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12 一方通行-1

「げ」


「げ、とはご挨拶だなぁ? ユウ・フォーナー」


 勇一の引きつった表情を見ても、青年はいつも通りの目鼻立ちが整った顔を彼に向けた。そのまっすぐ相手を見据える目つきは性格の悪さを覆い隠し、それどころか温和で紳士的な印象さえ与えている。

 もしこの場で自分とハロルドの第一印象比べられたら、勝ち目なんてないだろうな……と勇一は意味のない妄想を浮かばせ勝手に落胆した。


「講義に出るのは初めてじゃないか? 何でも聞くといいよ」


「なんで隣に来るんだよ」


「私の席だからさ……ああ待つんだ、もう講師が来る。おとなしく座った方がいいぞ」


「……はぁー」


 とある日の午前、勇一は魔法院で定期的に行われる講義に出席していた。

 その日は朝から暑かった。風通しが悪い勇一の部屋は蒸し風呂状態で、季節の上では冬だというのに一体どういうことだ!と彼が飛び起きたのが早朝のことである。

 勇一が冷たい石畳に全身を預けていると、ウルバハムの部屋から落胆の声が聞こえた。仕切られただけで同じ室内である彼女の部屋も当然猛暑の餌食となり、それなりの被害を与えたのだ。


「今日は、あのホラクトはいないのか?」


()()()()()は市場に行ってる。保管していた薬品が駄目になったって。この暑さで」


 聞けば、温度によって状態が変わってしまう薬品を保管していたのだが、まさかこの時期に猛暑が来るとは思わなかったそうだ。そこで薬品の処分と、新しい物品を揃えるために朝から市場に向かっていった。相当数を揃えなければならないらしく、いつ戻れるのかわからないという。

 勇一の方はというと、いつものようにミュールイアの研究室へ向かったのだが扉は固く閉ざされていた。

 ……一日がすっぽりと開いてしまったのである。

 本来の学徒ならば、そう言った日は大人しく自室にこもり自己研鑽に励むのだろう。彼も一瞬そういったことを考えはしたのだが、あの猛暑の部屋に再び足を踏み入れる想像をしただけで身体が重くなってしまった。


「ふうん」


「ハロルドは? 今日はネティと一緒じゃないのか」


「王妃様から呼ばてね。そっちのほうが大事さ」


「それで一人か、以外だな」


「なにが?」


 ハロルドなら絶やさず誰かを隣に置くことなどできそうなものなのに。一人でいる彼は、欠けた彫刻のような不完全さを持っていた。


「ネティ以外の女の子には興味ないんだ――」


「ユウ」


 ビクリと勇一は体を震わせた。ハロルドの目がそれ以上言うなと凄みを出している。


「君の言いたいことはわかっている。私がこの恵まれた人間性を使って、多くの女性をはべらせているんだろうと、そういうことだろう?」


「別にそこまでは」


 ハロルドの人差し指が勇一の口を塞ぐ。


「私が愛しているのは、ネティだけだ。女性であれば当然相応の態度を取るが、特別はネティだけ」


「そ、そうか」


「彼女にだったら殺されてもいい。愛するというのはそういうことだぞユウ――――ところで」


 ネティの話をしているハロルドはどこかに別の宇宙を見つめている。正気に戻った彼は、今度は自分の番だと言わんばかりに自身の疑問を投げる。


「ユウはどうしてここに?」


 吹き抜ける柔らかな風のような声が、勇一の耳を撫でた。

 猛暑の部屋に帰るのを拒否した彼は、何をするでもなく東棟をうろつく。すると通路の先に人の流れを見つけた。素知らぬ顔で合流し身を任せてみた結果、この教室へたどり着いたのだ。

 彼は好奇心のまま列に紛れ込んだ先で、定期的に行われる講義に参加することとなった。広い教室に百人はいるであろう学徒たちが、階段状に設置された席に座り講義が始まるのを今か今かと待っている。


「まあ……いろいろと」


 雑談も程々に、講師と思われる人物が教室前方の扉を開けた。ひどく年老い産毛が数本舞う頭をしたその人物は、教壇に立つと学徒たちを一望し……。


「ブラキアははるか昔、ホラクトの奴隷であった――」


 自分たちの種族「ブラキア」の歴史をこんこんと話し始めた。


(あ、わかるぞ。これは眠くなるやつだ)


