異次元の逃亡者・サイレンススズカ
異次元の逃亡者・サイレンススズカは、どのような馬だったのか。
あれから20年以上経った現在まで、語り継がれるのはなぜか。
その生涯を追ってみよう。
まぁ、彼の足には追いつけないかもしれないが・・・
<誕生>
1994年5月1日、 北の大地で一頭の馬が生まれた。
父は日本競馬を変えたといわれる名種牡馬サンデーサイレンス。
多くの期待を背に生まれた仔馬は、サンデーサイレンスの産駒らしからぬ栗色の毛、小さな体を持って生まれた。
最初に彼に下された評価は、「力強い」「期待できる」といったものではなく、「小さくて、華奢、可愛い」といったものだった。
後に、『異次元の逃亡者』と称された名馬、サイレンススズカ號、その彼だ。
<華々しいデビューと、迎える挫折>
迎えたデビュー戦はスタートから先頭に立ち、2着に7馬身の差をつけての圧勝。「今年のダービーはこの馬じゃないか」と囁かれるほどだった。
事件はデビュー2戦目GⅡ弥生賞で起こった。2番人気に押されたこのレース。出走直前の事だった。
ゲートに入ったサイレンススズカが、突然暴れだし、ゲートをくぐってしまった。鞍上の上村騎手を振り落としての暴走。
スタンドにどよめきが上がった。結局、枠を大外に替えてのレースとなり、8着と惨敗。
ゲート再試験を通過し、ダービーまでに何とか平地で2勝を挙げるも、GⅠ東京優駿日本ダービーでは早めに逃げたサニーブライアンを3番手から追いかけるも9着と終わる。「将来を考えて、前半抑えるレースを覚えさせたほうが良い」という判断の結果だった。
同年のGⅡ神戸新聞杯は最後の直線で騎乗ミスがあり、2着。
GⅠ天皇賞秋も善戦ははするが6着。現役最強馬バブルガムフェローを、女帝エアグルーヴが打ち破るスポーツドラマの立役者となったのみだった。
GⅠマイルチャンピオンシップは調教でのストレスが重なり15着。
・・・気が付けば勝利が遠のいていた。
<出会いと覚醒 ~伝説の始まり~>
そんな彼の転換期となったのは、海外遠征による香港国際カップ。
騎手自らの直訴により、武豊とのコンビ結成となった。
順位は5着と終わったが武豊がある確信を得る。
「この馬は抑えないほうがいい」
持ち味の「逃げ」の走りが開花し始める。
武豊を背に、帰国後の初戦はバレンタインステークスを圧勝。
GⅡ中山記念ではスタート直後はイレ込んでいたものの、2着ローゼンカバリーを1と3/4馬身差で抑えて重賞初制覇を果たす。
続くGⅢ小倉大賞典は、トップハンデ57.5kgを背負いながらも、残り800m地点で2着に10馬身差を開けるという俊足を見せ、最終的にレコードタイムを記録し、2着に3馬身差をつけ勝利。
GⅡ金鯱賞へは、陣営も「今が最高の状態。負けるなんて考えられない。」と送り出している。結果は2着に7馬身差、2秒以上の差をつけての圧勝だった。
これまでの勝利で、『左回りで2000mのレースなら負けることはない』という確信が得られた。
走れば走るほど、その逃走本能が目覚めていく。
<グランプリへの挑戦と初のGⅠ勝利 ~宝塚記念~>
GⅠ天皇賞秋へのリベンジへ向かい、放牧に入る予定だったサイレンススズカ陣営へ、とある招待状が届く。
ファン投票によって出走馬が選ばれるグランプリ、GⅠ宝塚記念への出走権だった。
重なる連勝、刻まれるレコードタイムが、競馬ファンの心を鷲掴みにしていた。ファン投票1位の責任。出走回避など許されない。
心配された連戦の疲れだが、それ以上に彼の体が充実しており、問題は無いとされ、急遽の出走となった。
体が充実していても、いくつかの課題はあった。
