ある夏の暑い日の社会人百合
【登場人物】
永瀬香緒里&御園結美:同棲中の社会人カップル。料理はもっぱら結美の担当。恋人同士になって初めての夏。
「家でお手軽にサウナを楽しむ方法を考えたんだけど、聞きたい?」
土曜のお昼。家事を終えてリビングのソファで休んでいた御園結美に、恋人の永瀬香緒里が突然言った。
「…………」
結美は香緒里を一瞥した。その顔が嬉しそうに笑っているのを確認するとテレビに視線を戻す。
「聞きたくない」
「そうかー聞きたいかー」
「質問した意味」
「最近暑いよねぇ」
「人の話を聞いて」
実際聞こえてはいるのだろうが返答はない。香緒里は結美をぎゅっと抱き締めて先を続ける。
「暑いとクーラーと扇風機が手放せなくなるわけだけど、会社でも家でもずっとクーラー漬けだと体に悪いと思わない?」
「熱中症で運ばれるよりマシ」
「電気代もかかるし」
「熱中症で運ばれるよりマシ」
「で、さっき物置部屋に入ったんだけど――」
「私の意見に対する反駁は?」
「――入ったんだけど」
「あぁはいはい、それでどうしたの?」
結美は突っ込むのをやめて話に乗った。ここまで強引に進めるからにはよっぽど話したい何かがあるのだろう。
香緒里は眉を険しくして言い切った。
「めっっっっちゃくちゃ暑かった」
「……うん、知ってる」
当たり前のことを言われて反応に困る結美。香緒里が更に真面目な顔で続けた。
「あの部屋をサウナとして使ったらよくない?」
「……いや、うん、家でサウナの時点で多分そういうことなんだろうなと思ったけど」
「さすが結美、察しがいいねぇ。じゃあ行こっか」
「そうなるから聞きたくないって言ったの」
引っ張り起こそうとする香緒里に抵抗しながら結美が言った。何故休みの日にわざわざ暑い部屋にこもらなければいけないのか。
「こんなしょうもないことで救急車呼ぶことになったら恥ずかしいでしょ」
「大丈夫だって。飲み物を用意して、時間決めてやれば熱中症にはならないから」
「その自信は謎だけど」
「じゃあ汗かいてちょっとしたらやめにする。それなら問題ないよね?」
結美は訝しんだ。おかしい。香緒里は別段暑さに強いわけでもなく、一緒に寝ているときも自分から抱き着いてきたあげくに『あつい……』とか言って結美を突き放すような人間なのに。そもそも寝る前も起きるときもクーラーがないと無理って豪語してきたのに今更クーラー使用の是非を問うのはおかしすぎる。
「……なにを企んでるの?」
「――えっ?」
結美が尋ねると香緒里はあからさまに動揺した。
「サウナに閉じ込めてなにかやるつもり?」
「そ、そういうことじゃなくて、私はただ結美と一緒にサウナで汗を流せたらと思って……あ、ほら、汗をかいたあとのシャワーって最高に気持ち良くない?」
「…………はぁ。しょうがない」
そのまま無言で追い詰めても良かったが、結美は香緒里の提案を受け入れることにした。たとえ何かを企んでいたとしても香緒里が結美を陥れるようなことは絶対しないと確信を持っているし、二人でサウナというのも良いかなと思ったからだ。
多少暑かろうが恋人といちゃいちゃ出来るならそれに勝るものはない。
物置として使っているマンションの一室。そこの荷物を端に寄せて空間をあけてからビニールと新聞紙を敷き、リビングの椅子を運び入れてその上にもビニールを掛ける。そこにバスタオル姿の結美たちが座って簡易サウナの出来上がりなのだが、部屋が暑いからといってサウナとして利用できるかというとそんな簡単な話ではなく。
サウナの温度は90度前後。普通の家の室内温度と比べると二倍近く差がある。なので汗が滝のように流れて気持ち良い、というよりもただ暑い部屋でおでこや太ももの裏から汗が垂れていくのを耐える、という感覚の方が強い。
しかし結美にとってはサウナであろうとなかろうと構わなかった。
「ん、は、ぁっ、んん……」
椅子に座った香緒里の膝の上に乗り、結美は絡み付くようにキスをしていた。
「ゆ、結美、乗り気じゃなかったくせに急にサカってきてどしたの?」
「サカってるんじゃなくて、サウナの温度が足りないから別のことで熱くなろうかなと思っただけ」
「そういうことしてたら本当に熱中症になるかもしれないし後にした方が」
「人がさんざん熱中症って言ってたときは無視してたくせに今更言うの?」
「それはそれこれはこれ。はい、水飲んで」
香緒里がペットボトルを開けて無理矢理結美に飲ませる。
「む~……」
結美が飲んだのを確認してから香緒里も自分で口を付けた。適当に見えて意外と守るべきラインはきっちりしている。
「――ふぅ、だいたい結美って汗かいてるときにしようとすると嫌がるのに何で今は大丈夫なの?」
「シチュエーションと気分次第」
「じゃあ今は汗でべたべたしてても私とキスしたい気分ってこと?」
「そういうこと――」
結美は香緒里からペットボトルを奪って近くに置いたあと再び唇を重ねた。
部屋の中はうだるように暑い。しかし汗を滴らせ密着させた肌が、絡み合う舌が、さらに結美たちの体と心を熱くさせた。
「……香緒里、タオル取っていい?」
「……倒れないでよ」
「大丈夫。倒れるとしたら香緒里の方だから」
その言葉に香緒里は諦めたように笑って、結美の頭をぽんぽんと叩いた。
