな顎には、剥き出しの牙が並んでいる。

 半開きの口からは、どす黒い瘴気をまき散らしていた。


 骸竜は、崩壊と再生を繰り返している。

 そんな話を、聞いていた。

 骸竜に出会ったものは、食われて死んでいる。その姿を見て生きのびた者は極稀だ。

 その極稀な者たちは、震えながらそう話した。


 なるほど、確かにその体は、巨大な骨格に、どす黒い瘴気が纏わりつくようにして肉の形を成して、すぐに霧散し消えていくことを繰り返している。


「骨の、竜だ……」


 肉がないから、人を喰らうのか。

 肉が、欲しいのか。

 飢えに支配されているのか――俺のように。


「ヴァルト様!」


 ラシャーナ姫の悲痛な叫び声が、耳に響いた。

 どういうわけか、姫君に俺は好かれているようだった。

 優しくした記憶もない。話した記憶も、数えるほどしかないというのに。

 俺に手をのばそうとするラシャーナ姫を、グレンが抱えるようにして、馬を走らせて遠ざかっていく。

 御者たちが、従者たちが、悲鳴をあげながらそのあとを転がるようにして走って、追っていく。


 俺は、馬から降りると、その体を叩いて、馬を逃がした。共に死ぬ必要はない。

 それから、剣を構えた。

 空の上にいる骸竜に、剣などどう考えても届きそうにない。

 骸竜にとって俺は、地を這う蟻程度の大きさしかないのだろう。


「来い、竜よ! 喰っても殺しても、満たされないのだろう、その体ではな! 俺がお前を滅ぼし、安らかな死を与えてやろう!」


 言葉など、空を覆う竜の前には意味を為さないのだろう。

 けれど、一瞬でも注意をひくことができれば良い。

 まるで、眼前に聳える山や、砦に向かって威嚇をしている愚かな小動物になったような気分だった。

 それでも俺の声は骸竜に届いたのか、骸竜の顔が、爪が、体が、俺に向かって――大地を押しつぶすかのように、降りてくる。

 背中に冷や汗が流れた。

 あまりにも巨大な相手を前にすると、人は何もできずに立ちすくんでしまうのだと、思い知った。

 奥歯を噛みしめ、剣を握り走る。

 体も、顔も、骨でできている。

 一太刀浴びせるのだとしたら――瞳か。


「死ね!」


 振り下ろされた巨大な爪を、大地を蹴って避けて、その爪の上に飛び乗った。

 爪から、腕、腕から顔へと、飛び移る。

 瘴気が体に纏わりついて、全身が毒に侵されたように、転げまわりたくなるぐらいに痺れ、痛んだ。

 身に纏っていた鎧が溶け、瘴気が触れた場所から、体が溶けていくように感じられた。


「骸竜よ、その名の通り、骸と成り果てろ!」


 急がなくては。

 全て、溶かされてしまう前に。

 巨大な顔の上に飛び乗った俺は、眼窩に向かい剣を振り上げる。

 骸竜は体についた羽虫を払うようにして大きく体を震わせた。

 振り上げた剣は眼窩の奥にある赤い眼球に、ずぶりと埋まった。

 けれど眼球に埋まった剣は眼球に飲み込まれ、傷ついたはずの眼球は、すぐに修復されて元の形に戻ってしまった。

 骸竜が怒り狂ったように仰け反り、その体を取り巻く瘴気が形をかえて、何本もの鋭い矢のように、俺に襲いかかる。

 俺は、死を悟った。

 剣は、竜の眼窩に飲み込まれてしまった。

 両足は、瘴気の中に埋まり身動きが取れない。

 ――その時。

 俺の体を、瘴気で形作られた鋭い切っ先が何本も貫こうとしたとき――それは、起こった。


 右手にある日突然浮かび上がった紋様が、白く強烈な光を放ち始める。

 その光は立ち込める暗雲を吹き飛ばし、骸竜を怯ませた。

 地の底から響くような、不吉な悲鳴をあげながら、骸竜の体が光に焼かれる。

 そうして、骸竜は、俺を体から振り落として、逃げて行った。


 骸竜の去った後、俺の紋様の光も消えた。

 俺は自分の手の甲をおさえながら、自分の体がまだ無事であることが信じられなくて、唖然と空を見上げていた。


お読みくださりありがとうございました!

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