まずは2200mという距離。これまで1800m、2000mのレースで無双状態だった彼だが、2200mのコースを走りきれるのかに疑問を持つ者もいた。
次に騎手。主戦騎手であった武豊は選択に迫られる。エアグルーヴの存在だ。武はエアグルーヴの主戦騎手でもあったのだ。悩んだ末に武はエアグルーヴを選択した。
陣営は代わりのジョッキーを指名しなければならなくなった。陣営は1994年にナリタブライアンで3冠ジョッキーとなった南井克己を選択。出走準備を進めていった。
迎えた本番、グランプリ・GⅠ宝塚記念がスタートする。
「さぁ、サイレンススズカが行こうというところ。今日も静かにサイレンススズカ、行けるのかどうか。」
阪神の長い直線を生かし、外枠ながら先頭に立つ。第1コーナーを曲がる。最初の1000mは58秒台。それほどちぎってはいない。
「今年も、あなたの、そして私の夢が走る宝塚記念でありますが、エアグルーヴは6番手から7番手あたり。先頭は1番人気、1番人気!1番たくさんの人が夢をかけたサイレンススズカが先頭です!」
アナウンサー、杉本清氏の『杉本節』も炸裂する。2番人気は、GⅠ天皇賞・春の勝者、メジロブライト。3番人気はGⅠ天皇賞・秋の勝者、女帝エアグルーヴ。グランプリ。強敵揃いだった。
第4コーナー手前で、急に歓声が上がる。8馬身差まで開いていた後続との差が縮まってきた。
「サイレンススズカ、どうなんだ!気合はどうなんだ!南井!」
先頭で第4コーナーを曲がったものの、その差は4馬身まで詰められた。ステイゴールド、サンライズフラッグが後ろから、エアグルーヴが大外から差を詰めてくる。
絶体絶命と思われた場面で、なお彼は加速する。
これぞ南井の作戦。早めに逃げて、一息入れ、最後にもうひと加速する。『逃げ溜め』とも言うべき戦術。
ゴール板を1着で走り抜ける。
「サイレンススズカ結局逃げ切った~!」
鮮やかな逃げ切りで、GⅠ初勝利を手に入れたのだった。
<秋の始まり 『異次元の逃亡者』の完成 ~毎日王冠~>
秋
狙うは昨年6着に終わったGⅠ天皇賞・秋へのリベンジ。
初戦は、GⅡ毎日王冠を選択した。
鞍上には武豊が復帰。
今度の対戦相手は、若き期待の星たち。
GⅠ朝日杯3歳ステークスを制し、4連勝中の『栗毛の怪物・不死鳥・グラスワンダー』。
GⅠNHKマイルカップを制し、ダート芝合わせて5連勝中の『怪鳥・エルコンドルパサー』。
いずれもサイレンススズカとは違い、華々しいデビュー戦のまま輝き続ける若きスターホース達だ。
秋シーズンの初戦を笑うのは誰なのか。
「小細工無用の真っ向勝負、府中千八毎日王冠」が今スタートした。
スタートから予定通りと言わんばかりに、ハイペースで加速するサイレンススズカ。
グラスワンダーは少し出遅れるも、直ぐに巻き返す。
エルコンドルパサーはスタートダッシュに成功し、2番手の位置でサイレンススズカを追走する。
最初の1000mを57秒7という驚異的な加速。大きく離された他の馬も負けじと喰らいついていく。
名物の大欅を抜け、第3コーナーからグラスワンダーが加速。エルコンドルパサーと共に、先頭を走るサイレンススズカに迫っていく。
「どうだ!どうだ!どうだ!」アナウンサーの実況にも熱が入る。
そこからは圧巻だった。いずれも将来が期待される外国産馬2頭をまるで子ども扱いするように、影すら踏ませずに鮮やかに逃げ切り勝ち。
アナウンサーが高らかと叫ぶ「グランプリホースの貫禄!」「どこまで行っても逃げてやる!」
2着エルコンドルパサーに2.5馬身をつけての圧勝。
見事1着でGⅠ天皇賞・秋への出走権を得た。
<悲劇の天皇賞 ~沈黙の日曜日~>
そして迎えるGⅠ天皇賞・秋
毎日王冠と同じ東京競馬場。距離は2000m。
