診療所にて、冒涜的な邂逅。
追記:ブックマーク等ありがとうございます!近日中に追加で一本上げようと思っているので、宜しかったらまたお願いします。
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アスターの花【赤】
古くに渡ってきた夏に咲く花。
東洋の国では死者に手向けるのにも使われる。
花にはそれぞれに【言葉】を持たせる文化がある。
死者に向けたこの花には、どのような言葉が込められているのだろうか。
目が覚めた。
何時もの覚えていない悪夢に魘されてでなく、熟睡から微睡みへ段階を経る幸せな目覚め。硬いベッドの上で白いブラケットをよけ、ゆっくりと右を向いた。
ベッド横に置かれた小さな腰掛けの上に、一輪の赤いアスターが活けてある。
「お前は死にましたってか…?」
班員の一人が東洋では死人にアスターを手向けると言っていたのを思い出し苦笑する。息を大きく吸い、天井に顔を向けた瞬間ハッとした。何故自分は右を向けた?何故自分は苦笑出来た?
そもそも此処は何処だ、もしかしてあの診療所か?体もそうだ。おかしくないのがおかしい。顔の筋肉が引きつったまま固まり、右肩には大きな瘤が出来ていたはずだ。
あの瘤が左肩にも出来た朝、流石に作業を休ませてくれと頼んだが、監督官に無理やり作業場に連れていかれて…
「俺は…治った…?」
自身の肉体に起こった事は理解できないが、久しぶりに不自由の無い体のような気がする。
『瘤付きの膨れた奴は不気味だ。動きは鈍いし見てくれは痛々しいったらない。自由に動くこともままならないとなっちゃぁ地獄さね。悪魔に頼った自業自得の大馬鹿者だ』
これが世間様の自分たちに対する認識である。世間様は俗に言う「瘤付き」とか「膨れた者」を腫れ物の様に扱ってきたし、教会がそれらの取り締まりを始めてからは、やれ悪魔信仰に傾倒した結果だの、悪魔憑きだなどと不気味な妄想をして排斥をすることとなる。
鉄格子の外を見ると既に月が高く登り、土臭く微温い風が流れ込んで来る。思えばに発掘場に連行されてから月なんて見上げる事も無かったし、来る前でさえ誰にも自分を見られない様に家に引きこもっていたから風を感じる事も無かった。
案の定噂を聞きつけた町民に自警団の詰所に突き出されたが…っと呆けていても仕方がない。取り敢えず事情を聞きに行くためにベッドから出ようとして自分が下着しか身につけてないことに気付く。
アスターの横にはベルトにまかれたシャツとズボンが、床にはブーツが行儀よく纏められている。
誰だか知らないが有難い。シャツに腕を通し、ズボンを履く。たったそれだけのことがひどく懐かしい。思えば最近は布を腰に巻き、雨合羽のようなものをすっぽり被るという、スラムもかくやという格好で日々を過ごしていた。
もっとも最近は瘤のせいでそれすら身に付けれず、体には細かい傷が増えて行った。そんな状態でも俺たちにツルハシを振らせ、台車を引かせるあの太った監督官に憎しみを覚えつつ、もう二度と着ることがないと思っていた服が着れた事に感動していた。
ベッドに腰掛けてブーツを履きながらふと気付く。衣擦れの音以外周囲に全く音がしない。
「近くに誰もいないのか?」
夜の病室、シンと静まり返った空気、静かすぎて耳が痛い。再度部屋を見回し気がつく。この煉瓦の色、小窓に鉄格子。もしかしてあの診療所か?
ここがあの診療所だとしたらこんなに静かな筈が無い。
近くを通りかかると獣のような唸り声や叫び声が聞こえていたし、ひどい時には班寮までその声は届いていた。そんな恐ろしい場所が無音。
この孤島には他に見ない独特な生物が生息しているし、それらは大体気味の悪い鳴き声を一日中狂ったように上げるのだ。その鳴き声もしない静かな夜。
俺は普段とは違う気色の恐ろしさと気味の悪さを感じつつ、妙な高揚感も同時に感じていた。絶対に入ることの出来ず、連れて行かれた者は帰ってこない診療所。
この診療所は膨れに膨れた者が担ぎ込まれてたし、入り口の傍はライフルを持った兵士が目を光らせていた。診療所の裏口は徹底的に木材で封をされ、教会と国が共同で建てたとの噂にしては飾り気が無く、聖堂の様に日光を取り込むガラスも無ければ、その形は簡素な立方体。白のレンガ作りと対照的な裏口部分の封がやけに痛々しい印象を与える建物なのは、この孤島にいる者達の周知の事実だ。
この建物は二階建で、鉄格子付きの小さな窓が有り、そのサイズもやっと子供が通り抜けられるかギリギリの狭さである。それが入った者を逃さないような、中に何があるのかを隠すような印象を与えている。
そんな訳で、この建物は医療を目的とした物と言われても首を捻らざるを得ず、まるで要塞の様だと仲間内では揶揄されていた。
まぁこの施設の名前が《ベスレム診療所》なので押して測るべしであるとも言えるが…
誰も知らないベスレム診療所。謎に包まれた場所、誰の気配も感じない。
「リッチのやつ此処のこと知りたいって言ってたしな…」
どんなことにも野次馬根性丸出しでお調子者の悪友を思い出す。
「此処を出てどんな風だったか教えてやるかな」
俺はリッチへ此処を見て来たと自慢してやるかと言う都合の良い言い訳を自身に付きながら、その実好奇心に負けてこの診療所を探索することにした。
部屋から出てドアを閉める前、チラッと部屋を一瞥する。無機質な部屋は白と黒がほぼ全ての色相で、赤いアスターの鮮やかさが映える。