「私はあまり好きじゃないんだよね。この人眠くなるんだ」


 勇一はハロルドを良く思っていない。しかしその意見にだけは同意すると大きく頷くと、二人はやれやれといった表情で机に向かった。



 ***



 ブラキアは昔、ホラクトの奴隷だった。いつから奴隷だったのかはよくわかっていない。記録がないからだ。

 彼らは虐げられ、娯楽のために意味もなく殺されることもあった。労働は過酷で、一握りの穀物より安く売られた。

 ホラクトはあらゆる仕打ちをブラキアに与えたが、ブラキアは心の底では屈しなかった。一部の者は地下へ潜伏し、同士と反逆の機会を窺い続けた。

 百年前、ホラクトが大陸の東へと侵攻を開始した。彼らが東へ深く食い込んだ時、ブラキアの反乱軍は一斉に行動を起こした。


「そこ! 寝ておるのか!」


「フガ……あ、いいえそんなことは……」


 年老いた講師は存外に目が良かったらしく、肘をついて寝不足を解消する勇一を指差した。


「立て、ヴィヴァルニアの前にあったホラクトの国名を何というか」


「えー…………っと」


 そんなものわかるわけがない。この老人は自分を見せしめにするつもりだろうと彼はすぐに察した。

 だとしたら、無難に適当なそれっぽい名前を言っておけばよいか……。そう考えていた彼の裾をちょいちょいと引っ張る者に勇一は気付いた……ハロルドだ。


「イーザール。だ」


 こそり、とハロルドのささやきが勇一を助ける。


「は?」


「いいから答えるんだ。イーザール」


「イ、イーザール」


「…………いいだろう、座れ。初代ヴィヴァルニア国王、レディアント・ハウィッツァーは――」


 変わりなく進行が再開される歴史の講義。静かに着席した勇一は、気に食わないながらも礼を言うのは忘れない。


「……ありがとう」


「なに、気にするな。しかし、サウワンの話を知っているのにそこがわからないなんて、知識が偏っているんじゃないか?」


 バカにしたようなニヤニヤ顔を今すぐはりたおしてやりたい。そんな気持ちをぐっと我慢し、勇一は再び眠気と戦い始める。


 ――三十年前、現国王であるアークツルス・ハウィッツァーが即位した。彼は直ちに軍を組織し、大陸北部中央にあったホラクト最後の国「メイオール」を攻撃。これを落とした。これによりヴィヴァルニアは、大陸有数の鉱山を手に入れたのである。


 と、一方的に喋っていた老人が目を光らせた。次の生贄を選ぶ表情で教室を見渡し、再び勇一の方へ顔を向ける。まさか連続で当てには来ないだろうと考えていた彼は、心臓が跳ね上がった。


「ハロルド・ガリアバーグ。今話したことについて、考えを」


 その口から隣に座る者の名が出たことでホッとした勇一は、次に彼がどんな答えを出すのか、興味を持った。


「はい先生」


 即座に立ち上がったハロルド、饒舌に語り始めた。


「『鉄戦争』ですか……果たして本当に必要だったのか疑問がありますね。メイオールはヴィヴァルニア領ガルバに侵攻を企てていたとありますが、資料が少なすぎます。そして小国とはいえ、山岳を丸ごと要塞化したメイオールを滅ぼすにはあまりにも無謀。しかし攻略をやってのけたのは事実。その戦法が公開されていないのは不思議ではありますが、陛下の手腕か、メイオールが無能揃いだったか……どちらにせよ無駄な犠牲を――」


