お茶は飲むな
あなたの要求を丸呑みしますねぇ。
蛇かな?
「ところで中田部長、『商談中はお茶を飲むな』って経理部長に教わったんですけど……」
外回りから帰ってきて喫煙室で一服してたら、岸部君が俺に質問してきた。
「意図するところは聞いたのかい?」
「はい。 『お茶を飲むのは、あなたの要求を丸呑みします』って意味になるからだって言ってました」
出たよ、経理部長のお茶アンチ。
あの人お茶に何か恨みでもあるのかってくらい、お茶嫌いなんだよなぁ……。
本来のマナーとしては「どうぞ」と言われてから飲むのが正しいし、その時には一言お礼を言ってから頂くのが正しい。
「……あの人単純にお茶大嫌いなんだよ。いつもブラックコーヒーしか飲まないんだよ。一回聞いたら、『茶葉の処分だって金かかるんだぞ。砂糖やミルクなんて無駄じゃないか。経費削減』って言ってたぞ。そのせいか、経理部ではブラックコーヒーか水しか飲めないそうだ」
「個人の好みなんですか!?」
「少なくとも経理部ではな。この営業部では田中前部長が大喧嘩して『コーヒー飲めないやつもいるんだ! お茶を選択肢として省くなんて貴様は俺様達営業を舐めてんのか!』って言って認めさせた」
実際俺が部長に就任してからそれとなく、「お茶を廃止しろ」っていうお達しを出してきている。右から左にスルーしてるけど。
「岸部君もそろそろわかって来たんじゃないか? マナーなんてぶっちゃけ言ったもん勝ちだってこと」
例えば日本では名刺交換は重要な儀式であるが、海外ではやらないという事例も聞く。
昔の人は頭良くて、「所変われば品変わる」や「郷に入っては郷に従え」といった言葉を残している。
結局のところ、現在自分が属している場所でマナーや風習と言ったものは変わる。
「……なんか、マナー本とかでまとめてほしいですね」
「……いいこと教えてやろう。マナー本も本によって言ってることが違うぞ」
田中前部長から、「おう、中田。そろそろ新人育ててみるか?」って言われたときに、「よし、まずはビジネスマナー教えるかっ!」ってなって何冊か読み比べたから知っている。
その時は大体共通して書かれている部分だけを参考にして、差分は無視した。
なんか「長い物には巻かれろ」みたいだが、マナーを教えるという面では「共通している部分を常識」として判断しとけばいいんじゃないかって判断をした。
「……じゃあ、何を信じたらいいんですか?」
「さぁな。それはこれからの社会人生活を通して、相手のリアクションを見つつ判断するしかないな」
その辺の判断は「あのお客さんむずかしいんだよねー」みたいな、上司との会話とかから盗めれば一流のサラリーマンになれると俺は思っている。
新規のお客さんの場合は……、頑張れ。
「結局のところ、好き勝手に適当なことを言っている奴がほとんどだ。そういったものから共通点だけ見つけて参考にすればいい。参考にできない部分は、相手次第だな」
難しそうな顔をしている岸部君。
この会社は親族経営であるがゆえに、変な風習を押し付けてくる上司がとても多い。
自分が部長という立場になって、田中部長ってよくこの人たちと戦えていたなと実感する。
そりゃ、ストレスで太るわ。
「……おれ、やってかれるんでしょうか?」
「大丈夫。毎年そういう奴は出るが、大体何とかなってる。迎合するやつ、反抗するやつ、色々いるけどここ数年やめたやつはいない」
死んだ目になった奴はいるけどな。
「さて、来年一発目の仕事を準備しようじゃないか。それ終わり次第今日は帰れるぞ。久しぶりに定時だっ!」
新年のあいさつ回りでうちの会社はお茶を配ることになっている。
その準備が終われば今日は帰れるな……。
久しぶりに両親の死をきっかけに底辺と蔑まれる領土の領主になった奴が、勘違いを通してなんかすげえことになる小説を読み直せるな……。
「中田部長っ!! 大変です!!! 至急倉庫に!!!!!」
営業事務の佐藤さんがものすごい剣幕で喫煙室に飛び込んでくる。
「何かあったんですね。佐藤さんみたいな嫌煙家がこんなとこに来るなんて」
「良いから早くっ!!」
すごい剣幕にビビりながら倉庫へ向かう俺。
そこにあったのは大量の……。
「……あんのぉお、クソ経理部長がっ!!!」
次回、中田ブチギレる。