序章:エルフィ、護衛を雇う
王国北にある、ロングラード領
ウェルヘン山脈からの清廉な雪解け水が川となり、水路に流れ込んでいる美しい水の街サンタナ。
水路脇には大きな水車小屋がいくつも並び、粉挽きが行われている。
綺麗な水を利用した、葡萄酒作りも盛んで、ロングラード領の中では一番サンタナの街は大きい。
魔骸の襲撃に備えて街はぐるりと高い壁に囲まれていて、夕方になると閉まる門が、東西南北に、ひとつづつ。
街の至る所に流れる水路には、美しい水にしかすめない美味しいアメフリマスやネコメヤマメが、光を受けて鱗柄に輝く水面の中に、魚影を落としている。
子供たちが、水路の上のアーチ状の橋を、魚を捕まえるための網を持って走っていく。
日傘をさして歩く私とすれ違うと、元気に手を振ってくれる。
「エルフィさん、こんにちは!」
「エルフィさん、お出かけ?」
「ええ。ちょっとした、用事があってね。魚釣りに行くの?」
「うん。南の水路に、主が出たんだって」
「主?」
「うん、でっかい魚の主!」
大きさを両手で表現してくれる子供たちを「気をつけてね」と見送って、私は水路の橋を通り過ぎた。
石畳を歩いていくと、子供連れのご婦人や、恋人たちや、老夫婦、お仕事中なのだろう、使用人のお仕着せ姿の女性や、腕をむき出しにした修繕士のような男性とすれ違う。
火事があったのだろう、燃え跡を解体して新しい建物を建築するため、釘を叩く金槌の音。
大きく円形に石が組まれた花壇には金魚草の赤い花が咲き乱れていて、ベンチの前に立っている青年のバイオリンを奏でる、軽やかな音色が広場には響いている。
屋台からは揚げ鳥の美味しそうな香りが漂い、カフェの店先ではピザが切り売りされている。
春の気配を感じる風が頬を撫でる。
まだ肌寒いけれど、昼の日差しは暖かい。日傘をさした私の影が、歩くたびに、形を変える。
この街で日傘をさして歩くのは私ぐらいだ。
だから、目立つのだろう。
私の姿に気づいた人々が、通りすがりに挨拶をしてくれる。
にこやかに、返事をして、手を振った。街の人々が元気そうで、嬉しい。
広場を通り過ぎると、やや薄暗さのある通りに入る。
建物が密集していて狭いせいか、光の入りが悪いのだ。
日陰の多い石畳には、苔植物が生えている。少しじめっとしていて、広場よりも気温がわずかに低い。
「ここね」
私は建物にかけられている、傭兵ギルドの看板を見上げて言った。
長年この街で暮らしてきたけれど、この場所に来るのは初めてだ。
いつもは──セルヴァンが、全て行ってくれたから。
でもこれからは、私が全て、一人で行わなくてはいけない。
「こんにちは、失礼します」
「これはこれは、エルフィ様ではありませんか。今日は、お一人で?」
「あなたが、ギルドマスターのシュランね。セルヴァンから話は聞いています」
「セルヴァン様は、どうしました?」
「セルヴァンは体調を崩してしまって」
「そうですか。お年ですからね、セルヴァン様も」
日傘を閉じて扉を開くと、ロビーのようなスペースに、受付がある。
受付の中で座って煙草を吸っている、五十代ぐらいに見える髭の男性に、私は話しかけた。
「ずっと、私を支えてくれていましたから……けれど、そろそろ休ませてあげないといけないと、思っています」
「だからといって、エルフィ様が一人で訪れるような場所ではないですよ、ここは」
「私をただの女だと侮っていますか?」
「そういうわけではないですが……」
「それなら、早速商談に入りましょう。私はここに、雑談に来たわけではありませんので」
ギルドマスターのシュランは、困ったようにため息をつくと、軽く首を振った。
それから、気を取り直したように、口を開いた。
「商談というのは、傭兵を雇いたいということですか?」
「ええ。今までは、セルヴァンが私を守ってくれていましたが、これからはそういうわけにはいきません。王都で、第二王子殿下の結婚式が行われるでしょう。私はそこに参加しなければいけないのですが」
「え? 行くんですか、殿下の結婚式に?」
シュランがあんぐり口を開けて、やや慌てた様子で言うので、私はその髭面をぎろりと睨んだ。
「結婚式の招待状が届きましたので、それは、いきますよ。ロングラードの代表ですから、私は」
「で、でも、エルフィ様……」
「ともかく、私、セルヴァンの代わりの、それはそれは強い護衛を探しているのです。王都への旅路に、付き合っていただきたいの。有能ならば、終身雇用も考えています」
「……そ、そうですか」
私は腕を組んで、シュランを睨みながら言った。
ギルドマスターというのは商売人である。
商人が、個人のプライベートな事情に口を出すのは、あまり歓迎できる事柄じゃないのよ。
「セルヴァン様は、それはそれは強かったですからね……」
「そうなのです。セルヴァンは幼い頃からずっと私を守ってくれて……私、執事も護衛もセルヴァン一人で十分だと思って、ずっと甘えていました。けれど、セルヴァンも年には勝てないのです」
「そんなに、状態が悪いのですか」
「最近腰痛がはじまって、第二王子殿下から結婚式の招待状が届いたせいで、余計にそれが悪化してしまって」
「腰痛なら、まぁ、よかったのかな……」
「腰痛、辛いんですよ」
「俺も関節痛があるので、わかります」
「お互い、年には勝てませんね」
「エルフィ様も関節痛が?」
「いえ、私はまだ大丈夫です。二十歳になったばかりですので」
私は関節痛持ちのシュランを睨むのをやめて、一度、ふう、と息をついた。
すぐ怒ってしまうのは、私の悪い癖だと、セルヴァンにもよく言われている。
気が強いのは良いことだが、時には女性らしさも大切であると。
「ともかく、誰かいませんか? 私を王都まで護衛してくれる、強い方は」
「王都までは、行きに数週間、帰りに数週間ほどかかりますね。まさか、二人きりとは言いませんよね?」
「街の外には、魔骸が出るでしょう? そんな危険な旅路に、大切な侍女たちは連れていけません」
「二人きりですか?」
「セルヴァンは、二人きりでも、完璧に私を守ってくれました」
「……そうですか。……エルフィ様、それならうってつけの男が一人いますよ」
そう言って、シュランはお店の奥に入って行った。
それから一人の男を連れて出てきた。
ぼさぼさした黒い髪に、無精髭が生えていて、なんだかもっさりしている筋肉質の男だった。
死んだ魚のような光のない黒い瞳が、私に不躾な視線を送っている。
髪も黒いし、目も黒い。
珍しい容姿の男だと思いながら、私もじっとその男性に視線を返した。
「ヴァールハイトという名です。無愛想ですが、とてつもなく強いですよ」
「それなら、雇わせていただきますね」
男の手は、長年剣を握ってきたのだろう、皮が厚く、関節が太く変形している。
質素な灰色の服に包まれた体躯もまた、とても立派なものに見える。
眼光に光はないけれど、傭兵団で働くことができるぐらいなのだから、社会性もまぁあるのだろう。
何より、王都までの旅は安全とは言い難い。
それに付き合ってくれる強い男というのは、あまり多くない。
「……お前が、俺の主になるのか」
「主ではありません、雇い主です」
わずかに掠れた、無感動な低い声で、男は言った。
これが──私と、救国の英雄ヴァールハイトとの出会いだった。
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