その赤色を視線の端に残し、そっとドアを閉めた。
暗い。廊下に出た第一印象がまずそれだ。
三人が並んだら狭く感じる通路には、足元がようやく見えるかどうかの月明かりが小窓から溢れる。その光は先へ続く廊下と、病室へと入る蹴破られたようなドアが並んでいるのを見せた。
「誰もいないのは確定として、何かあったみたいだな…」
誰に言うでもなく口から出た言葉は暗い廊下に消える。
そもそもドアが蹴破られるとはどういうことだろうか。この診療所には知る限りでは医者と兵士、教会関係者、そして膨れた者達がいるだろうが、兵士は別として、医者や教会関係者、ましてや膨れた者達がドアを蹴破る状況が思い描けない。
「とすると、何か事故や事件でもあったのか?」
そんな予想を立てながら一番近くの病室へ向かう。
蹴破られたドアを覗くと、その中は基本的に自分が出てきた病室と同じ内装だった。硬く簡素な白いベッド、小さな鉄格子付の小窓、腰掛けの上に置いてある着替えと一輪のアスター。
ベッドの上は荒らされており、患者が利用した後、直ぐに何者かにドアを蹴破られて連れていかれたようだ。患者は膨れた者なのだろうから、彼らがドアを蹴破る程の力を出せたとも思えず、また自分のように症状が回復したとも思えない。
「流石に治ったら服は着るよな…?」
もしも症状が回復したならば服を着てから部屋を出るはずだ。何か発見があるかもしれないと恐る恐る中に入ってみると、部屋の中の臭いに驚いた。
この部屋は酷く臭う。何か鉄臭いような、生臭いようなそんな臭い。
「うっ…なんだこれ…血の臭いか?」
思わずえづきたくなるほど濃い血の匂いに辺りを見回すが、そんなものはこの部屋には無い。手の甲で鼻を僅かに抑え、目を細める。妙な臭いにしても、静けさにしても本当にこの診療所で何があったのか。不安と未知への恐怖が大きくなるのを感じたが、まだ好奇心の方が勝っていた。
病室を出て廊下に出る。次の病室も、その次も…どの病室も同じである。血はないのに臭いのだ。
俺たちは普段発掘を朝早くから夜遅くまでやらされていた。そのため怪我はつきものだし、稀に落石や事故で大量の血を見ることもある。つまり普通よりかは血の臭いに慣れているのだ。
しかしこんなに濃い血の匂いなど嗅いだことがない。それこそ身体中の血をぶちまけたような…
うんざりした気分で廊下を進むと、いよいよ突き当たりまで来た。その突き当たりは螺旋階段になっており、下の階へ進むことができる。
今まで先を照らしてくれていた月明かりも、螺旋階段だとそうは行かない。3段ほど先は濃い闇が広がっていて、先へ進む勇気を萎ませた。
ひんやりとした煉瓦造りの壁に左手を添えて、一歩ずつゆっくりと階段を下る。
10数段程下り終え、下の階に着く。
上の階とは違い、壁沿いにゆらゆらと松明が揺らめいている。正面には外へと続く出入り口、右手には10人ほどが着座出来るほどの豪華なテーブルと椅子。左手には礼拝室、診察室、事務室と銘入れされたプレートがかかった扉がある。
おおよそ予想していた通りの間取りに少し安心して一歩踏み出す。その瞬間、何かが問いかけてきた。
「ようやくお目覚めかい?」
驚いて飛び上がりながら声の方向へ目を向ける。
いつの間に座っていたのだろうか、そいつは行儀悪くテーブルに足をかけて2脚でバランスを取っていた。薄緑色のローブを着て、華奢な体躯をしているように見える。女なのだろうか、線が細く顔には白いのっぺりとした面を着けている。
その面には絵が描かれていて、それが嫌でも目に付いて離れない。斜めに傾けた瞳を中心として、ミミズや寄生虫に似た触手が無数に生えている。
おおよそ考えつかない化け物の絵は最近流行りの写実的なものでは無く、キャンパスに無理やり殴り描いたような、狂人が戯れに塗りたくった様な描き方で面の中心に我が物顔で鎮座していた。
「そんなに見つめられると照れてしまいそうだ。だが残念かな、私には君と睦事をする時間はないんだ」
そいつは肩をすくめながら揶揄う様な調子でそんなことを言う。きっとあの面の下はニヤついているに違いない。そもそもこちら側を見ることができているのか、そいつの面には目に当たる部分に穴はなく、描かれている絵の単眼に見透かされている気になる。どうもその単眼と視線を合わせるのが怖い。視線を少し下に下げながら軽口を返す。
「…あいにく此方もそんなへんちくりんな面をしたやつを抱く趣味はないな」
どうやらこんな話をを言い合う限り女であっているらしい。
「随分と驚かせてくれたじゃあないか。訳知り顔の様だがアンタは何者だ?俺の状況を教えてくれるなら、監督官のとこからワインでもちょろまかしてくれてやるよ」
女はクックと喉を鳴らしながら笑って立ち上がる。
「君と呑みながら語り合ってもいいかもしれないね。しかし、さっきも言った通りそんな時間は残念ながらない。だから私から君に一言……君、瞳の奥を見つめたまえよ。ゆめゆめ忘れるなかれ、だ」
そう言って女はこちらに飛びついてくる。
「………うぉっ!?」
至近距離で顔を合わせることになり面の主と見つめ合う。
蛇に睨まれた蛙の様に凍りつく体、背中から首筋に虫の登る感覚を覚える。狂気に陥る感覚と共に、その目の中に確かに宿る意思が脳裏に焼き付いたまま…
俺は意識を失った。
いったい絵に描かれているのは何エガさんなんだ…!?
少しでも反響があれば一段落させるまで必ず投稿します。
どうぞ、よしなに。