エルフィと、婚約破棄と、招待状
私は落ち着いた茜色のドレスに身を包んで、食堂へと向かった。
最近は動きやすい服ばかり着ていたから、ドレスというのは久々だった。
むき出しの肩には寒くないように、薄手のショールをかけている。
ロングラード領の夏は涼しく、冬は雪が積もるほどに寒い。
春に向かう今の季節も、夜はまだまだ冷える。震えるほど寒いという程ではないけれど、薄着だと、肌寒さを感じるぐらいには。
「……誰?」
食堂の扉を開くと、見慣れない男が長テーブルの椅子に座っていた。
並んだ燭台の明りに照らされて、濡れた鴉の羽のような黒髪が、艶やかに輝いている。
精悍な顔立ちの青年である。
余計な肉をそぎ落としたような凛とした頬と顎、高い鼻梁に、黒曜石のような瞳。
すっきり整えられた髪は、僅かに癖があり、肩まで届くそれを赤いリボンで結わいている。
筋肉の浮き出た逞しい体を、セルヴァンのいつも着ているものと似ているけれど、作りの異なる黒い執事服で包んでいる。
セルヴァンは細身ですらりとしているけれど、その青年は体格が良く逞しくて――晩餐会に現れた英雄騎士様のようで、とても美しく、似合っている。
「……あんたなぁ、髭をそって服を着替えただけだ。誰ってことはねぇだろ」
呆れたように瞳を細めて、青年は言った。
その仕草には見覚えがあり、低く少し掠れた声にも聞き覚えがある。
私は目を見開いて、穴が開くぐらいにまじまじと青年を見つめた。
「ヴァールハイト……?」
なんだかもっさりとしていて、小汚い見た目の、体格の良い男という印象だったのだけれど。
別人みたいだ。無精髭の有無で、こうも人は変わるものなのかしら。
「どう考えても俺だろう。あんたのところの侍女たちは一体何なんだ、訓練された兵士かなんかなのか? あっという間に、この通り、恥ずかしい姿になったわけだが」
「どこが恥ずかしいのです? 素敵だと思います。無精髭がはえている姿よりもずっと。五歳は若く見えますね」
「五歳若い俺は、二十三歳だな。二十八も二十三も、そう変わらねぇだろ」
ヴァールハイトはやれやれというように首を振ると、「息が詰まる」と言って、シャツのボタンを外して、棒タイを緩めた。
「お嬢さんも、そうしていると、ごく普通の姫様に見える。とても、足に聖銃を仕込んでるようには見えねぇな」
「聖銃を持つ貴族は、珍しくありません」
「女は珍しいだろ。聖銃を訓練してる貴族の女なんて、俺は見たことがねぇな」
私は、ヴァールハイトの正面に座った。
侍女たちが、私とヴァールハイトの前に前菜のトマトの冷たいスープと、カリカリに焼いたバゲットを置いていく。
ワイングラスには、赤ワインが注がれる。
侍女たちは壁際にさがった。
いつもは私一人だし、一皿ずつ料理を出されると時間がかかって仕方がないので、食事は簡単に済ませてしまっている。
お酒を飲むことも、ないのだけれど。
今日は特別だ。ヴァールハイトは私の両親の仇である骸竜の討伐を行い、それから、私を助けてくれた。
失礼な男だと思って、私もつい──いつもの短気のせいで、きつい口調になってしまったけれど、態度を改めなければいけない。
私だって、いつも無闇にやたらに怒っているわけではないのだから。
「ヴァールハイト、遠慮せずに召し上がってください。お酒は、得意ですか?」
「ありがたいね。酒は、よく飲む。ロングラードの酒は、他の土地の酒よりもずっと旨い」
私はグラスを持ち上げて、ヴァールハイトと軽く乾杯をした。
一口、口をつける。
わずかに苦味のあるふくよかな味わいの葡萄酒が、喉から胃まで降りていく。
ヴァールハイトはまるで水のように、赤ワインを飲み干した。
侍女が空のグラスを受け取ると、新しいグラスに赤ワインを注いだ。
「葡萄酒も、ビールも、ウィスキーもですが、ロングラード領では盛んに作られています。水が綺麗だから、美味しいお酒ができるそうですよ」
領地が誉められたことが嬉しくて、私は微笑んだ。
ヴァールハイトは私の顔を真っ直ぐ見つめて、それから、眉を寄せた。
「お嬢さんが……聖銃の訓練をしてたのは、親の仇をうとうとしていたからか?」
「ええ。……私の両親は、十五年前、私が五歳の時に骸竜に襲われて、帰らぬ人となりました。……骸竜を倒せるものが誰もいないのなら、私がと思い、聖銃の訓練をしました。骸竜が討伐されてからは……魔骸に対抗できるようにと」
「なるほど。でも、あんたは第二王子アレクの婚約者だったんだろ? 王子様は、聖銃を持つ女のことを嫌ったんじゃねぇのか」
ヴァールハイトはバゲットを冷たいトマトのスープにつけて、口に入れた。
