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11 手探り

 女神たちの夢から三ヶ月が経った。勇一は今日もウルバハムに言語の教えを請い、指導を受けながら机に向かっていた。

 あれから彼の体に変化はない。死が近づいているとはいえ三ヶ月何もなければ拍子抜けもしよう。しかし他者よりも死が身近に迫っているのは事実なので、彼は一日を噛みしめるように生きていた。

 人というのは必要に迫られれば普段以上の能力を発揮するもので、勇一はヴィヴァルニアの言葉をどんどん吸収していく。それはウルバハムの予想をはるかに超えていた。


「ユウ様、今日はここまでにしましょうか。とても覚えが早くて、私の用意が追いつかなくて」


「ウルバハムの教え方がうまいから、楽しくてさ」


「え、えへへ」


 両手で顔を覆うウルバハム。

 照れる彼女を見ると、なんだか勇一まで顔が熱くなってくる。それは間違いなく西日の影響ではない。純粋な感情は向けられた相手も清らかにするようだった。


「そういえば」


 勇一はふと、以前から思っていた事を口に出してみた。それは至極当然の疑問だったが、今までなんとなく聞けずにいたこと。自身に関係など無いが、彼はもう少し相手のことを知りたいと思っていた。


「ウルバハムは、魔法院(ここ)でやりたいことがあるの?」


「え? ど、どうしてですか?」


「アイリーンも言った通り、ここは貴族やお金持ちの来る所だろう? いくら彼女に推薦されたからといって、そんな所に入るのは抵抗が無かったのかなって……」


「……」


 ウルバハムの表情が一瞬曇った。勇一は不味いことを聞いてしまったかなと思う……が、後の祭りである。

 僅かな沈黙。勇一に段々と己の行動への後悔が頭を出し始めた頃、彼女は握っていた両手を解き、勇一を見つめた。

 真っ直ぐな瞳は海のように深い青で、つい見入ってしまう魅力がある。


「笑わないでくださいね」


「約束する」


「私、皆が勉強出来る仕組みを作りたいんです。種族とか年齢とか関係なく、学びたい意思があればどんな人でも勉強ができるような……」


 意を決して、と行った表情でウルバハムは語った。


「学校を作るとか?」


「いえ、学校に行きたくても行けない人は様々な理由があります。特に子どもたちは、家が貧しいと自分も働きに出なければなりませんから、そういった子達に必要な支援が出来る世の中にしたいんです」


「壮大だな」


 大きな夢だ……勇一は目の前に、広大な草原が広がったような気分になった。希望の未来を見つめるウルバハムの目は相変わらず魅力的な青で、うっとりとした顔を向けている。


「いい夢だ……やさしいウルバハムにぴったりじゃないか」


「い、いやあそんな。えへへ……きゃあ!」


 傷んだ金髪の向こうに見える照れ顔をはっきり見ようと、勇一はわざと覗きこむ。それに気づいたウルバハムが跳ね上がるように後退し、ローブの端で顔を隠した。


「あああの、なななにを」


「ん? いや、ちょっと……」


 真っ赤な顔を隠して壁に張り付く彼女を見ると、勇一に無意識の嗜虐心がわずかに顔をのぞかせた。彼女の困った顔が見てみたい……その気持ちは彼の足を自然とウルバハムの方へ向ける。

 壁際に追い詰められた彼女は前髪で顔を隠し、座り込んで丸くなっている。勇一がその髪をすくように差し込んだとき、聞き覚えのある声が聞こえた。


「何してるの」


 呆れた声が二人の間に割って入った。見ればアイリーンが扉を背に、いつのまにか立っているではないか。

 驚きに思わず飛びのいた勇一は、テーブルに腰を打ち付け跪く。そんな一連の様子を腕を組み表情一つ変えることなく仁王立ちするアイリーン。我に返った彼は言い訳がましく大げさに手を振った。


「いやいや、何もしてないって」


「この状況を見て、どうしてそんな言い訳ができるの」


 軽蔑の目線。抑揚のないいつもの声が死刑宣告のように聞こえた彼は、これはまずいと悟った。いたいけな少女を壁際まで追い詰めたこの光景は、どう頑張ってもアイリーンに誤解なく説明できる気がしない。二呼吸程の時間を思案に費やし、ついに彼は観念して正直に話すことにした。