シャワーを二人で浴びた後リビングへと戻る。空調の効いたリビングは涼しく、芯までほてった体を冷ましてくれた。
唐突に香緒里がにこやかに尋ねてきた。
「さっぱりしたところで冷たいデザートが食べたくならない?」
「そうね、甘くて冷たいのが食べたい気分。アイスまだ残ってなかったっけ?」
「そっかー結美も冷たいデザートが食べたいのかー」
「いやだからアイス残ってるからそれ食べ――」
「よーし、じゃあ私が冷たくてあまーいデザートを作ってあげよう」
デジャヴのような会話に結美が眉をひそめる。サウナに誘ったときといい香緒里は明らかに何かに誘導しようとしていた。
「……えっと、香緒里が今からデザートを用意してくれるってことでいい?」
「そうそう。だから結美はそっちのソファーでゆっくり休んでて。あ、私が準備してる間はこっち見たらダメだから」
「見たらどうなるの? 鶴になって飛んでいく?」
「……すねる」
「はいはい、見ないから好きにやって。出来上がりを楽しみに待ってるから」
ダイニングキッチンで作業を始めた香緒里に背を向けて結美は小さく息を吐いた。香緒里が何故これまで強引に話を進めてきたか、その理由がやっと分かったからだ。すべては今ここで冷たいデザートを提供する為だった。
電動のモーターらしき音と何か固いものが削れる音を聞きながら、結美はひとりでくすりと笑った。どうりで最近冷凍庫の中に見慣れないものがあったわけだ。
…………。
「お待たせ~」
十分後、テーブルの上に出来上がったデザートの品々が並べられた。
「……かき氷」
「そう! それも台湾で有名なふわふわのかき氷!」
香緒里が自信満々に並んだかき氷の説明を始める。
「ベースの氷は牛乳に練乳を溶かしたやつを使ってるからそれ単体で食べても美味しいんだよ。トッピングはこっちからマンゴー、イチゴ、コーヒーとタピオカ、あずきと抹茶。マンゴーは上に乗ってるのが缶詰のやつで氷と混ざってるのは冷凍のやつ。イチゴは冷凍のを細かく砕いてストロベリーソースを掛けて、ジャムもいけるんじゃないかなと思って少し乗せてみたんだ。コーヒーも凍らせて牛乳と一緒に削ってあって――」
「香緒里」
説明を遮り、結美は仏のように優しい微笑を浮かべた。それに香緒里が気圧されたじろぐ。
「な、なに?」
「かき氷機なんてうちになかったはずだけど、どこで買ったの?」
「え、えっと、あ、あのかき氷機すごいんだよ。削る粗さも調整できて冷製パスタのソースとかも凍らせて砕けば――」
「いくら?」
「…………」
「怒らないから」
怒る人の常套句であることは結美も香緒里も分かっている。
「……四千円」
「…………」
思っていたよりそこまでの値段だったので結美も怒るに怒れなかった。
「……はぁ。なに、それ買ったのをうやむやにする為にわざわざ汗をかかせてまでかき氷を作ろうとしたの?」
「うやむやっていうか……衝動的に買っちゃったから結美に『こんなのあっても邪魔』とか言われたらヤダなって思って……」
「言うわけないでしょ。五万も十万もする金の鍋とか買われたら話は別だけど」
「それはさすがに買わない、というか買っても使いこなせる気がしないし。でもほら、かき氷機なら削って盛り付けるだけだから私にだって出来る」
実際香緒里の作ったかき氷は見た目にも鮮やかでどれも美味しそうだった。並んだかき氷を一瞥したあと結美はふっと笑う。
「溶ける前に早く食べよ」
「結美……!」
「経緯はどうあれ香緒里がこうやって私にデザート作ってくれたんだから、私が怒ったりケチつけたりするはずないでしょ」
「そうだよね! うんうん、結美なら分かってくれると思ってた。いや、別にこんなことしなくても結美は文句なんか言わないって信じてはいたんだけどね」
しきりに頷く香緒里に結美は笑みをたたえたまま告げた。
「材料費は?」
「…………」
これだけのトッピングがあって果実ソースや練乳を使っておいて千円そこらなわけがない。おそらくはかき氷機と同じくらいの金額は掛かっているはずだ。この一食で材料を全て使い切ってはいないだろうが二人で食べるにしては少々値が張っている。
気まずそうに目を逸らしていた香緒里を見て結美がぷっと吹き出す。
「冗談冗談。まだまだ暑い日が続くんだしトータルで考えると食べに行くよりは安いもんね。全然怒ってないよ」
「はぁぁ、心臓に悪いよ……」
「私が怒るはずないって言わなかった? ――さて、それじゃマンゴーからいただこうかな……ん、おいしい!」
「でしょ? 試しに作ったときもめちゃくちゃ美味しくてさ」
「試しに作ったならそのときに私にも食べさせてくれればいいのに」
「いややっぱり豪華にばーんと用意して驚かせたいな、と」
「驚いた、というか冷凍庫に果物とか変な容器に入った牛乳とかあった時点で怪しんでたけどね。あ、次作るときは私に作らせてよ」
「え、いいの?」
「今度は私が香緒里に作ってあげたいの。果実酒とかリキュールで作ってみるのもよさそうかなって思うし」
「結美ぃ~」
「はいはい、ほらあ~ん」
「あ~ん」
かき氷を食べさせ合いながらいちゃつく二人。
氷のおかげで体は涼しくなっても心はあったかいままな、そんな夏の暑い日の一幕。
終
読んでいただきありがとうございます。
もしこの二人に興味が出たなら短編『お礼にはウィスキー・ボンボン』も是非。