「ああ、ああ、わかった、もういい。座りなさい」


 胸を張ってすらすらと述べるハロルドの姿は、自信という言葉がそのまま服を着たようだった。彼を座らせた教師は、奪われた自分の領域を取り戻そうと講義を続ける。


「よく勉強してるんだな」


「はっ、あんなもの努力のうちに入らないんだよね」


 ハロルドは顔をそむける。しかし勇一には、彼の耳が赤くなっているのが見えた。


「なあユウ。抜け出そう」


 少しだけ落ち着きを取り戻した彼は振り向いて、机に伏せて勇一を誘う。


「はぁー?」


 肺いっぱいに吸った空気をすべて吐き出す。講義を抜け出す? なぜ? 行くなら一人でいけ……勇一の顔に順番に表れた思考を、オルストは鋭く読み取って行く。


「この講義は聞く価値などない。ユウだって気まぐれでここに来たんだろう?」


「それは……まあ」


「なら決まりだ。さあバレないように、机の下に隠れて」


 確かにこの暑さの中、黙って座ってなどいられそうにない。教室の窓や扉は全て開け放たれているので、抜け出すことなど容易だろう。


 ――これが美少女からの誘いだったら、二つ返事でついていくんだけどな……。


 腕に貼り付くローブの不快さが勇一の決断を後押しした。二人は講師が背を向けた隙を狙って隠れ、そのまま教室を後にするのだった。



 ***



「そこの席がいい。窓が近いから、風通しもいいだろ」


「確かに、ユウは気が利くな」


 風が吹けばいくらか体感温度は下がるが、それでも暑いことには変わりない。ローブを風になびかせた勇一とハロルド・ガリアバーグは、お世辞にも綺麗とは言えない食堂で昼食にありつこうとしていた。


「なあ、別に俺はいなくていいだろ」


「いいや、共犯者は裏切らないよう近くに置かないと」


「なにいってんだか」


 教室を抜け出したあとはなにも一緒にいる必要はない。しかしハロルドは勇一を引っ張り走り出す。大通りから外れた路地を何本も曲がり、そうして喧騒からだいぶ離れた場所に古臭い食堂らしき店を見つけた。

 らしき……というのは、看板もない、腐った木の柱が辛うじて(のき)を支えた店構えをみたハロルドが、ぐいぐいと勇一を引っ張り入っていった結果、少なくとも勇一がそうであると理解したからだ。


「なんだ。俺はてっきり、貴族らしい小綺麗な所に行くと思ってたのに」


 ハロルドが注文してしばらく後、衣服の肩をフケにまみれさせた老婆がテーブルに料理を置く。彼は興味津々といった表情で皿の上の料理をつついた。


「いやあ、入ってみるものだね」


「……はぁ? 知ってる場所じゃないのかよ」


「ネティに相応しくない場所だからね。でも男同士なら行ける所というのもあるだろう?」


 軒下には数席、いずれもガラの悪い男たちが座っている。しかし自信満々で彼が暖簾をくぐったので、てっきり来たことがある場所だと思っていた勇一は戸惑った。もしやと思い彼は恐る恐る口を開いた。


「結構歩いたし、標識もない路地を曲がったけど」


「それが?」


「帰り道わかってるのか?」


「いいや?」


 つまりまったくの行き当たりばったりだったのだ。


「……前に見た友人は来てくれないのか?」


「あいつらは取り巻きだ、友人ではない。彼らは私ではなく、ガリアバーグ家に取り入ろうとしているだけだ」


 バーサ家とガリアバーグ家……両家の二人が一緒にいたら、ほとんどの者が道を開けるか取り入ろうとする。唯一立ちはだかったのが上野勇一という人物だった。


「立ちはだかるなんて人聞きが悪い」


「あは、でも驚いたんだよ。ガリアバーグ家の名を出しても、怯まないどころか言い返してくるなんて……初めてだった」


「友達がいないってことか」


「本当の意味で友人と言える人など、一人か二人いれば十分さ……うん、庶民の味だ」


 ハロルドは目の前の料理を一口齧ったあと、皿ごと勇一の方へ滑らせる。


「最初から頼むなよ……」


「何事も挑戦なのさ。今回は、外れだったけど」


 悪びれる様子もなく皿を勇一に押し付けたハロルドは、純白のハンカチで口を拭う。


「挑戦ってなら、交友関係を他種族にも広めてみたら?」


「それは遠慮しておこう」


 ハロルドのにべもない返答に勇一は閉口してしまった。


「穏健派の中には、種族を超えて手を取り合い、全てを平等に……なんて輩もいる。平等という考えは私も好きだ。しかし全ての壁を取り払ってしまったら必ずどこかが歪む」


 仕方なく押し付けられた茶色い塊を食べる勇一。彼の舌でさえこの皿に乗った物は「駄目だ」と警告を出している。それは余計な調味料も使わず、素材の味を生かしていた。


(ボロい店構え……単に使えるものが少ないだけか)


 実際焼きは酷いし、筋も多い。野良猫でも焼いて出したのではないかと思われるほどに酷いものだったが、それでも勇一は文句を言わず咀嚼する。


「だったら支配者が被支配者を平等に扱う方が、秩序も保たれるじゃないか。同盟ともことを構える必要はない。仕事を与えて、金を払ってやる。そうやってヴィヴァルニア発展のために尽くしてもらうのさ」