「て、照れるウルバハムの顔が見たくててててててててて!」


 いつの間にか勇一との間合いを詰めたアイリーンは容赦なく彼の耳をつまむ。およそ少女のものとは思えない怪力で膝をついた彼を立ち上がらせると、そのまま開け放たれた扉へ向かった。


「アイリーン様!」


「丁度いい、今日はとことん殴られてもらおう。最近ユウは打たれ強くなってるから」


「まって、アイリーン! ちょっと! ほんとに違うんだって!」


 呆然とするウルバハムを置いて、二人は夕闇迫る通路に消えていった。



 ***



「ふぅ、こんなところか」


「ゴホッゴホッ……お、おつかれ……」


 ボロ雑巾のように打ち捨てられた勇一。アイリーンは疲労を感じさせない様子で彼を見下ろす。

 事情を知らない者が見れば一方的な暴力だろうが、彼はそうは思っていない。必要なことなのだ。


「いつも悪いな……でもここまでくると、まるで幻と戦ってる気分だ。いつつ」


「キミは実力こそ成長が遅いけど、驚くくらい打たれ強くなってる……何があったの?」


 女神たちの夢を、彼は誰にも話していない。どこに月魔法使いがいるかわからない以上、このことは自分の心に留めておくべきだと思ったからだ。


「ちょっと、ね」


 話しても自分の寿命が伸びるわけではない。むしろ死期がわかったことで、勇一は日々を大切に生きようと思っている。

 上がった息を整えつつ、土埃にまみれた手で中庭の雑草を掴む。


「仮面の男について、何かわかったことはあるのか?」


「なに? いきなり」


 藪から棒に質問された彼女は、自分の身体の方を心配して、と返す。

 地べたにあぐらをかく勇一はもう大丈夫とばかりに腕を広げてみせた。

 見た目ほど傷は負っていないように見える彼に、アイリーンは表には出さないものの驚愕した。何度殴っても、何度投げ飛ばしても、彼は立ち上がるのだから。


「……はあ」


 まあ、小休止もいいだろう。彼女は自分の持っている情報を、どう簡潔に伝えようかと思案した。四方を建物と通路に囲まれた中庭に、雲天が蓋をしている。


「まあ、ほとんど何も。同盟で捕らえたバツという男の詳しい足取りをまだ追ってる」


「仮面の男がそこに嚙んでるのかもって話だったけど」


 あの男があそこにいたのは決して偶然ではないと勇一は言う。アイリーンもそれには同意して、同盟のダランから送られてきた内容を話す。


「奴は用意周到だった。野盗への依頼、奪ったものをダンドターロルに隠す手筈、ヴァパへ向かうまでの護衛……途中から、小規模ながら傭兵たちが護衛に来ることになっていたようだ」


 アイリーンは話ながら籠手を外し、手をぷらぷら振って熱を逃がす。

 運ぶ荷物が荷物なだけに、輸送には慎重を期したのだろう。勇一はその手腕に関心する。しかし一つ疑問が浮かんだ。どう考えても一人でできることではない。


「そこまでやれるってことは、あいつ相当やり手だったってことか」


 ふむ、と勇一は腕を組んだ。そしてもう一つの可能性を口にする。


「それとも、手を貸したやつがいた?」


 まさに、とにアイリーンは頷いた。


「やつ自体は小物だった。どこにも属していない。一匹狼というより『はぐれ者』だな」


 フン、と銀髪をいじりながら鼻を鳴らす。


「バツに金をよこしたのは仮面の男だろう……組んでいたとすれば、あの場に居合わせた理由も納得できる。だけどそれだけでは疑問が残る……誰がスクロール輸送の情報を漏らしたのか」


 仮面の男がスクロール略奪の首謀者だとしても、情報がなければそもそも動けないはずだ。つまりスクロール輸送隊がガニメデス街道を通ることを漏らした者がいる、ということ。兵器を輸送するという機密、それを知りえる誰か……。