昨年覇者のエアグルーヴは同時期のGⅠエリザベス女王杯1本に出走することなった。
他陣営も毎日王冠での圧勝を目の当たりにし、サイレンススズカとの勝負を避けた。
結果として、本レースとしては出走馬が異様に少ない12頭立てのレースとなった。
2000m、左回りコース、東京競馬場。
サイレンススズカのパフォーマンスを100%発揮できる舞台が整った。
逃げに有利な1枠1番を引き当て、単勝1.2倍の圧倒的1番人気。ファンの間でも「サイレンススズカが勝つのは分かっている。」「どの位差をつけて勝つのか。」「レコードタイムを更新できるか」と期待を込めた声が広まっていった。
迎えるレース。
「スタートしました。サイレンススズカ、内からゆっくりと出ていきます。」
最初はゆっくりとした出だし。コーナーを曲がったところで急加速。
後続との距離がグングン開いていく。600m走ったところで差が8馬身。
1000mを57.4秒で通過するころには、2位に10馬身もの差を開いていた。
「とばしに飛ばしてサイレンススズカ、武豊が行っている!」
「後続の各馬大丈夫なのか!!?」
テレビカメラのアングルをめいいっぱい引いても、馬列の全体が見えない。
2位に10馬身差、そこからさらに3位に5馬身差。
誰もが、「ここからどこまで離すのか」「後ろの馬はどこまで迫れるのか」と胸を弾ませ、大欅の向こうに消える彼を見送る。
再び姿を映したサイレンススズカ―――。
その瞬間、何が起こったのか。場内の誰もが、一瞬理解できなかった。
―――空気が凍る
―――息をのむ
―――飲み込んだ息が悲鳴に代わる
『サイレンススズカ、サイレンススズカにに故障発生!』
突然サイレンススズカが沈み込むように失速。
『なんということだ、4コーナーを迎えることなくレースを終えた武豊!』
一目で分かる。重症だった。のちの診断では、馬にとって致命傷な左前脚手根骨粉砕骨折。
彼は折れた足で、転倒を防いだ。鞍上の武豊を守ったのだ。そして、最後の力を振り絞り外へ避けたのだ。レースを走る他の馬を巻き添えにしないために。
本当に賢く、強い馬だった。
予後不良と診断され、安楽死の処置がとられることとなった。
<夢の終わりに ~私たちはあの雄姿を忘れない~>
一番大きなショックを受けたのは、愛馬を失った武豊だっただろう。
「いくら呑んでも酔ったところを見たことがない」と言われる彼が、その日ばかりは泥酔するまで酒を飲んだ。目の前で起こった悪夢を忘れたかったのだろう。
英雄・ディープインパクトに出会う前の武豊。彼の口からは「サイレンスに関しては、『この馬は現時点では世界一だ』という自信があった。あの馬には、普通では考えられない結果を出す力があったんですよ。」とあった。
父を同じくするサンデーサイレンスの産駒『ステイゴールド』『ディープインパクト』等が種牡馬として活躍する中、『サイレンススズカ』の名前はない。
血が残せなかったのなら、その雄姿を私たちが忘れなければいい。
馬房で1頭、左回りでくるくる回る『自主練』を欠かさなかった彼。
走ることが大好きで、誰にも先頭を譲らなかった彼。
影をも踏ませず、圧倒的に勝利を収めた彼。
これからも、数々の名馬、数々のドラマが1ページ、また1ページと綴られていくことだろう。
しかし、そのノートには、いつまでも<異次元の逃亡者・サイレンススズカ>の名前が刻まれていることだろう。
サイレンススズカ(牡)1994.5.1 ~ 1998.11.1
(父)サンデーサイレンス
(母)ワキア
(母の父)ミスワキ
<最終戦績>16戦9勝(GⅠ宝塚記念、GⅡ中山記念、GⅡ金鯱賞、GⅡ毎日王冠、GⅢ小倉大賞典)
『血が残せなかったのなら、私たちが忘れなければいい』
これに尽きると思います。