13 一方通行-2
――馬鹿な奴らだ。
勇一は店に入ったとき、万が一にも絡まれたときにどうしようか考えていた。ガラの悪い男たちがたむろした店にハロルドが興味を持った理由はどうでもいいとして、自分たちが店を出るまで何事もないように振る舞おうと思った。
「ってえな! ガキが調子ぷっ……」
不用意に口を開いた男の前歯は、拳によって砕かれた。格闘技の経験など無い勇一は、とにかく相手を叩きのめす。心臓は大きく脈打ち、目の奥が熱い。開始の合図をする者も止める者もいない喧嘩の場は、相手が動かなくなるまで続くのだ。
仰向けに倒れた男に彼はさらに追い打ちをかけた。ルールも礼節もない、大げさに振りかぶったただの暴力が男を襲う。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
「は、おい、何もそこまで……」
言葉も容赦もない蹴りが、哀れな男に何度も撃ち込まれる。先程までたった二人の青年相手に舐め切った態度で挑んだ男たちは、人数差という有利をすっかり忘れて絶句した。
……ぱたり。
必死に自身の頭を守っていた男の腕が床に倒れる。腹と顔面を過剰に蹴られた男は、心に敗北を刻みつけられ意識を失った。
「銀貨より高くついたな」
「……クソが! たった二人でやれると思ったのか! あぁ!?」
「ハロルド、弱いやつほど虚勢をはること、何ていうんだ?」
「『弱い犬ほどよく吠える』だ」
(世界が変わっても諺は同じ……いや、翻訳か? ややこしいな……)
店内に入った勇一は、最初にハロルドを一番壁際の席に誘導した。そして店の中央に背中を向ける形でイスに腰掛ける。ローブを座面に巻き込んで座ることで、腰に装備した武器の存在を周囲に明らかにした。一部指のない左手と頬の入れ墨をさり気なく見せるのも忘れない。
武器、欠損、入れ墨……普通なら声をかけるのもはばかられる格好で、まるで用心棒とばかりに振舞えば、余計なことにはならないだろうというのが彼の考えだった。……結局、相手がどういうものかもわからない小物のせいで台無しになってしまったが。
「……んのォッ!」
即座に勇一は首元のホックを外し、ローブを他の敵に投げつけた。
ローブはつかまれやすい。それだけではなく、踏まれる、引っ張られる、拘束される……自分の身体の動きが読まれにくい以外の利点が薄い。
「っそぉラッ‼」
「うげぇっ!」
だが目くらましには役立った。目前で広がったローブに反射的に足を止めた男は、それを取り払おうとして、懐に入り込んだ勇一に気づかなかった。無防備な鳩尾に肘がめり込む。
「このっ……!」
(遅い! アイリーンに比べたら、止まってるみたいだ)
二人の仲間が倒されてようやく三人目が駆け出した。男は腕に覚えがあるのか、拳による懸命な牽制で勇一を近づけさせない。
が、勇一にとっては振り子運動と変わらない。連日稲妻のようなアイリーンの打撃に晒されていた身体は、生半可な速度なら見切れるほどになっていた。
「うわあああ!」
「ぎゃあ!」
必死に牽制していた男に、別の男が体当りする。双方絡まって地にふしてしまった。
突然のことに身を引いた勇一だったが、視界にハロルドが入るとその出来事を瞬時に理解した。
「危ないから、気をつけろよ?」
相変わらずの朗らかな笑顔を男に向け、ハロルドは構え直す。
向かってくる男たちをいなし、投げ飛ばし、壁に、テーブルに、他の男にぶつけ……本人は汗一つかいていない。優雅な立ち振る舞いがそのまま武道となったような足運び。華奢に見える体躯からは想像できない機敏な動きで相手を翻弄している。
(良い家に生まれ、良い顔で、婚約者がいて、強い? 嫉妬する気にもなれないな)
そんなことを考えた自分に呆れ、八つ当たりとばかりに別の男を蹴り上げる。そして次の哀れな標的を決めたとき、勇一は柔らかな風が頬に当たるのを感じた。
直後。
「うおっ!」
風が鋭い刃と化し、彼の頬を浅く切り裂いた。直後に走る冷たい痛み。拭った手の甲に赤い染みがついていた。
「今のはっ⁉」
「風魔法、か。詠唱もない、狙いも悪いということは、独学で覚えた浅知恵だな」
悪漢どもはいつの間にか数を増やし、減るどころか店の奥や通りからどんどん入ってくる。老婆の姿はいつの間にか消えており、指示を出しているわけでもなさそうだ。
さすがの勇一とハロルドもおかしいと気づいた。二人は互いの背後を守りあうように立ち回る。
「野次馬じゃあなさそうだ。たかが銀貨一枚になんでこんなに必死なんだ?」
「ふうん。ユウは思ったより頭が悪いな」