「バツが準備したものの量から、準備を始めた時期を逆算した。すると……かなり早い段階で情報が漏れていたことがわかったんだ。ライアン邸の召使が狙われたのも、最後の確認だったんだろう」


「かなり早い? それって、もしかして」


 勇一は胸が締め付けられた。

 機密を知り、それを外に出す……彼の視界外で動き続ける事態に、身の危険すら感じた。


「情報を漏らした人物が、王宮にいる」


 アイリーンは勇一の隣に腰を下ろした、微かな汗のにおいが勇一の鼻をくすぐった。それなりに身体を動かした彼女は、パタパタと手で風を送る。


「キミの力、最近誰かに話した?」


「ええっと……講師のミュールイア先生、だけ」


「ん、じゃあ他には絶対に漏らさないでね」


「アイリーン、ちょっと……近い」


「? 大声で話すことじゃないでしょ」


(いいにおいがするなぁ!!)


「注意して。安易に女神魔法のこと喋っちゃだめって、これは前にも話したよね。危険は身近に潜んでる……ねえ聞いてる?」


「…………」


 触れた肩から伝わる体温。勇一が汗と土埃にまみれているのも気にしていない彼女。

 なぜここまで近くにいられるのだろうか、ひょっとして、ひょっとするんじゃないだろうか……と思った彼の脳裏に、ベテルの言葉が蘇る。


 ――貴方はアイリーンの婿になるのではなくて?


(いやいや、そんなわけないだろ! 第一アイリーンがかわいそうじゃないか)


「ユウ、気持ち悪い顔してる」


 ひたすら磨かれた黄金のような瞳が勇一をとらえる。怪訝な表情すら絵になりそうな顔に、彼は息をのんだ。


「辛辣……」


 見とれた顔から飛ばされる棘は、相手の心に深々と突き刺さるだろう。

 がち。装着された籠手が打ちあう。


「……さて、と。休憩はおしまい、まだできるでしょう?」


 再び装備した籠手の収まりを確認すると、アイリーンはぐるぐると肩を回した。すでに闘志の充填は完了、といった目つきをしている。


「アイリーンも忙しいだろうに……ありがとう」


「お礼なんてしなくていい。私だって、キミから学ぶことはたくさんある」


「へぇ、例えば?」


「キミの戦い方、死にものぐるいだ。全てをなげうって向かってくる……そういうのって、結構やりづらい」


「気にしたことなかったな」


「下手に型を覚えないほうがいいんじゃないかって思えてくる……まぁ、私もだけど」


「はは……」


「さ、いくよ」


 勇一はマナンを構えた。アイリーンと手合わせをはじめてから、一度も彼女を捉えられていない。その素早さに目が慣れ始めたと思ったら、彼女はさらに加速するからだ。まるで音をも置き去りにするかという速さに、彼は防御はおろか反応すら出来ていない。


(だけど、わかったことがある……仮面の男が言った『若い』の意味)


 しかし少しずつではあるが、彼はアイリーンを攻略し始めていた。そのきっかけが憎む相手の言葉だというのは……なんとも気に入らないところだった。


(ああくそ、あいつは憎いが確かにその通りだ。アイリーンの攻撃は若い。だから……)


 アイリーンのつま先が動いた。即座に勇一は反応する……前に脇腹へ鈍痛が走った。


「うぐっ!」


 がくりと膝をつく……前に頭部を回し蹴りが襲った。勇一は人形のように吹き飛び地面に転がる。


「ぬあぁっ!」


 しかし即座に立ち上がる。

 意識は朦朧としているが、仮面の男を殺すという執念だけが彼の足を立たせる原動力だ。


「まだだっ!」


「はは……キミは本当に」


 アイリーンの稲妻のような打撃が再び勇一を襲う。全てが彼女の狙い通りの場所へ命中し、再度相手は雑草の上に転がった。

 だが立ち上がる。


「痛がってる時間なんてないんだ!」


「気合は認めるよ。あとは実力」


「ああ!」


 二人のぶつかり合いは、空が白み始めるまで続けられた。

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