私も小さくバゲットをちぎって、軽くスープに浸して、口に入れる。
トマトの酸味と、バゲットの香ばしさが口に広がって、舌に残る赤ワインの苦味がまろやかになる。
「よく知っていますね」
「街の連中が、噂してる。お嬢さん、もっと気軽に話してくれ。かしこまられると、落ちつかねぇし、それはお嬢さんの本当の話し方じゃねぇだろ?」
「……ん。……わかったわ。それじゃ、遠慮なく。この方が、話しやすいわね」
「あぁ、その方が楽で良い。俺は卑しい生まれだからな、堅苦しいのは得意じゃない」
「そう。……去年まで、私は王都の学園に通っていたの。貴族は年頃になると、二年間は王都の貴族学園で過ごすのよ。人脈作りと、勉強のためにね。そこでも、私は騎士志望の者たちに混じって、聖銃の訓練をしていたの」
私は、普段よりも饒舌になっているようだった。
お酒のせいかもしれないし、ヴァールハイトに会えたことが、嬉しかったからかもしれなかった。
「そりゃ、すごい。騎士に女はいない。嫌がられただろ?」
「……私、幼い頃からロングラードの領主として、セルヴァンや皆に助けられながら働いてきたから、他者が何を言おうが、私についてどう思おうが、……どうでも良いことだって思っていて。可愛げがなかったのね、きっと」
「それで?」
「アレク様は、学園で出会ったフィオナさん……フォーゲル男爵令嬢の方が、女性的で良いって……お菓子作りが得意で、刺繍が得意で、聖銃なんておそろしいものは怖くて触れないって、震えるような、可愛い女の子の方がずっと良いって言われて」
「浮気をされた、と」
「まぁ、そうなのよね、きっと。アレク様はそれでも私と結婚すると言ったのだけれど、フィオナさんを第二夫人にすると言ってね。私の家に、ロングラード侯爵領に婿入りするくせに、その言い分はなんだって、大喧嘩になって……」
私の話を聞いて、ヴァールハイトはおかしくてたまらないとでも言うように、肩を震わせて笑い出した。
「目に浮かぶな、お嬢さん。王子様に言い返しているあんたの姿が」
「……周りの方々は、恐ろしいものでも見るような目で、私を見ていたわ。私、元々怖がられていたし、アレク様を怒鳴りつけるなんて不敬なこと、普通はしないものね。売り言葉に買い言葉で喧嘩はどんどん酷くなって、アレク様が、お前のような可愛げのない女とは結婚したくないと言うから、それならこちらも願い下げよ! って、啖呵を切ってしまって」
「それで、婚約破棄?」
「見事にね。本当はアレク様を連れて領地に戻るはずが、一人で戻ってきたっていうわけ。私が振られたみたいな噂が広まっているけれど、……フラれたといえば、フラれたのね、私」
「見る目がない王子様だな。あんたのような勇敢で真っ直ぐなお嬢さんを、捨てるなんて」
「捨てられたわけではないと思うけど。……でも、誉めてくれて、ありがとう」
女性としての自信は、正直、失いかけていた。
男は私のような女は好きではないのだろうし、好かれるために女性らしくしなくてはいけないのだとしたら、私には結婚は向いていない。
だって私は、ロングラード侯爵領を守らなくてはいけないのだから。
だから、独り身で良いかと、思っていた。
寂しいとも思わなかったし、それで良いと思っていた。
アレク様に未練なんてないし、そもそも政略結婚なので、最初から好きも嫌いもなかった。
でも。
「……あなたを雇ったのは、王都に行くため。アレク様から、アレク様とフィオナさんの結婚式の招待状が届いたの。セルヴァンはそれはもう怒って、腰痛を悪化させて寝込んでしまうし、王都までの旅は危険だから、今までセルヴァンがいたけれど、……もう、無理はさせたくないし、だから、あなたを雇ったのよ」
「そりゃすごい。なんでまた、王子様はあんたに結婚式に来いと言うんだ?」
「どうせ来ないって、思っているのよ。私のこと、アレク様に捨てられて、領地に引きこもった哀れな女って、嘲笑うつもりなのよ。だから、……結婚式には絶対に、出てやろうって思って」
「出なくても良いだろ、そんなの」
「出るわよ。堂々と、出てやるのよ。……別にもう、恨んでないし、どうでも良いって思っているけれど、やっぱり腹は立つものね。腹が立つから、出席するの。それで、アレク様にもフィオナさんにも、居心地の悪い思いをしてもらおうって思っていて」
「……肝が据わっているというか、無駄な労力というか」
ヴァールハイトは赤ワインを飲み干した。
それから、侍女に「ビールは、あるか?」と、まるで昔からこの家にいたように、ごく自然に尋ねた。
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