「あぁ!? ……うわっ!」
乱闘の最中、再び風の刃が飛ぶ。ぴり、とした痛みが勇一の露出した足首を襲い、彼に踏み出す一歩を与えない。背後で奮闘するハロルドの不快な笑みが浮かぶ声が聞こえる。
「こんな場末の食堂にならず者ども、魔法院の学徒が二人、片方は貴族ときた。そこまで言えばわかるだろう?」
「……身代金か!」
貴族を誘拐して、身柄の代わりに金をせしめる。ことは全く単純ではないが、いかにも小悪党が考えそうなことである。二人は嘲笑の息を同時に漏らした。
「じゃあ、金を払うから見逃せって訳にはいかないか! ……オラァ‼」
また一人、今度はその鼻をへし折ると別方向の敵へぶつける。
「これほど迅速に仲間が集まるということは、彼らは慣れてるんだろうな……よっと」
「ゲフゥ!」
踏み出した男の足を払い、そのまま体を縦回転。ハロルドは男の頭を腐った床板に叩きつける。頭は板を貫通し、男は無様に四肢をばたつかせた。
「おい、まだ来るのか……もうお前が生贄になった方が早いんじゃないか?」
「冗談じゃない。あんな汚い手に触れられるなんて、身の毛もよだつ」
一人また一人と向かってくる悪党を迎え撃つ。しかしそれ以上に敵が増え続ける。冗談のような数が、ついに二人を壁際まで追い詰めた。
「相手にするのもばかばかしいな……ハロルド、窓だ!」
「ちょっと捌ききれる数じゃないね……ありがとう!」
「うおあっ! 俺を踏み台にするな!」
裏路地の住人たちをすべて集めたかのような数が押し掛ける。最初の数人で終わりだと思っていた二人は、対処できないと見るや逃走へと思考を切り替えた。
「何をしているユウ! 足止めしようなんて考えるな!」
「わかってる……てぇのっ!」
テーブルを力任せに蹴り飛ばす。安く質の悪い木製のそれは軽々と宙を飛んだ。怯んだ悪党どもにさらにイスを投げつけ、自らも窓に向かって身を躍らせた。ガラスのないそこを素通りし、肩から地面に着地する。
「いつつ……おいハロルド、さっさと…………ハロルド?」
「だ、大丈夫だ。ちょっと足をひねっただけだ」
苦痛に顔をゆがめている……彼もこんな顔をするんだと勇一は思った。すぐにそれはいつもの笑みに戻ったが、今度はそれがいやに痛々しく見えて、彼は思わずたじろいだ。
「大丈夫か、走れそうか?」
「君が担いでくれればいいんだけど」
「ふざけるな。お前の自分勝手でこうなったんだ。いまさら助けてくれなんて虫が良すぎだろ」
「たしかにね……うっく」
立ち上がったハロルドは駆け出す……が、すぐにうずくまってしまった。
店を出た男たちが二人を探す声、見つかるのも時間の問題だろう。散々殴られ蹴られ投げ飛ばされた相手、捕まったら何をされるか想像に難くない。
「ああー…………クソっ‼」
「ユウ、何を……?」
勇一は向かい合わせのハロルドの脇に身体をくぐらせると、そのまま持ち上げた。股に通した手で相手の手首を掴む。
(人の運び方、知っててよかった)
ここで自分だけ逃げるのは容易だろう。派手に暴れて注目を浴びているのはハロルドだし、奴らの狙いもそうだ。
しかし勇一は彼を担ぎ、掃除も行き届いていない湿った路地を全力疾走する。
「ここは多分、お前を置いていくのが一番賢い選択なんだろうな」
「……」
男たちの怒声が聞こえる。
それから離れるように角を曲がる。
つかんだ手首に力が入る。
「だけどな! もう関わってしまった奴を置いていけるほど俺は冷酷じゃないんだ。なんていうか、恥ずかしいだろ、そういうの」
「私はいい友人をもったな」
「ざけんな」
感動するとでも思ったか、と言葉を切り捨てる。
「俺はお前が嫌いだ。ウルバハムをケダモノ扱いしたお前に友人だなんて言われると反吐が出る」
その青い目には怒りがこもり、身体からは熱が生まれる。走る以上に、怒りによる熱の方が高い。
「でも、それとこれとは話が別だ! 嫌いな奴でも俺は良心に従って守る。俺は……竜人だから」
「その性格、いつか痛い目を見るよ」
「もうあった。何度もな」
しかし勇一は自分の考えを改めようとは微塵も考えなかった。なぜならそれは彼の良心であり、信念であり、自分が自分であると自信をもって言える証拠だったから。もしこれを曲げてしまったら、勇一は自分がただの死体の塊で、自我なき亡者になってしまうとすら考えている。
ハエのたかる何かをけとばし、蜘蛛の巣が張る角を曲がり、とにかく彼は走った。息が上がり肩が痛くなっても走り続けた。
しかし久々の大物を逃がすまいと悪党どもはあきらめない。あちこちの路地に張り込まれ、二人の逃走劇には徐々に陰りが見え始めた。