 住む場所が違えば考えも違うのは当たり前の話ではある。しかしここまで他種族に対して思考が一方通行だと、勇一の頭も痛くなってくる。


「鉄戦争……だったか。あれは必要だったかって言ってたな、やっぱり……」


「ああ、わざわざ攻めずとも取引なりを始めればよかったんだ。やがてヴィヴァルニアなしには生きられなくして、同盟とも関われないようにする。それでメイオールは手に入れたも同然だったろう」


「けどそれは、違う歪みを生みだす」


「そうならないように調整するのさ。同盟は多数の種族の寄せ集めだ。互いを争わせ、そいつらに武器を売る。優秀な奴は取り立てる。ヴィヴァルニア(この国)は戦争を起こさなくとも発展できると、私は確信しているよ」


(なにが穏健派だ……)


 支配が悪と言う訳ではないことは勇一もわかっている。しかし平和というのは見るものによって違う。あまりに独善的な支配は、やがて過去のブラキアとホラクトのような関係に至るだろう。

 そうなれば……


「こんな所でこんな話、するべきじゃなかったな。私は友人と楽しく食事をしたかったんだが」


 真っ直ぐに自分を見つめる視線に、呆気にとられた勇一は鉄の味がする肉を飲み込む。


「俺は友達になった覚えはないぞ」


「つれないじゃないか。続きは大通りに戻ってからにしよう……お婆さん、札を」


 魔法院に属する者は食事などが無料になる。その代わり、店の住所や買った物が記された札を魔法院に提出し、後日代金を受け取るのだ。


「いえお客様、こんな場末の店ではそのような事やっておりませんのです。ここに魔法院の学徒のような尊いお方が来るなんて、思ってもいませんから」


 白髪のはねた老婆はうやうやしくお辞儀すると、黄ばんだ歯を見せて笑った。

 それを見た勇一は言いしれぬ不安を感じ、ゆっくりとローブの中に手をしまう。

 ハロルドは腕を組み、変わらぬ調子で再び聞いた。


「ふむ。なら払おう……いくらだ」


「へへえ、一枚です」


 そんなものか、とオルストは小さな革袋から銅色の硬貨を取り出した。それを広げられたシワだらけの手に置こうとして老婆に止められる。

 勇一は、ずり、と座っていたイスをわずかに後方にやった。


「ああ、ああ、違いますよお客様……銀貨です」


「……」


 目を見合わせる二人の青年。


「……はぁーまったく」


「……だと思った」


 二人同時のため息。驚いたのは勇一の方だ。老婆の不潔な笑みからなんとなく警戒はしていたが、ハロルドもそうだったのかと目を見張る。


「おい、わかってたのか?」


「いいや。貴族を脅そうなんて頭の足りてない奴、呆れてものも言えないだけさ」


「ははは、しかしお二人とも、賢い選択をなさった方が良いですよ? お顔に傷がついたら大変でしょうからなぁ」


 二人が入ってきた扉から数人の男たちが現れた。どう見ても従業員ではない格好の彼らは、ぽきぽきと指を鳴らして二人に近付く。

 勇一は既に身構えていた。


「確かに怪我をしたら大変だ。私の身体に傷をつけたら、君たちの命を持ってもあがなえないからね。ご婦人、私は老体に振るう暴力は持ち合わせていないんだ」


 老婆の手を優しく握り、爽やかな笑顔で答える。


「あなたが彼らを引かせるつもりがないなら、どうか怪我をしない場所に隠れていてくれたまえ」


 透き通る声は店中に響いた。店内にいた数人の客……奴らもニヤつきながら二人に接近してきた。もはや迷惑をかける相手は、店内にいない。

 ならば派手に暴れてやろうと勇一は拳を握った。

 老婆は背後の男たちに手で合図を送る。その動きは間違っても友好などではない。


「人を殴ったことは?」


「そんなことをしたら、私の手が汚れてしまう」


 ハロルドは柔らかく開いた両手の先を男たちに向ける。


「そうか」


 それ以上の言葉は無い。勇一の手が、彼を掴もうとする毛むくじゃらの腕を払ったからだ。激しい破裂音とともに弾かれた腕は、男の胴体を半回転させる。

 それが合図になった。


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